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10 催眠術とエッチなこと

 おれはエロ本を探しに本屋にやって来た。いやまったく、ジャージを着てマスクもつけての本屋である。誰かに見られると心配だから用心に用心を重ねた。えっちな本! それは男の子にとっては永遠の宝石である。一体なにを言っているんだおれは!


 しかし男の子の性欲というのは止まることを知らねー。いやなんでこんなにムラムラするのか自分でもわからない。とにかくエロ本が欲しくてたまらないのである。この気持ちお前らならわかってくれるよな! エロ本って言うのは世界を救うかも知れない。そんなわけねーよ。


 つうわけで夜八時頃、けっこう遅い時間帯。客は少ねーかと思ったけどけっこういやがるな。おれはゆっくりとエロ本コーナーに向かう。店員さんはいねーな。おれは辺りをきょろきょろしながら適当な本を物色していく。きゃー近くに女子高生がいる! おれはしずしずと後ろに下がってまったくもってコレらの本には興味ありませんよアピールをする。もうね、口笛なんか吹いちゃうレベルだぜ! コレらの本にはおれにとってまったく縁がネーナ。そうだ。エロ本なんて読んでる奴は滅びればいいんだ!


 そしておれは再びエロ本コーナーに向かった。近くに女子高生がいなくなったからである。まったくもう、おどかさないでよね!


 ちなみに予算は二〇〇〇円である。け、決してちあきとのデートでできたあまりではないからな! 決して違うんだからな! これはおれがもしもの時に貯めたお小遣いである。そして今まさにもしもの時が迫り来ているのだ! おれは心臓をバクつかせながらエロ本コーナーに接近する! 第三次接近遭遇だ! おれはゆっくりと呼吸を整える。ふあわあああああああああああああ! エロ本だ! 大量のエロ本が入荷されている! おれは鼻息を荒くしてエロ本共を手に取った! 触手プレイはお好みじゃない! じゅ、純愛系のエロ本が欲しい! もはや匂いを嗅ぎたいレベルだ! くんかくんかすーはすーは! なんだ! なんなのだこの質感は! 食べちゃいたいレベルだ! 素晴らしい! おれは高校生になったらこんな恋愛をしてみたい! 休日に親のいない間を狙ってあんなことやこんなことがしてみたい! うわあああああああ! 何だこのシチュエーションは! 部活おわりの女の子と(放送禁止用語)なことをしてしまうなんて!


 おれは興奮した! もはやこの場で(放送禁止用語)なことをしたい。もういっそのことあの女子高生と(放送禁止用語)! いやダメだ! おれにはちあきという大切な人がいる! 偽物の恋人とは言え、おれにとっては大切な存在なのだ! し、しかしだ! ムラムラが治まらない! おれはこの衝動をどうしたらいい!


 傍から見たら目が血走っているヤバい奴に見えただろう。し、しかしである! おれはヤバい奴かも知れない。だが性衝動を抑えるのにはたいへんな労力がいるわけであり、しかも子孫繁栄においてこの欲求というのはたいへん重要な意味合いを持つのだ! ふわあああ! ちくしょう! わかってるよ! お前らの言いたいことは痛いほどわかってる! 『お前はサルか』そう言いたいんだろ? わかってるんだよそんなことは! ケドおれだって一人の人間であり男である。つまり性欲があるのだ! おれはこの本が気に入った。だから買う。『あの夏空、おれたちは恋に落ちた』を購入する! この本はきっとおれの人生を変えるだろう……。そう、永遠にだ………………。この夏は永遠なのだ! フォー、エバー……………………。


 ふぅ。おれは落ち着きを取り戻した。クソ野郎だな本当に。おれはなんだか罪悪感に駆られた。性欲はここまで人を変えてしまうのか。家に帰ったら筒井康隆の小説でも読んで性欲を美化しようではないか。そうだ、男の性欲とはいわゆる美なのであり、また笑いの種でもあるのだ。しょうがないよな。性欲バンザイ! 食いしん坊バンザイ!


