【永禄三年(1560年)五月中旬】その一
【永禄三年(1560年)五月中旬】その一
雪が溶けてから打診の使者を出した上で、ようやく越後訪問が実現する運びとなった。
この時代、政治的意義の大きい上洛でもなければ、領主がほいほいと他国へ出ていくのは考えづらい状況のようだ。けれど、彼我の立ち位置を考えれば、訪問の意義は大きいだろう。
同行者は、上泉秀綱、神後宗治に、芦原道真と三日月、霧隠才助となる。留守は、蜜柑と澪、英五郎どん、疋田文五郎に箕輪繁朝あたりが主力となる。
厩橋から利根川に沿って北上すると、白井長尾氏が治める白井城がある。同族つながりで越後国主の長尾景虎とは誼みを通じているようだ。
当主の長尾憲景は、この家の親戚筋だったのが、内訌が発生したために長野業正の仲介で先代の養子となった人物らしい。義母は長野業正の姉だったとかで、こちらへ向けてくる視線には、やや微妙な陰影が感じられる。
ただ、表立っては友好関係が維持されている。上野の過半を制しつつある新田とでは、勢力差が大きいとの事情もあるだろう。
今回は軽いあいさつに済ませて、早々に三国峠に分け入ることにした。護衛は忍群の主力が務めてくれている。
北条の一門衆が城主となっている沼田城は通過し、峠の途中で休息をとっていると、何やら刀の衝突するような金属音が聞こえてきた。
「なにごとだ?」
「この地に住まう猿が絡んできてるのよ」
「猿……が、刀を持っているのか」
「忍術まで使ってくるの」
やや遠くの木の上で、影が飛び交っている。さすがに猿というのは比喩的表現だったようだ。
「三日月配下の手練れでも手を焼く感じなのか?」
「まあ、本気で殺そうとして来たら容赦はしないけど、じゃれついてるみたいな感じでね。ある程度相手をしてれば帰っていくわ」
口調からして、いつものことなのだろう。神後宗治などは、手合わせしたくなってきている風情ではあるが、護衛を仕切る三日月の許可は出なかった。
春日山城は、威容と呼ぶにふさわしい山城だった。平地の多い関東では、大規模な山城はあまりない。由良氏の居城だった金山城も、春日山城と比べてしまうと支城レベルである。
本丸へ向かう道のりは、もはやちょっとした登山である。金山城を山城などと呼んだ自分が恥ずかしくなる規模だった。
案内に立ってくれた俺よりも年少に見える人物の頭上には、▽印が浮かんでいない。武将の跡継ぎで元服前の状態なのだろうか。
本丸に登るまでは時が必要だったが、いざ城内に入ると、スムーズに長尾家の当主との対面が実現した。
名乗りを交わすと、先方の興味はやはり俺の苗字に向けられた。
「新田殿とは、義貞公のあの一族なのか?」
女性説……というか、女性だとする創作などもあったこの人物だが、荒くれ者が多い坂東武者に慣れてしまうと女性かもと思えるくらいの優しげな容姿であった。ただ、やはり女性ではありえない。
そして、ステータスは見事というか、統率がS-、軍事がS、智謀がA+と、まさに軍神と呼ぶに相応しい数値が並んでいる。第四次川中島合戦や、関東、越中での戦さを重ねる前でこれなのだから、末恐ろしい状態だった。
絵図などでは、白い布で頭部を覆った姿で知られているが、少なくとも在城時には普通の武家姿であった。
やや緊張気味ながらも、それを示すわけにもいかない。俺は、平静を保つべく努めながら、答えを返した。
「住んでいたところで神隠しに遭い、戻ったときには西上野におりました。新田義貞公は存じておりますが、その一族とはまったく違う新田氏となります。源氏でもありません」
「ほう……。上野で城を幾つか落とされたそうだな」
「申し開きをするつもりはございませぬが、事情をお話してもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
「神隠しからこの世界へと戻ってきたところで、熊に襲われて怪我を負いましてな。助けてくれた猟師と立ち寄った村が、近隣の豪族に蹂躙されそうになり、行きがかりとして防衛に手を貸したのです。その結果、攻め滅ぼされようとしていた豪族の婿に迎えられました。そこからは長野業正殿に、そして厩橋長野氏と和田氏の連合軍に相次いで攻められたので、反撃して城を奪ったまでです」
