【永禄五年(1562年)三月上旬】
【永禄五年(1562年)三月上旬】
対北条戦線は、一進一退の攻防が繰り広げられている。そして、軍神殿のところには、越中方面からの使者が幾度か訪れており、気持ちが三国峠の向こうに飛んでいるらしい。
俺は軍神殿の了承を得て、北条一門で現当主の氏政の弟である藤田氏邦を小田原に送り戻すことにした。もちろん大福御前も一緒である。
和議のタイミングもないまま、なんとなく内政で便利使いしていた状態だったが、さすがにこのままずるずるは好ましくない。
呼び出した氏邦と大福御前にその旨を告げると、何やら呆然とされてしまった。新しい和菓子の話でもされるのかと思っていたようだ。……まあ、この夫婦と俺の話題は、確かに和菓子が中心だったかもしれないが。
「大福御前の作ってくれた和菓子は、今後も新田で愛され続けるだろう。もちろん、新田風の料理も洋菓子も、小田原で好きに作ってくれ」
「いえ、北条のお家で、厨房に入れるとは思えません」
「そういうものなのか?」
「はい。武将の妻は、家の中のことを差配する役割が重視されます」
「そうか……。なら、菓子職人を幾人か連れて行け」
「よろしいのですかっ」
大福御前のふっくらとした頬が輝く。
「ああ、和菓子開発でそれくらいの貢献はしてくれたからな。……それとも、諜者扱いされちゃうか?」
「いえ、なんとしても守ります」
なら、気が合いそうな和菓子、洋菓子職人と料理人を見繕うとしよう。
「上杉勢の一翼を担って、北条領に攻め込んでおいてなんだが……。北条とは積極的に戦いたくはない。ただ、現状では輝虎殿と一蓮托生なのでな」
藤田氏邦は、表情を意識してきつくしたようだ。
「上杉もろとも、新田を滅ぼすことになるかもしれません」
「そうだな。まあ、お互い元気でやろう」
希望を聞いて、船で江戸湊まで連れていき、護衛付きで送り出すことにした。
気分転換に厩橋城下を散策していると、剣聖殿が声をかけてきた。
「よお、主君。あれも、護邦殿の仕掛けよな」
相変わらず気安い感じだが、この人物にかしこまられたらこの世の終わりな気がするので、よしとしよう。
「どの話かな?」
「そんなに幾つも仕掛けてるのか? あれだ、らーめんだ、らーめん」
「ああ、その話か」
耕三によって完成に導かれたさっぱり風味の醤油ラーメンは、伝授された料理人によって試験的に屋台で供されて、大行列を作っているらしい。
「重臣特権で優先して食べられるようにしろ、なんてのは趣味じゃないんだが、さすがに徹夜組まで出るのはまずいだろ。ちらほら家中の有力人物が並んでるから、政務が滞りかねない」
「本音は?」
「もっと気軽に食わせろ」
「正直だな。……ちょっと、行列をわざと作って話題性を演出しようって思惑はあったんだ。確かに、これはやり過ぎだな。早急に改善する」
「おう、頼むわ。……それにしても、いつの間に林崎甚助を側近にしてたんだ」
「いや、なんかついてくるんだよな。でも、話してると落ち着くんで」
甚助もまた剣豪なのだろうが、彼らに特有の覇気めいたものが感じられず、穏やかに過ごせるのだった。そして、愚痴めいたことを口にしても余計な反応をしない、というのもいい点だった。
「まあ、さすがに領主が単独でふらふら歩くのは不用心だからな。甚助の居合術があれば、鉄砲でも持ち出されなければ安心だろう」
自分が話題にされても、居合の創始者である人物はどこ吹く風といった風情で佇んでいる。道場とか作らなくていいのだろうか? まあ、落ち着くからいいか。
娘の柚子は満一歳を過ぎ、つかまり立ちをする段階に到達していた。子育て経験のある侍女らからすると、月齢のわりにやや大きめらしい。
子がいる家臣は、岩松守純や里見勝広に、上泉秀綱あたりもそうなのだが、この時代は男性が育児に参画する雰囲気はなく、参考になる話は聞けなかった。蜜柑は侍女らから色々と聞いているようだが、頼りになる先達が現れた。明智光秀と煕子夫妻である。