 おれはエロ本コーナーをとっとと立ち去ろう、そう決意して、ふとある本が目に留まってしまった。べつに面陳されているわけでもない。ただただ突き刺さっているだけの本。それなのに目を向けてしまった。本との出会いは運命を変えると言うが、まさしくこの瞬間がおれの運命の分かれ目だったのかも知れない。


『あの子をムラムラさせる催眠術入門編』


 す、素晴らしい本じゃないか……。




「た、ただいま……」

「おかえり春斗くん! どこに行ってたの!?」


 我が家は定休日である。んじゃねーと本屋になんか行けやしねーからな。


 だが今日のおれはなにかが違った。ちあきの顔を見るなりちょっとやそっとではない衝動に駆られてしまう。いかんいかん。おれはもし自分がラブコメ主人公だったらと考える。冷静になれ。ラブコメ主人公だったら性衝動に負けたりなんかしない。まぁ一部負けちまってる主人公はいるが、それはそれだ。おれは煩悩に屈したりなんかしない! しないんだからね!


「どうしたの春斗くん! あ! 何かいかがわしい本でも買ったの!? さいてーだね春斗くん……」

「んなわけねーだろ。参考書だよ。おれにとってはな」

「え!? 春斗くんが勉強しようとしてるの!? こ、これは緊急事態かも知れない! あ、明日は空からメンチカツが降ってくるかも! な、なんたる悲劇……! ううん、これは喜劇かも知れないね!」

「やかましい。いいかちあき! おれは今から勉強する! そう! 勉強しないといけないときが男にはあるんだ! け、決して部屋に入るんじゃねーぞ! わかったな!」

「はーい! 春斗くんの勉強を邪魔しちゃ悪いもんね! うん! わかった! じゃあ春斗くんが勉強してる間、私も明日提出の数学の宿題やってるね! へへ! 何か二人で勉強って私たちすごい偉いね!」


 くおおおおおおおおおおおおおお――! なんたる罪悪感! この純粋無垢な妹に対して、おれは今ものすごくいかがわしいことを考えている! クソ野郎! おれのバカ! クソ野郎! 本当にクソだお前! 宇宙に捨てられてチリになっちまえこのばか!


 だがおれは止まらない! 

 そう!

 止まれないのである!


 おれは高鳴る心臓を抑えつつ、階段をのぼって自分の部屋に向かうのだった。




 おれはペラりと催眠術入門編をめくってみた。なるほどなぁ。


 いやふだんの冷静なおれなら、こんな本信じなかったかも知れない。なんせふだんのおれはもっとクールで知的で、いかにもモテそうな太宰みたいな男だからな。女子たちはみんなおれのことを見て顔を赤らめている。「うわあの人なんか私に対して変な目を向けてきてる、いやっだぁ――」とか言う視線ではない! そう断じて! おれはモテる! そうモテるんだ! いやモテねぇよ。


 っつうわけでおれは本気で催眠術の入門を始めた。えーっとなになに? 


 あの子の乱れた姿を見たいのであれば、まずはこれをやるべし……。ふーん、けっこうそれっぽい本じゃねぇか。決してラノベ作家が適当なことを書いているときのような文章じゃねぇな。って言うかラノベ作家の文章ってろくなもんねぇからな。そんなことねぇよ。


「えーっとなんだ? まずは牛乳をコップに注ぎます。ほう、牛乳には催淫効果が含まれています。いやねぇだろ。だったら小学生みんなやべぇことになってるっつうの」


 ほんとうにそうだ。何だこの本は。本当にどこかのラノベ作家が書いてるんじゃなかろうか。だとしたら怒るぞ本当に。おれは怒ってこの本を破り捨てて河川敷で燃やしちゃうぞ! おれは全力でこの本を信じて買ったのだ! この本千円もしたんだぞ!


「牛乳をコップに注いだのならば、次はコップの中に昭和四十九年の十円玉を入れます。……っておい、なんでそこだけピンポイントなんだよ!」


 おれは呆れかえってしまう。やっぱりそれらしいことを書いてるだけか。ったくしょうがねぇなぁ、こんな本信じるバカがどこにいんだろうな。まったくいたとしたらそれはもう本当にどうしようもない奴で、クソみたいな奴だ。死んでしまった方がいいだろう。


 というわけでおれは昭和四十九年の十円玉を牛乳の入ったコップに入れた。


「んでなになに? 十円玉から催淫効果を高める物質が牛乳の中に拡散します。そうしたらあとは簡単です! 気になるあの子に飲ませましょう! ロイヤ○ハニー並の効果が期待できます!」


 ろ、ロ○ヤルハニーって何だろうか。おれの知らない単語だった。多分大人の皆さんは積極的に使っているのだろう。


 おれは期待に満ちた瞳を牛乳に向けた。心なしか色が変わってきているような気がする。心なしか茶色く濁ってきているような……? まぁ科学的な知識がほとんどないおれにとっては、この現象はよくわからない。ケド結果だけは欲しかった。


 十分経った。もうこれくらい経てば充分か? 


