第16話
昼休みは想像以上に本の返却する生徒が殺到し雑談する余裕すらなかった。五時間目が始まることを告げる予鈴ギリギリまで受付と本棚の往復を繰り返していた気がする。
「やっぱり白川さんにもう一度話を聞きたいな」
取っ掛かりの制服を知っている白川さんなら露子さんのことを知っているのではないかと北条君と相談し、放課後に逢いに行くことにした。授業が終わってすぐ二人で図書室を訪ねたが白川さんの姿は見えなかった。受付当番をしていた先輩に訊ねると、他の生徒と予定があると図書室の中にある司書部屋こと「白川さん相談室」に引っ込んでいると言う。ここで相談事にのっているらしい。
あてにしていた白川さんと話が出来ないなら学校にいても仕方がない。捜査会議と称して喫茶アンティコで話し合うことにした。ゲンさんは香しい紅茶と、試作品のジンジャークッキーをご馳走してくれた。人型や動物型でくり抜かれたクッキーは目で見ても楽しい。
「露子さんは白川さんのこと知ってる?」
「知らないわ。初めに言ったけど自分とあなたの名前しか覚えてないのよ。あてにしないで頂戴」
私を挟んで北条君と反対側の椅子に腰をかけた露子さんが投げやりに言った。実際に座っているわけではないだろうから「そういう振り」というのが正しい。椅子に合わせて中腰でカウンターに肘をついている。
自分のことだというのに他力本願だなと少し不満に思う。口には出さなかった。まだ知り合って二日も経っていない。関係を拗らせるには早すぎると我慢した。
「こら露子。おまえのために動いてるんだろう。そういう言い方はやめなさい」
まるで親のような口ぶりでゲンさんが窘めると露子さんは、ふんっとそっぽを向いた。生きていれば二十代、あどけない顔に制服の効果もあって、そこにいる幽霊は生前と変わらないただの中学生にしか見えない。死んでいると精神的な成長もみられないものなんだろうかと呆れ肩でため息をついた。
「この辺りに和傘を売ってる店って知ってますか?検索しても出てこなくて」
ゲンさんは首を横に振った。拾った頃はこの町に来て日が浅かったと話す。だからその頃町に詳しくないそうだ。
私も考えてはみたが、和傘が売っていそうな店は京都や奈良のような古き良きと呼ばれる古都か、あるいは日本らしさを強調する観光地のお土産屋さんしか思い浮かばない。
「そもそもあの和傘売り物じゃないと思うんだよね」
「え、そうなんですか?」
「うん。俺も傘について詳しいわけじゃないけど、紙の貼り方も雑というか、皺になってたし、傘の折り目も均等じゃないし。職人が作ってるとは思えないんだよ」
「どこかで和傘作りの体験で作ったとか?」
「それだったら修学旅行で作ったとか。観光地とかならありそうじゃない?」
私と北条君は当たれば儲けもの位の気持ちで思いついたまま口に出す。
「和傘作るのって結構時間かかりそうだよな。行程を省いて一部だけだとしても、お金もかかりすぎるから中学校の修学旅行だと無理があるかも」
ゲンさんはスマホの画面をスワイプながら言う。
「取り憑いたくらいだし、思い入れがあるものだとは思うんだけどなあ」
スマホをエプロンのポケットに落としたゲンさんは、話せるだけの見えない露子さんにプレッシャーをかけるようにわざとらしく語尾を大きくして言った。
「煩いなあ!風花、帰るわよ」
「え、もう?」
「この辺散歩して帰ればいいでしょう。何か思い出せるかもしれないしい?」
負けじとあてこするようにカウンターを乗り出してゲンさんに向かって言った。癇に障る馬鹿にしたような表情だったがゲンさんには見えないので意味があるとは思えない。露子さんはそそくさと出窓をすり抜けて出て行った。
「もう仕方ないなあ。ごめんなさい。露子さんが外に出ちゃったので今日は失礼します。せっかくだし露子さんと近くを散策してから帰ります。お茶美味しかったです。おいくらですか?」
メニューに載ってた金額を思い出しながら財布を取り出した。ゲンさんは「いい、いい」と手を横に振って受け取ろうとしない。
「露子の面倒みてもらうお駄賃だと思って。寧ろこれくらいじゃ足りないから」
ラッピング用の袋に先程食べたクッキーの残りを入れている。素朴な懐かしい味だった。商品になるかはわからないが好きな味である。
