第8話 家族
「待って!兄様!」
ユーリは幼少期、クロフォード家の令嬢として何一つ不自由なく幸せに暮らしていた。
大きな邸宅の手入れが行き届いている中庭は、花々が規則正しく咲きならんでいる。
美しい黒髪をなびかせ桃色のドレスの裾を両手であげながらユーリは兄を追いかけていた。
「ユーリ!?」
10歳年上の兄のヤーロンは追いついたユーリを軽々と抱き上げる。
ヤーロンの艶やかな黒髪がユーリの頬に触れユーリは少しくすぐったくて笑った。
兄ヤーロンとユーリは性別こそ違うもののその容姿はとてもよく似ていた。
黒髪に白い肌、小ぶりだが整った顔のパーツ。違うところといえばヤーロンはルビーの様な紅瞳だが、ユーリの瞳は愛らしいピンク色をしていた。
小柄なユーリはひょいと持ち上げられ、兄の首に両手をまわす。
ヤーロンは走ってきて乱れたユーリの髪を手櫛で整える。
「どうした?兄様はこれから剣術の稽古なんだ」
自分の妹はまるで天使の様だ。
かわいい妹が自分をおいかけきたことに嬉しい気持ちがその表情からあふれている。
「わたしも、剣術を習いたいわ。本をよむのはもう飽きちゃったのよ」
ぷっくりと両頬を膨らますユーリの柔らかな頬にヤーロンは目を細めキスをする。
「剣術の稽古は危ないんだぞ、怪我ばかりだよ」
兄ヤーロンの腕には新しい切り傷がいくつもあった。
「うぅ。痛そお」
ユーリは傷を見て顔を歪めた。
「このブレスレットは傷を治してくれないの?」
ユーリは兄のたくましい腕に巻かれた金色のブレスレットを触った。
成長期のヤーロンの腕はユーリの腕の3倍ほどはあるだろう。
白い肌が毎日の鍛錬でこんがりと日焼けをしている
その腕に鈍く光る金色のブレスレットそれは、メンフのブレスレットだった。
古びたそのブレスレットは家門の長子に代々伝わる伝統品で、聖女から守護を得られるという代物だったと言い伝えられている。
「ブレスレットはほんの少しの効果しかないんだ。そうだな…少し勇気が出るくらいかな」
ヤーロンは訝しげなユーリの顔を笑い頭を撫でながら言った。
「そうなの?本で読んだやつと違うね」
ユーリが本で読んだ魔法のお話に出てくるネンフのブレスレットは全ての怪我を治す勇者のアイテムだった。
「うーん。そうだなきっとそれは聖女様がいた頃のお話だろうな」
「…聖女様ってほんとにいたの?」
「お祖父様が子供の頃はいたらしいよ」
「どこにいっちゃったの?」
「亡くなってしまったんだって…大きな戦争があった時に」
聖女の存在は歴史上確かに確認されていた。
正確には聖人と呼ばれるその存在は1000年に1人生まれ、万能の癒しの能力を持つ。
聖人の生命力は強くおよそ500年は生きられ、世界に聖人が存在できるのは3人とされ2人が女で1人が男だとされているが、それらの情報のほとんどが噂や伝説の類だった。
それはというのも、聖人の保護のために情報は極秘とされることが多いからだ。
この国に聖女の存在が確認されたのは約100年前とされている。
その頃に起きていた大きな戦争で聖女が死亡したとだけ記録されている。
「今は平和に感じるこの国も、いつまた戦争になるかわからないだろ、だからしっかり鍛錬をして軍を強くするのが貴族に生まれた者の役割なんだって。こんな怪我どうってことないさ」
兄は優しく強くかっこいいとユーリは思った。
「だから、お姫様はお家で刺繍の練習をしていてよ。いつか兄様に家紋の刺繍をしたハンカチを作れるように」
ヤーロンは妹を抱え邸宅に向かい歩き出す。
「…ししゅう、ユーリへたなんだもん…」
しょんぼりと恥ずかしそうに下をむいたユーリがあまりにかわいく、ヤーロンは吹き出した。
「ははっ。いつか上手になるよ。たとえ下手でも一針一針思いをこめてほしいな」
「うん。わかった。兄様のご無事をお祈りしながらやってみる」
「ユーリの作ったハンカチがあればブレスレットより何倍も心強いよ」
ユーリを抱きかかえたヤーロンが中庭を通り邸宅に着く。
そこには、2歳年下の弟アルフレッドが泣いてうずくまっていた。
「アルフレッド!どうしたの?」
ユーリはぴょんと兄の腕から抜け出し、弟にかけよる。
「姉様!ひどいよ、僕に何も言わずにどっかいくなんて」
アルフレッドはユーリに飛びついた。
「ごめん、ごめん」
ユーリはアルフレッドの涙を手で拭う。
「本を読み終わったら、姉様がどこにもいないんだもん…」
ヒックヒックと小さい肩を揺らして泣き止まないアルフレッドにユーリは少し困り顔で答える。
「わたしは飽きちゃったけど、アルフレッドはまだまだ本が読みたいのかと思ったから…邪魔をしないようにそっと出て行ったの」
ユーリはよしよしと頭をなでて、次から次へと溢れる弟の涙をぬぐい続けた。
「まぁ。3人とも何しているの?」
母親のローズが子供達を見つけ駆け寄る。
「母様!」
アルフレッドは母親の元へ走り寄り抱きついた。
「ユーリが僕をおいかけて、アルフレッドがユーリを追いかけてたみたいだよ」
「あらまあ、仲良しだこと」
アルフレッドを抱き寄せ頬をよせる。ローズにはまだまだ末の子は赤子のようにかわいい存在だった。
「ヤーロン、剣術の稽古はどうした?従者がお前を探し回っているぞ」
公爵である父親が邸宅からあわれた。父親のザインは執事を3人も連れていつも忙しそうにしている。
「あっ!申し訳ありません…今すぐに向かいます」
バツが悪そうにヤーロンは父親に一礼してから早歩きで門へ向かった。
「兄様、がんばって!」
ユーリとアルフレッドがそろって兄に声援を送る姿を、夫婦は微笑んで見つめた。
しっかり者の父と、気が弱いが優しい母。
兄ヤーロンは活発で頼れる存在、
弟のアルフレットは甘え上手で可愛げがあった。
そんな幸せな家族はユーリが10歳のある晩、突然変わってしまった。
邸宅で大火事が起きたのだ。
その火災で兄ヤーロンは命を落とし、弟のアルフレッドは意識不明の状態で発見される。
ところが一緒に寝ていたユーリだけは無傷で救助された。
なぜユーリだけが無傷だったのか、調べたところユーリは炎の魔術師だと判明した。
そのため火災の原因は不明とされたが、ユーリの炎の魔力の覚醒が原因だと人々は噂するようになった。
さらなる悲劇は、母親が息子の死を受け止め切れなかったことだ。
ユーリの赤い目をみると火災を思い出し怯えるようになり、精神状態が不安定になっていき、半年ほどですっかり正気を失った。
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