 よし、あとはこれをちあきに渡すだけだ――




 おれは緊張の面持ちでちあきの部屋の扉をノックした。ざ、罪悪感半端ねー。ケドおれはやる! やってみたい! おれはちあきのえっちな姿を見てみたい!


「おーっす、入るぞー!」

「春斗くんだ! おはよ!」

「お前今の時間はこんばんはだろー! はっはー、ちあきはいっつもどこか抜けてるよな!」

「なっ! 春斗くんなんか今日気持ち悪いね! いつもの百倍くらい気持ち悪い気がする! な、何があったの春斗くん! まさかあぶないお薬にでも手を出したの!?」

「……そ、そんなわけねぇじゃねぇか………………」


 やべ、こいつ鋭いぞ! おれは警戒心をマックスにした。落ち着け。冷静にだ! そう、おれはいつだって冷静な男山田春斗じゃねぇか! 抑えきれない性衝動! いざここに――!



「おお? なんだなんだ? きょうだい同士で仲良く喋って! はは! 父さんこんなに嬉しいことはないぞ!」



 今一番登場してはいけない人物に声を掛けられた。お、お前! クソ親父! てめぇもしこれがラブコメだったらめちゃくちゃバッシング食らってるとこだぞてめぇ! おれも読者もちあきのえっちな、乱れて甘えてくる姿が見てーんだよ! 何だこの男! 去れ! マジで去れ! 


「お、親父! おれは今ちあきと喋ってんだ! 頼む! これは恋人同士の重要な話なんだ!」

「なんだぁ! 恋人同士で重要な話なのか! そうかそうか! じゃあ父さんも混ぜてもらおうかな!」

「なんでだよ! 退散してくれ頼むから! おれはちあきと喋りたいんだよ!」

「春斗く~~ん、どうしていじわるするの? 入れて上げようよ! パパも一緒に恋バナしたらきっと楽しいよ!」

「楽しくねぇよ! 全力で楽しめない! 親父の恋バナとかろくでもねぇからな! こいつモテてんだぞ! モテない男子が聞いてもなにも面白くねぇんだよ!」

「それはそれ! これはこれだよ春斗くん!」


「どれはどれだよ! あぁもうちくしょう! なんで親父入ってくんだよ……」

「ぐす、父さん邪魔なの? 僕向こう行ってた方がいいの?」

「そんなことはないよパパ! 私パパのお話聞きたいな!」

「おおおう! ちあきちゃん僕の話聞いてくれるんだね! やったあああああああああああああああああああ! 僕ちゃん色々話しちゃうからね! パパが話したことは絶対内緒なんだからね!」

「気持ち悪い! おれのラブコメなんかおかしい! ふつうラブコメに親父は入ってこない! って言うかいらない! 親父どうせ登場するなら敵キャラとして出てくんない!? 微妙にヒロインと仲のいい親父キャラ世の中で一番需要ねぇっつうの!」


「あぁん? おんどりゃあ貴様、言い度胸しとんのぉ。わしだってのう、立派に青春してみたかったんじゃ! 文句あるかボケがぁ!」

「大ありだ! ちあきからもなにか言ってやれ!」

「春斗くんあんまりだよ……」

「ここまで嫌われんの!? わかったよもういいよ! 親父ありで構わねぇよ」

「ところで春斗よ。お前その手にしてるのは何だ? 今夜の飲み物か?」


 マズい! おれは当初の目的をすっかり忘れてしまっていた。これをちあきに飲ませようという魂胆だったのに、その目的が親父のせいで邪魔されるとなるとこんなに辛い夜はない! 


