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和傘をさす少女  作者: 桝克人
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第10話

 ある日、いつものように幼稚園から帰ると大きな声で朗読をしていた。公園に行こうとせがまれたが、外は肌寒く天気も良いとは言えなかったので家で過ごすように言い聞かした。


 母親は昼ご飯の片づけ終わったところである。パソコンを開いて翻訳の仕事にとりかかる。小遣い程度の稼ぎではあるが、好きな仕事ができるし子供と過ごせるので母親にとっては天職であった。ゲンの音読をBGMにし、気合を入れて仕事に取り組んだ。


「ねえねえこれなんて読むの?」


 ゲンの質問に顔をあげる。しかしゲンはいない。隣の部屋で相変わらず本を読んでいた。


「ゲン?今お母さんのこと呼んだ?」

「呼んでないよ!ヨシじいじと話してた」


 ヨシじいじ?イマジナリーフレンドのことだろうか。「じいじ」と呼んでいるということはお年寄りの友達ってこと?同じくらいの年頃の友達を想像していただけに驚愕した。


「ねえゲン。ヨシじいじって誰?」


 ゲンはきょとんと母親を見つめた。


「えっと、ヨシじいじはいつもご本を読むと偉いねって褒めてくれるんだよ。あとね、難しい字を教えてくれるの」


 手元にある本をみると、漢字が含まれている本であった。それまで疑問に持たなかったことが自分でも信じられなかった。「何て読むの?」なんて一度も聞かれたことがなかった。寝る前に読み聞かせをしているので内容を覚えているのだと思い込んでいたのである。


 思い返せば普段ならお喋りとともに、質問も矢継ぎ早にしてくるのに本のことについては何も聞いてこなかった。


「よ、ヨシじいじって、どんな人?此処にいるの?」


 冷静をつとめてはいるが声が震える。


「うーんと…声が聞こえるんだよ。見えないの。じいじはね、此処に住んでいたんだって。僕たちが来る前にここで『しんだ』って言ってたよ。おうちに『ついてる』って言ってた」


 あどけない顔でニコニコと語るゲンとは裏腹に母親の顔がすっかり青ざめてしまった。母親はすぐに大家に電話をした。自分たちが此処に来る前に住んでいた住民を訊ねた。大家は個人情報だと言い渋っていた。どうかどうかと電話口で頭を下げながら頼み込んだが口を割らなかった。


「もしかして前に住んでいた人って此処で亡くなっているんじゃないですか。ヨシ、おじいさんそういう名前の…」

「え、やだ。知ってるんじゃない。なによ。知らないみたいに言うなんて。試すような真似しないでよ。そうよ。病気でね。亡くなったの。奥さんはすぐに施設に入ることになって息子さんが引き払ったのよ」

「そ、そうですか。それならいいんです。いえ、はい、お騒がせしてすみません。それでは…」


 受話器を置いた。手が震えていた。


「ママ?」


 ゲンは母親のスカートの裾を引っ張って心配そうに見上げた。ゲンは変った子供なんかじゃない。普通の子供だ。そう言い聞かせるように小さな手をぎゅっと握る。


「ママとおでかけしようか。遊びに行こう」


 むき出しのハンガー掛けからジャケットを取って着せる。ゲンは遊びに行けるとわかると、テンションがあがったのか雄叫びのような声をあげた。その辺にあったカバンに財布と携帯だけ入れて出かけた。なんの解決にもならないと判っていても、すぐにでもこの家を離れたかった。


 暫くとぼとぼと散歩をしていた。ゴロゴロと空が唸り始めた。天気が悪くなりそうだから出かけるのを控えていたのに、傘を持ってくるのを忘れている。仕方なくファミリーレストランに行くことにした。許される限り暫く時間をつぶそう。出来れば夜ご飯も食べて帰りたい。とにかく今はゲンと二人で家にいたくなかった。


「ここはどこ?」


 初めて入るファミレスにゲンは目を輝かせた。


「ファミリーレストランよ。ごはんやおやつを食べるところ。ホットケーキでも食べようね」

「ホットケーキ!やったー!!」


 母親の心配も他所に好物のホットケーキが食べられることに体を仰け反らせて喜ぶ。店内はパラパラと先客がくつろいでいた。お昼時も過ぎて空席が多く、すぐに案内してもらえた。


「ホットケーキください!」

たどたどしくもはっきりと言うゲンに、注文票を持ったアルバイトらしき若い女性が「にこやかに応対してくれた。母親は「飲み放題二人分」と付け加えた。ホットケーキを待つ間、ゲンは自作のホットケーキの歌を即興で作り口ずさんでいる。母親に「静かにね」と言われると口を閉じてハミングした。母親はホットケーキを待つ間に父親にメールを打ち、暫くファミレスにいることを伝えた。そう待たないうちにホットケーキと子供用のプラスチックのコップに入ったミルクを持って注文を受けた女性が帰ってくる。


「お待たせしました」


 間延びした甘ったるい声に釣られて、思わず余所行き声で「ありがとう」と返すと、ゲンも真似をするように「ありがとー!」と大きな声で返事をする。女性はくすくすと小さな子猫を愛でるように笑った。