子育てについて聞きたいとの招きに応じてくれた夫人の、左頬の痘痕は目立たないと言ったら嘘になる。だが、穏やかな佇まいからも気になるものでもない。
そして、倫と礼の二人の姉妹も一緒にやってきていた。五歳と三歳の可愛らしい少女たちである。
特に倫が柚子を抱いている仕草は、俺よりもよほど慣れている感じで、姉としての貫禄が滲んでいた。
「では、この倫殿が、美濃を退去された時に煕子殿のお腹の中にいたわけですか」
「はい。落ち延びようとしているのにつわりがひどくて、どうなるかと思いましたが、この人が背負うと言い出しまして」
「これ、煕子。殿の御前であるぞ」
「よいよい。今日は子育ての先達として、教えを乞うために招いたのだ」
「そうじゃぞ、光秀も師匠筋なのじゃ」
「いえ、それがしは……」
「越前では、子育てに参加したのだろう?」
「ごく僅かな人数で落ち延びましたので、手が足りませんでしたのでな。寺子屋で教える他は、たまの使者仕事くらいしかございませんで」
斎藤利三も、後に婿入りして明智秀満となるはずの三宅弥平次も一緒ではなかったようだ。
「薬を売ったりはしなかったのか?」
「この人、頼まれれば処方はするのですが、代金を受け取らないのです」
やや不満そうな妻に、光秀が抗議する。
「医者にかかる金がないからわたしのところに来ているのに、金が取れるわけがなかろう」
「ですけど……。まあ、その方々が野菜などを分けてくださったおかげで、今があるのですが」
「その頃に、ご夫人の髪を?」
「殿、どうしてそのような些事まで……」
慌てる光秀の声を、頷いた煕子殿の答えがかき消す。
「そうなのです。連歌のつながりは大事だとは思うのですが、どうにも余裕がなくって。髪には、痘痕はありませんしね。……あの、護邦様。いまさらですが、姫様もいらっしゃるのに、わたしがご一緒してよかったのでしょうか」
「なんの、完治した疱瘡に影響などあろうか。それに、どこで拾ってくるかわからないしな。天竺や明などでは、わざとかからせて、軽く済ませるとも聞くが……」
牛痘がワクチンになるんだったよな。いや、馬痘だったか。医術組と相談してみよう。
「けれど、姫様に万一のことがございますと」
「そのときはそのときじゃ。実際、倫殿、礼殿は健やかなのじゃろう?」
「それは、そうなのですけれど……」
「光秀だって、気にせずに結婚したのだろうに」
「この人は、変わり者ですので」
光秀は夫人の言葉を字義通りに捉えて不満そうだが、煕子殿にとっては信頼感と愛情の表明なのだろう。まあ、その関係性が、この夫婦の絆をより強いものにしているのかも。
「ただ、連歌が縁でこうして新田の殿に呼んでいただいたんですから、わたしも髪を切った値打ちがあったというものです」
「連歌絡みというわけではないんだが……」
「そうなのですか? てっきり、近衛様のご推挙だとばかり思っておりましたが」
「まあ、関白殿下の手紙がなければ来てくれなかっただろうからな。間違いではない」
神隠し絡みで得た能力は、家臣には話しているのだが、どこまで把握できているかはぼかして伝えている。実際問題、この光秀に、いずれお前は足利義昭に従って織田家を頼り、そこから織田家臣となって、天下人となった信長を討つはずだったんだ、と伝えたところで、まともな対話になるとは思えない。
しかし、史実での光秀は、土岐の家臣として斎藤道三に両属するような形から土岐氏が放逐され、義昭の家臣として織田信長と両属するような形から義昭追放と、似た展開が重なったことになる。信長に重用されていたために退転も難しかったのだろうが、この人物の本来の在りようからすれば、義昭追放の時点で織田家を出るべきだったのかもしれない。