 くっ! しゃぁねぇ。親父が立ち去るまで待つか? いやしかし。今から恋愛話をするとなると、多分親父は寝るまで話を終わらせないだろう。って言うかきっと朝まで話すことになるだろう。


 何だよもうこの親父! 本当に邪魔だ! おれはちあきにえっちな要求をしたいんだよ! だってちあきだぜ? 多分男子の九十九パーセントはちあきのえっちな姿を見てみたいと思うだろう。そうだ、そしておれは男なのだ。



『ねぇ春斗くん………………こっち……………………きてよ……………………』

『うっ……………………あぁん! そこは………………だめだよ春斗くん……………………ふあっ……………………きもちいいよ春斗くん………………』

『へへ……………………くすぐったいって春斗くん…………………………んっ……………………あぁああああああああああああああ!』



 おれは脳内で繰り広げられる妄想の数々を打ち払った。こんな………………こんなエロいちあきの姿を見られたらおれはもう明日から死んでもいいかもしれない! ぐは! ぐはははは! 最高じゃねぇか! 


「のう春斗よ。きいとるか? お前もしかして酒を飲み過ぎた親父を心配して飲み物作ってくれたのか?」

「いやちげーよ。これはウコンじゃない。色が似てるけど、効果は別モンだ」

「効果? 貴様なにか隠し事しとるわけじゃないよな?」

「違う。んなんじゃない」


 くそ! どうしたらいい! ちあきに今すぐ『この飲みもの飲んでみろよ』なんて言ったらどうなる? もし催淫効果が現れたらたいへんだ。親父がいる中でそれはマズい。色々と事情説明しなくちゃいけないし、飲ませたのがおれだってこともバレちまう。


 ケドまさか親父に飲ませるわけにもいかねーよな。親父に飲ませるなんてどこに事情があるっつう話だ。


 おれはだらだらと脂汗を掻いた。マズい! マズいマズいマズい! おれはこの状況を打破する術を思いつかねー! どうしたらいい! ここにもしドラえもんがいたら一も二もなく飛びついていることだろう。助けて! しかしこの状況はおれが招いちまったことでもある。おれが本屋で衝動に負けてあんな本を手にしなければ、こんな事態にはならなかった。親父がここに現れなければもっとよかった。ケド運命というのは巡り巡って結果を引き起こす。


 まったく、ついてねーぜ。


 神さま……来世はおれをイケメンにしてくれよ。



 祈りつつ、おれは――――自分でコップの中身を飲み干した。ちょっとぬるくなった感触が喉を伝っていく。こうするしかなかったんだ。そう、こうするしかな………………。




 おれは渋々二人の恋愛話に付き合うことにした。って言うかなんだこの状況。おれは妹と親父と恋愛話なんかしたことがなかった。ふつうそうだよな。


 まぁそれはともかく、おれはエッチになっちまう薬を飲んじまったってわけだ。笑えるだろ。


「でな、『私、あの日のことが忘れられない。貴様と過ごした日々も、とうてい、忘れることができないだろう。なぁ健吾、考え直してはくれないだろうか。わ、私なんだってするぞ。貴様が望むのならば、い、いくらでも好きなことをしてやるぞ』って言われちまったのさ。イヤーあのときは悩んだな。思ったよりも、モテる男って辛いんだなーと実感しちまったってわけだ。なーはっはっは!」

「パパってモテるんだね! いーなー! いつだって青春の日々を送ってたってわけだね! 私感激して目から鱗が出てきたよ!」


 どんな状況だ。ちあきは泣いた振りをした。もちろん涙は出ていない。お前わざわざ親父に話し合わせなくてもいいんだぞ。そんな奴の話なんか無視しちまえ! そうだ! おれなんて毎日無視しているぞ!


「『むりだ、お前さんとは付き合えない』おれは言ってやった。おれだって身を切るような思いだったさ。しかし男には時として決断しなければいけない状況ってのがあるもんでな。おれは決断したのさ。この女の子とは付き合えん、とな」

「好きな人がいたんだね」

「そうだ。そしてその好きな女の人が、まさしくちあきちゃんのママ、くろばさんだってわけだ」

「わー、ロマンティック! なんかすごい話聞いちゃったよ! ねぇねぇ春斗くん聞いた!? あれ春斗くん? なんか雰囲気変わってない?」


 おれは言われて、はて、と首を傾げた。たしかに怪しい薬はもう胃の中にまで到達しているだろう。しかし体に異変は起こってないし、第一あんな薬自体眉唾物ってもんだ。本当に効果があるかも疑わしい。ケドちあきに飲ませたかったってのは事実だ。おのれ親父め。


 おれは掌をなんとなく眺めてみた。べつにベルくんのように白く輝いているわけでもないし、おれにはそもそも英雄になりたいなんて願望はこれっぽっちもない。平凡な人生を送っているおれの将来は、やはり平凡なものになっていくことだろう。成績もほぼほぼ平均だ。ただのふつうの男、それがおれだ!