「切ってあげる」


 ゲンの前に出されたホットケーキの皿をずるずる引き摺った。ナイフとフォークをカトラリーから取り出す。ホットケーキの熱でとろりと溶け出したバターをナイフで軽く押さえ、くるりと円をかくように満遍なく染み入らせる。ゲンの口に合わせた大きさに切り分けた。自作のホットケーキの歌に合わせてゲンの頭が左右に揺れている。最後にはちみつをたらしてゲンの前に皿を戻した。


「はい、おまたせ。ゆっくりよく噛んで食べなさいね」

「いただきまーす!」


 今か今かと待ち構えていたゲンはすでに合わせられていた小さな手を挨拶と共に解き、子供用のプラスチックの小さなフォークを手に取って一番大きく切られたホットケーキに突き刺した。口いっぱいに頬張ると、もちもちの頬っぺたがリスのように膨らむ。少し大きすぎたかな。喉に詰まらせないかハラハラと見守りながら、「牛乳も飲むのよ」とプラスチックのコップを差し出した。ゲンは口に広がっている甘さを堪能するかのように何度も咀嚼する。嚥下した後口の中に残った甘さを消したくないのか、まるでおちょこで日本酒を飲むおじさんのように牛乳をちびりちびりと飲んだ。


「幼稚園で絵本読んだんだよ。ホットケーキかいてあったよ。みんなでおいしいね、おいしいねって食べたんだー」


 テーブルを絵本に見立てて、見えないホットケーキを指でつまんでは口に運ぶ仕草をする。普段なら、集中してごはんを食べなさいと注意するところであるが、今は出来る限り時間を長くつぶしたい。ゲンの長いお喋りが今ほどありがたいものはなかった。


「一体どうしたんだ?」


 ファミレスに入って三時間くらい経った。初めこそにこやかに対応してくれていた女性を始め、従業員の視線が突き刺さり居た堪れなくなった頃、父親は姿を現した。残業が当たり前でこんなに早い時間に帰ってくることは珍しい。額に汗をにじませた父親を見て漸くほっとできた気がした。ゲンはお腹も満たされ、喋り疲れたこともあり、母親の膝に頭をのせて寝息を立てている。

 父親は目が合った従業員に頭を下げて呼び寄せる。メニューを受け取りテーブルに広げた。他のページにも目もくれず、肉類のページを開いた。即断即決でステーキに決めたようだ。母親はドリンクバーだけでは時間をつぶせず、結局サンドイッチも食べてしまい今はお腹が空いていない。飲み放題の時間制限も疾うに過ぎてしまったので紅茶だけ追加で注文した。


「幽霊?」


 家を飛び出しファミレスで時間をつぶしていた理由を話した。それを聴きながら熱々のステーキを頬張る。どんなに深刻な話をしていてもにやにやしながら食べる姿がゲンと全く一緒で呆れ半分思わず笑ってしまう。


「うちには死んだおじいさんが今も住んでいる?憑いているってこと?」

「偶然かもしれないけど、私たちが引っ越す前に、確かにゲンが言ってた『ヨシじいじ』が病気で亡くなったって大家さんも言っていたの」


 父親はステーキを食べるのを辞めずに難しい顔をする。


「今までゲンは独り言の多い子だと思ってたけど、そうじゃなかったのよ。あの子は会話をしていたのよ。信じられないけどさ…ゲンは懐いているようだしヨシじいじは多分いい人よ。でも他にも幽霊と話していて、ゲンになにか悪い影響があるって考えると怖いのよ」


 母親はこめかみを抑えながらおでこを両手指で前髪をかき分けて撫でる。父親は黙ったまま何度か頷いた。


「あの家を離れたい」


 ゲンが悪いわけではない。それでも母親にはゲンが幽霊と話せるという現実を受け入れられなかった。

 その後、父親は迷わず引越しを提案した。休みの日に二人で不動産屋をはしごして、比較的新しいアパートに決めた。それ以来お喋りのゲンは人並みになった。ヨシじいじと話せなくなったからではない。ファミレスで両親の話を眠ったふりをしながら耳をたてていた。そこで見えないものと話すことで母親を困らせると知ったからである。


 ゲンは幽霊の声が聞こえても返事をしないと決めてからは徹底的に守り続けた。両親はお喋りが少なくなったゲンを心配していたが、年を重ねるごとにあれは子供特有の『不思議な力』だと結論付けた。

 両親を困らせないためだけではなかった。相変わらず幽霊の声は聞こえていた。話しかけられることもしばしばあった。それでもゲンは極力それを無視することにした。母親の杞憂通り、全ての幽霊が善人ではないことを知ったからである。

小学校低学年の頃、「さみしいさみしい」としつこく声をかける老婆に気まぐれに返事をしてしまう。子供たちの遊び場である空き地に落ちていた糸車を拾った。困っているからと言われ、子供ながらに一人ぼっちは不憫に思い話し相手になるくらいならと老婆の声に誘われた。そこは入ってはいけないと大人から口酸っぱく言われた雑木林だった。直前になって駄目なやつだと直感で悟り、糸車を放り投げ踵を返して必死に走って逃げた。背中できいた老婆の恨めしそうな声に連日うなされることになる。

高学年になってから聞いた話によると、そこは昔姥捨て山だったそうだ。よく子供が迷い込み神隠しのようにきえてしまうという。子供たちはただの怪談話で通っていた。実際に誘われてしまったゲンは恐ろしくなり、それまで以上に幽霊を避けるようになった。


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