ただ、今日の本筋は育児についてである。はきはきと話す倫も交えて、明智夫妻の育児の経験談で盛り上がったのだった。
大道寺政繁や大谷休泊が、若手の内政要員と額を寄せて相談している場面が増えると、春が近づいたんだなあ、との実感が湧いてくる。農業向けのあれこれは、引き続き重点対応事項となっている。
大道寺政繁には各地の城を預ける形で経験を重ねさせているが、やはり治水や土木系の仕事が性に合っているようだ。大谷休泊は、形としては新田の外部で農業支援組織を束ねつつも、実際には一体となって新田領内の農業の改善に力を尽くしてくれている。
水田以外の小麦、蕎麦、芋類や、果樹、茶の木などにも、れんげ草緑肥、草木灰、石灰、にがりを施肥する準備が整いつつあった。わかりやすいようにか、その四点は肥料四天王などと呼ばれている。
次に加えるなら、江戸時代に利用されていたはずのニシンとかなのだろうか。ただ、いまいち成分がわからないが……。まあ、現状まででも劇的改善はしているし、しばらく先の検討としてもいいかもしれない。
田鯉農法については、徐々に広がってきている。厩橋などでは海魚が手に入る状態なので、あまり重宝はされないかもしれないが、身近なタンパク源となってくれるだろう。
防風林からの村作りも順調だが、そうなると水路の設置も必要で、黒鍬衆とも調整して優先順位をつけての作業となっている。初期入植時には、畑作中心とするのもありかもしれない。
水路は、洪水時に被害を広げてもいけないので、堤の上方から、螺旋ポンプで給水するのを基本としている。現状は手動だけれど、水車や風車との連結も検討すべきだろうか。
そして、本流の水位が上がった場合には、水を逃がす遊水地的な役割を果たさせたいところともなる。
船の往来を邪魔しない程度に勢いを弛めるための堰を作ることも含めて、治水面は検討が必要だった。
畜産方面では、鶏、豚が増えてきていて、食肉としての利用がより身近になってきていた。ただ、生肉での流通はやはり抵抗が大きいようなので、ハム、ソーセージ、スモークチキンなどが中心となっている。料理屋については、塊肉の解体から自前でやっているようだ。
乳牛も増えていて、牛乳の供給も安定してきた。バター、チーズ、生クリームなども確保できたので、洋風のソテーやチーズカツ、グラタンなども実現できそうだ。そして、ピザもいけそうなのだが……。ラーメンが旋風を巻き起こしているだけに、少し時期をずらした方がよいかもしれない。トマトを収穫した後の、夏か秋にでも仕掛けるとしようか。
生クリームと、れんげ草や紅花の蜜で収量が上がっている蜂蜜を使って、洋菓子も発展してきている。そちらも楽しみが増えそうな状態だった。
食の方面に偏ってしまったが、馬産も進めていて、そろそろ一歳の若駒を馴らせ始めようかとの時期になっている。同時に、出産シーズンも始まっていた。
今のところ、若駒の発育は良好で、今年の交配も従来方針のままで進めようとしている。愛馬の「静寂」号も去年は元気に種付けをこなしてくれたようなので、今年も期待しよう。
薬の製造と販売は順調で、養生訓付きとしたのも評判になったようだ。添えていた岩松猫絵はなにやら、健康のお守りのような扱いにもなっているらしい。
絵画については、寺社と鷹屋による支援もあったりで、若手の絵師が集まってきているようだ。絵については、産業としての期待はあるものの、基本は個々の志向に任せていきたい。その中で、いい作品が生まれてくれるとよいのだが。
後世の図法については、広めることで自然な進展を阻害してはいけないかなとの配慮から、積極的には示さないようにしている。まあ、そこまでくわしいわけではないけれど。
ただ、俺が物を作るように指示する際の絵図などは、特に十矢などからは注目されていて、分析が行われているようでもある。まあ、そこも含めて、楽しみにするとしよう。