「そうかぁ? おれはべつに何ともねーぞ。お前の勘違いだと思うけどな」

「ほう、春斗よ。少しお前顔立ちが変わったんじゃないか? 昔と比べてずいぶん精悍になったというか、少し男らしくなったのではないかの?」

「んなわけねーだろ親父。おれは昔っからぱっとしない見た目だった。お前とは違ってな! 本当にうんざりするぜ。なんでモテる親父からモテないおれが生まれちまうんだろうな」

「春斗くん……それじゃパパの体から出てきたことになっちゃうよ……」


 おれはちあきのツッコミをどこか遠くで聞いていた。うん? 遠くで聞いたのか?


 おれは次第に違和感を覚え始めた。何だこの感覚は。今までに味わったことのないような高揚感だった。なんだ、なんなんだこの全能感は! コマリンは覚醒するときにいつもこのような全能感を味わっていたというのか。


 おれはコーヒーを飲んだときの百倍以上のエクスタシーを覚え始めていた。なんだ、ちあきの呼ぶ声が聞こえる。親父の呼ぶ声が聞こえる。つうことはあれか、おれは本当に何かしらの力に覚醒しかけていると言うことか? いやそんなことはない。おれはおれであって、おれの体はおれ以外のものじゃない。じゃあなんでおれはこんなに違和感を抱いているのだろうか。真相は神のみぞ知るってか? まさか。


 ゆっくりと、意識が遠のいていく――バチン! と耳の裏で音が鳴り響いたかと思うと、おれはちあきの上に覆い被さっていた。ちょ、まっ! お前何やってんの!? ここで言うお前とはまさしくおれ自身のことである。なんだこれ、まるで自由がきかねーぞ。しかも溢れんばかりの自信に満ちている。おれは一体なにがしたいんだ? と自問自答して、すぐに答えが出た。



 男としての本能がおれを突き動かしている。まるで催眠術に掛かってしまったかのように。



 マジでこれ効果あったの!? おれは内心でそう思ったが、体は言うことを聞いてくれない。なんでだよ、と思う暇もなくおれはちあきの耳元で囁いていた。


「子猫ちゃん、こんなに可愛い顔しちゃって。お前のあんよは今夜のおれだけの物だぜ……」


 なに言っちゃってんの!? きもちわりいわ! おれは赤面もののセリフを、赤面もののシチュエーションで囁いている。ウィスパーである。おれは今美少女にウィスパーしている。あわわわ……。


 ねっとりとした唾液、低い声。おいちょっと待てこれ本当におれの声かよ!


「は、はるくん……!? 急にどうしちゃったの!? ねぇはるくんってば………………なんか、いつもと違うよ?」

「は、ははは春斗! 貴様なにを親の前でおっぱじめようとしているのだ! しかも何だその髪型は! いつセットしたんだ!」


 親父の声だな。おれはその言葉が気になってふと姿見を見た。おれの顔立ちが少女漫画のヒーローのようにかっこよく整っていて、しかもなぜか知らないが髪型がオールバックからセンターパートになっている。韓国風イケメンとはまさしくこのことだ。女子ウケ最強の顔がおれの顔とすり替わっている。


 ってなんだこれ! おれは冷静に理性を取り戻す。しかし鏡に映った表情はイケメンのまま微動だにしない。なんだよこれ! おれは媚薬を飲んだはずであってイケメンになる薬を飲んだわけじゃないのに! いや違うのか!? 性欲を高めると言うことはすなわち性ホルモンを増加させると言うことであって、それがおれの顔立ちを変えたとでも言うのか! 何という科学の進歩! しかしおれがしたことはまさしくオカルトまがいのことである。


「は、はるくん………………ち、近いよ! ねぇはるくん…………」


 おれはちあきに体を擦り付けた。何やってんだマジで。しかしちあきはまんざらでもなさそうな顔をしている。ちょっと待って、こいつ汗ばんでやがる。


 ゆっくりと首筋を愛撫する。ちあきは「……んっ」と心地よい快楽に身を委ねるように声を漏らす。熱い吐息が交錯し熱っぽい瞳でおれのことを見つめてくる。


 おいおれ! そろそろ引き返さないとマズいことになるぞ! 本当にダメだよこれ! ラノベじゃ描写できないくらいのことが起こっちまうって!


