第11話
「でも今はまた話しているってことですよね?」
私は和傘に目をやり訊ねる。話を聞いて幽霊の存在を肯定的に受け入れて始めていた。思ったよりずっと冷静でいることに自分自身酷く驚いた。
「そうなんだよな。中学も、高校も一回もとは言わないけど、殆ど無視していたんだよ。なのに、こいつときたら…」
目を据わらせ恨めしそうに言った。どうやら和傘の幽霊が何かしらゲンさんに向かって話しているのだろう。彼は「うるさい、わかってる」とあしらった。
「こいつは十年前に粗大ごみ置き場に棄てられていたんだよ」
店にあるアンティークよりはずっと新しいものだが、私にとっては十分古いものに思える。
「最初は放っておいたんだけど、それはもう!しつこく!うるさく!話しかけるもんで、どうしても無視できなかったんだよな」
和傘の少女に向けて声を張り上げた。きっとまた言い合いをしているのだろう。最初の言い合いとは違い楽しそうに見えた。
「幽霊とは拘わらないって決めていたのにどうして十年も一緒にいるんですか?」
「まあ…暇だったから」
思っても居ない返答に拍子抜けした。幽霊になって物に憑いているなんて哀れだからとか言うのだと思っていた。それは心の変化からくる私の意見であることに気付く。
「その頃はまだ喫茶店も軌道に乗っていなくて、店長…草介のお母さんが買ってくる
アンティーク品の知識もないから、とにかく暇で暇で仕方がなかったんだ。だから十年以上ぶりの気まぐれをおこしちゃったってところかな。特に悪さをするわけでもなかったから暫くは話し相手として置いていたんだけど、逆に捨てにくくなっちゃって。ずるずると十年もここにいるわけ」
これだけうるさく喋るとなんか捨てるのも心苦しいしねと言う。ふと疑問がわいた。
「十年もここに住んで?いるのに、今になってどうして私に?」
すでに気付いたこともある。北条君がどうして図書委員会に入ったのか、どうして喫茶店に誘ってくれたのか。きっとこの和傘を渡すきっかけを探していたんだろうか。もしそうだとしたら、今までの彼とのやり取りがなんだか空しく思える。
「偶然なんだよ」
「偶然?」
「そう。草介が図書委員会に入った話を此処で話してたら、風花ちゃんの名前が出たんだよ」
北条君が自分のことを家族同然のゲンさんに話していたことにどきりとした。現金だなと心の中で自嘲する。
「そうしたら、こいつ恐ろしく食いついてきて、風花ちゃんのことを知ってるって言うんだ。詳しくは話してくれなかったけど必死にしつこいくらいに知り合いだ、友達だって縋って来たんだよ」
ゲンさんによると、これまで和傘の幽霊は自分の名前くらいしか記憶がなかった。記憶が戻ったわけではないが何故か私の名前は知っていると確信したそうだ。
「こいつによると、生前の記憶がないのに存在はしていて、でも成仏は出来ない状態はそれなりに苦しいらしい。それに関しては俺も気の毒と思っているんだ。今まで知り合いの名前なんて出たことがなかったから、もしかしたら何か思い出す突破口になるかもしれないと思ったんだ。ただ騙すように君に渡したのは本当に申し訳なかった。こいつの口車に乗せられたのは俺の失態だ」
「口車?」
「『私が思い出したんだから、絶対あの子も私のこと覚えてるわよ!』って変な自信持ってて、驚かせたいから黙っててって言われてな。でも一昨日きみから幼少期の記憶があまりないって聞いたときに、やっぱり止めるべきだったって後悔してる。混乱させて悪かったよ」
突然の声高なわざとらしい少女の口真似に思わず吹き出しそうになる。笑っても構わないのだろうが、真剣に謝る姿をみると笑うのは失礼かと思い、痙攣するみたいにぴくぴく動く唇をきゅっと噛み必死で我慢した。
「草介も嫌がってはいたんだけど、頼み込んで君を連れてきてもらったんだよ」
北条君の行動ひとつひとつに一喜一憂していることを見透かされたようで顔が熱くなるのを感じた。それでも彼が進んで一連の出来事に加担しているわけではないと判り眉を開いた。
「改めてお願いしたい」
ゲンさんは襟を正し、背筋をぴんとまっすぐにたてる。
「こいつと話してくれないかな。こいつが自分から求めることなんて滅多にないんだ。それも肉体を持たない幽霊が出来ることなんてそう多くはない。決して悪いやつじゃないことを俺が保証する。もし嫌だと思ったらいつでも返しに来てくれて構わないから、一度だけでもチャンスをくれないかな。どうかこの通り」
恭しく頭をさげた。ここまで話を聞いた手前、断るつもりは毛頭なかった。自分に何かが出来るなんてどうしても思えないが、話を聞く前に断るのは気が引ける。二日間避け続けた赤い和傘を手に取った。
「私に何が出来るかは判らないけど。私で良ければ」
幽霊と話すなんて、まだ信じられないし肝が据わったわけでもない。それでもここまでゲンさんが話してくれたこと、そして真摯に謝ってくれたことをふいにするには心が痛む。それでももし自分が少しでも力になれるならと引き受けた。