「これ持って行って。試食用で申し訳ないけど」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
差し出された紙袋の底を支えるように両手で受け取る。まだほんのりあたたかい。
「近場の散策なら僕も行くよ」
北条君は立ち上がり先に玄関へと向かった。
「え、いいの?」
「それくらいお安い御用。じゃあ行ってくる」
外に出ると意外にも大人しく露子さんが待っていた。
「遅いわよ」
「はいはい。お待たせ」
「あら、坊やも一緒に来るの?」
「案内してくれるって」
「ふーん…あっそ」
「露子さんなんだって?」
「案内ありがとうって言ってる」
「言ってない」とむっとして大きな瞳で睨みつける。黒目がまっすぐに私を貫くが子猫が必死に威嚇しているようにしか見えないので別に怖くはない。感情を素直に表現できる露子さんが可愛らしいとすら思う。
暫く住宅地をプラプラ歩いていた。住宅地を抜けると天井のない小さな商店街がある。入口のアーチには橋戸商店街と書かれている。個人経営の昔ながらの店が並び、それぞれの店から呼び込みする店主の活気ある声や、買い物客と店員の談笑する声がする。途中お肉屋さんの女将さんから声を掛けられたことと匂いに釣られて揚げたてのコロッケを買ってしまった。
「ここのコロッケ絶品だよ」
匂いだけでわかる気がした。勧められる前にサクっと一口齧った。肉汁がしみこんだホクホクの芋が舌の上で熱々と転げまわる。北条君も続けて噛り付いた。
胡椒がきいたシンプルで素朴な味が、もう一口二口と口が求め、あっという間に平らげてしまった。露子さんも香りを充分に堪能し満足げな顔をしている。
「幽霊ってお腹空かないの?」
「全然。匂いが食事みたいなものだから。それに空いても困るでしょう。食べられないんだから」
「それもそうか」
食べられないことを勝手に可哀そうだと思っていたが気にすることないとわかりほっとする。
商店街を抜け切っても露子さんの記憶に引っかかるものは何一つなかった。
「学校に行ってみる?入れないと思うけど」
北条君の提案で露子さんに関する情報のひとつ、通っていたと思われる橋戸中学校にやってきた。深緑色のセーラーや学ランを着た何人もの生徒とすれ違う。すれ違いざまに私たちを見る視線がチクチク刺さる。「どこの制服?」「あれ私立のじゃない?」「なんの用だろう」など話す声が聞こえる。違う制服というだけでこんなに目立つものかと居心地が悪かった。
露子さんが着ている制服とはがらりと印象が変わっていた。露子さんの制服は全体的に重厚感がある紺色のセーラー服である。襟元とネクタイに二本のラインがひかれている。今の制服はチェックのスカートも相まって爽やかな印象だ。
「露子さん、どう?」
「どうって言われても」
腕を組んで眉間に皺を寄せている。喫茶店での素っ気ない態度が嘘のように必死に思い出してるように見える。ゲンさんに言われたことはそれなりに気にしているのだとうか。私に全部任せるような口ぶりだったのに、思ったより真剣に思い出そうと努力してるのだと内心驚いた。
「校舎に入れたらよかったけどやっぱり無理そうだね」
今は開かれているが、門には『関係者以外立ち入り禁止』と赤い字ででかでかと書かれた看板が貼りつけてある。見逃しました、などいう言い訳を許さないと主張しているようだった。
露子さんは学校を眺めていたと思いきや、帰宅する生徒たちの背中をじっと見つめていた。口をきゅっと結ばれ視線は生徒に向いているが、その目は悲しい色を映しているように見えた。
「なにか思い出した?」
「…いいえ。でもここは好きじゃない」
「え?」
「なんか、この辺、ざわざわするの」
胸を掌でさすってみせた。学校の方に向きなおし眉間に皺を寄せたまま睨みつけた。ぎょっとした。私を睨みつけた目とは全く違っている。その目は憎悪、悲哀、やるせなさなどが混じった色をしている。深淵を覗くとはこういうことだろうか。恐ろしいとは思いつつも目が離せない。
「帰ろう、露子さん」
もしかしたらこの憎悪が露子さんを幽霊にし、この世に縛り付けているのかもしれないと思うと憐憫の情が掠めた。しかし哀れに思うのは彼女には失礼だと考えなおす。つかめない手をとろうと伸ばしてみたが、露子さんはまたそっぽを向いて学校を背にした。帰宅する生徒の後ろについていくように浮遊して行った。