 内面のおれが叫び散らかすと、その声が外面のおれに届いたらしく、おれの体はゆっくりとちあきから引き剥がされていった。おれの股間は言うまでもない状況に陥っていた。マジでなにしてんだよ……。


 しかしおれは止まらなかった。とまれよ! おれの性ホルモンは沸々と分泌されているらしく止まることはない。


 イケメンのおれはちあきの腕を取ると一気にそれを壁に押しつけた。ベッドの上でのできごとである。すなわちおれはちあきを壁ドンしているというわけだ。


「………………ぁ………………………………んっ……………………」


 艶めかしい声が漏れている。ちあきの声はなんと甘美なのだろう。しかしやはりおれは止まらない。実はおれはちょっと変態だったのかも知れない。いつしか外面が内面の自分にまで侵蝕してきているような気がした。


 もう止まらねーぞ。おれはまたささやくように言った。ちあきの肩がビクンと跳ねて、耳の先っちょまで真っ赤に染まる。まるで黄色く慎ましやかだったタンポポが、激しい愛情と愛欲の果てに深紅のバラに変わっていくように……。おぉ………………なんと甘美な………………。


「お前は一生おれのもんだぜ。マイハニー、今夜は寝かせないぜ」

「お……………………は……………………………………ん…………………………っ……………………くすぐったいよぅ…………………………」


 おれはそんなちあきが愛おしくなってきて、今度は頭の裏に手を添えてやった。


「きれいな髪だ…………。まるで絹糸のようだぜハニー」

「そ、そんなことないよ!? 春斗くんの方がきれいな髪してると思うよ!」


 こんなちあきは初めて見た。素晴らしい! 素晴らしいではないか! おれのちあきがここまでおれにぞっこんになっている。


 ――おいやめろ! そんなやり方卑怯だぞ! さっさとここから出しやがれ!


 おや、檻の中に閉じ込めていたもう一人の僕がなにかを言っている。しかしこの僕には聞こえないねぇ。もう僕の体は僕のものなのさ。ちあきを落とすのにもう一人の僕はいらないよ。この媚薬入りの僕、すなわちビヤクンが、絶対にちあきを落とすんだからねぇ。君は黙っていてもらおうか。アディダス! いやアディオス……! シーユー!


「貴様! いい加減にせんか! お前はまだ中学生なのだぞ!」

「しー、おいたはいけないぜダディ。それとも、あなたは息子が誘惑しているところを黙ってみてもいられない小心者の親だって言うのかい? はは。そんなんじゃ娘に笑われちゃうよ。なぁちあき、君はどう思う?」

「ど、どっちでもいいと思う! 春斗くんの好きにしたらいいんじゃないかな!」

「だってさダディ。さぁ出て行ってくれないか。これから僕とちあきのランデブーが始まるのさ。僕はちあきにとって宝石のような存在だし、ちあきにとって僕は世界で一番大事な花なのさ。世界に一つだけの花。それがちあきさ。ダディ、君は違う。男ならわかるよな?」


 おれはそっとダディのアゴをなで上げた。ゾクゾクゾクっとダディの体が震え、おれはダディを完全に虜にした。なんだ、この媚薬は男にも効果があったのか。しかしそんなことはどうでもよかった。


 あぁん、僕はちあきと二人きりになりたい! おれはちあきを今すぐにでも乱したくてしょうがなかった。その温もりに満ちあふれた体内で快哉を叫んで欲しい。全身を僕のモノにしたい。男としての欲望が! 本能が! ちあきに触れたいと叫んでいる! ちあきをどうしようもなく淫らな姿にしたいと叫んでいる! 素晴らしい! 


「ちあき、僕の目を見れるかい? そうさ、ゆっくりと顔を近づけよう……」

「春斗くん……目きれいだね………………へへ、いつもぱっとしないのに………………今日は全然違う…………私春斗くん好きかも……………………」


 おれはちあきに体を近づけていった。


 その瞬間――――――――!


 ばちん! とまた再び音がしたかと思うと、おれはベッドの上に仰向けになって倒れ込んだ。なんだぁ? ちくしょう頭がいてー。おれは一体なにをやらかしたというのだろうか。


「うおっ! ちあきなんだその恰好!」


 おれは思わず叫んでしまった。壁際に乱れたパジャマ姿のちあきがいる。嘘だろ? 頬が紅潮して、汗ばんでいる。なんでこんな状況になってしまったのかと思い返してみて、急速に記憶が蘇ってきた。そうかあの薬のせいかよ! 


 うわああああああああああああああああああああっ! やっちまったぜ! おれはなんてことをしてしまったのだろう。あの薬にはやはり効果があったのだ。それでおれはちあきを犯そうとした。色々な過程をすっ飛ばして抱こうとした。最低だ、マジで最低じゃねぇかおれ! もうこれ一生反省してもしきれないかも知れない。


 とりあえずちあきには謝っておこう。おれはいつものようにちゃんとセットしてあるオールバックの頭を下げてちゃんと謝罪した。そういやさっき髪型が変わったような気がするけど気のせいだろう。そんなはずはない。


「マジですまねぇ! おれ実はちあきに媚薬を飲ませようとして、けっきょく親父がやって来て自分で飲んじまったんだ! それでお前を襲おうとした! 本当に! 本当に悪いことだと思ってる! もう金輪際こんなことしねーよ! 神に誓う! 悪かった! ちあき、本当に悪かった! もうおれのこといくら罵ってくれたっていい――!」

「なんで戻っちゃうの!」


 ばちん! 今度もまた似たような音が響いた。しかし今回の音はおれの脳内で再生されたものとは違う。完全に頬をひっぱたかれた音だ。え? なんでおれはたかれてんの?


「せっかくかっこいいイケメンといい感じになってたのに! なんで! なんで戻っちゃうの!? うえーん! いつもの春斗くんだ………………」

「なんでそんなショックなの!? え!? なに!? さっきのおれなんかしたの!? なにが起こってたの!?」

「おう春斗よ。お前なかなかやるなぁとは思ってたのに、なんでぇ、また元に戻りやがって!」

「ちょっと待ってくれ! なんでおれ怒られてんの!? 期待外れみたいな顔されてんの!?」

「いつもの春斗くんだ……。うわ、いつもの春斗くんだぁ………………」

「だからなんでそんながっかりされてんの!? なんかごめん! おれ悪いことしたはずなのに、何かべつのところでがっかりされてない?」

「春斗、もしやその媚薬とやらでさっきの人格を手に入れたのか?」

「そうだけど、それがどうかしたのか? もう二度と飲まねぇよ。二度とな」

「むぅそうか。なら一つだけ頼みを聞いてもらってもいいか?」

「ンだよ親父。親父に頼まれるようなことなんて一つもねぇと思うけどな」



 何だってんだ一体。今日は一体全体なにかがおかしいような気がする。それもあのおかしな媚薬のせいだ。もう二度とこんな思いをするのはごめんだ。ハイド氏の気持ちが本当に理解できた。自分の理性の追いつかないところに、自分をいざなってはいけない。これ今日のおれの教訓な。きょう、だけに、っつってな! あっはっはっは。……全然面白くねぇな。


 まぁもういい。こりごりだ。おれは二度とあんな薬作らねぇからな!


 親父はバッと頭を下げた。そしてなぜかちあきまでもが懇願するように頭を下げた。


 そしてみごとにマッチングした動作で、こんなことをのたもうた。



「おれにあの薬の作り方を教えて下さい!」

「春斗くんお願いもう一回やって!」


「やらねぇよ!」


 おれは全力で叫ぶのだった。な、なんなんだこいつら! 


 おれは自分で自分が本当に怖くなったのだった。どんな怪奇小説よりも怖い展開が繰り広げられていたのかも知れない。みんなも、将来お酒の飲み過ぎとかには気を付けようね! おれもだけどな……。

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