「では、金山城についてはいかがか」
「由良に姓を改めた横瀬殿ですな。我らが新田を名乗っているためか、僭称をやめろ。名乗るのなら宗家に従え、臣従しろとしつこくてですな。攻め込まれたので、逆撃して攻め滅ぼしました」
「ほう」
「彼らも下剋上で金山城を奪った一族。覚悟はあったはずです。桐生城については交渉を試みたところ、開城してきました。赤石城は再戦を挑んで出陣してきたので、一当てしたら崩壊してしまいましてな」
正解ではないが、大間違いでもないといったところだろうか。
「……現状のそなたらは、伊勢の傘下という認識でよいのかな?」
軍神殿が伊勢と呼ぶのは、北条氏のことである。後北条氏の祖となった北条早雲は、伊勢新九郎盛時と名乗っており、北条と姓を改めたのは息子以降の代になってからとされている。
改姓は関東を侵略する者との印象を拭い去るためのようだが、それだけに敵対者からは意図的に伊勢と呼ばれている、との話は聞いていたが……。その現場を目撃するのは、なんだか感慨深いものがある。
「箕輪衆は、北条……、いえ、伊勢氏に従属していたと聞いております。殊更に話を荒立てる必要もないので、そういうことにしております」
「ほう」
「本来の関東管領殿が戻られて、古河公方様の在りようを正されるのでしたら、話も変わりましょうな」
先日隠居した北条氏康は、関東管領に任じられたと公言している。関東管領職は、山内上杉家が扇谷上杉家との長い抗争の末、世襲職的にしてきた経緯がある。その辺りがまた、関東諸将が北条に反感を持つ一因となっていよう。
俺の言葉に、長尾家の当主の目つきがすっと鋭くなった。
「上杉憲政殿に臣従の礼を取られるのか?」
「関東管領殿が本来の任地に戻られれば、すぐにも勢力を築き上げ、坂東の地に安寧をもたらしてくださるでしょう。力一杯、応援させていただきます」
「助力はせぬと申されるか」
「軍神との呼び声高い長尾殿が同行されるとしたら、話も変わりましょうな。高貴なお方がご一緒なら、さらに」
俺のほのめかしに、対峙する大名の目つきが一瞬だけ鋭くなったが、すぐに元の状態に戻った。
「ふ。……で、はるばる越後の地まで何用かな」
軍神と呼ばれるようになったのがいつの頃なのかは、判然としない。ただ、本人に気を悪くした様子はなかった。少し余裕が出てきた俺は、笑みを浮かべて答えを返した。
「肝心の用件が後になってしまいましたな。仕込んでみた酒が出来上がりましたので、お近づきの印にお納めいただければと。新田酒と名付けております」
「ああ、酒と肴をいただいたと聞いておる。長野酒とは、別物のようだが」
長野酒の存在は、やっぱり把握されていたか。
「はっ。この身は不調法者ゆえ、酒の味がよくわからんのですが、こちらの上泉秀綱などはいい酒だと受け止めているようです」
剣聖殿は軍神殿に視線を向けられても、余裕の笑みを浮かべている。虚勢だとしたらたいしたものである。
だが、酒の話は転がりはしなかった。
「……仮定の話として、我らが三国峠を越えれば、その先には厩橋城があるわけだが」
「もちろん、ご出馬の際には通過していただいてかまいませんし、厩橋城を北関東鎮撫の拠点として利用いただいても。兵糧も用意いたしましょう」
「そなたに、何の得がある」
「関東に平和を。我が領民が安らかに楽しく暮らせるように。それが望みです。しつこいようですが、朝廷の要職にある方がご一緒ですと、なおよいですなあ」
双眸に鋭い光が宿ったようだったが、それ以外の反応はなかった。
「ふむ……。酒はありがたくいただこう。ゆるりと過ごされる時間はおありか」
「いえ、いろいろと準備されることもあると存じます。一足に関東鎮撫とまでは至らなくても、一度厩橋城にお迎えできればうれしいです。……そうですな、八月の末あたりなぞいかがでしょうか」
「稲が実り始める頃となるかな」
「ええ。各勢力が収穫準備に追われ始める頃になりますな」
穏やかな笑みが浮かんだのは、どうやら会見の終了の合図のようだ。俺は頭を下げて、退出した。……こんなものでよかったのだろうか。
まあ、まだ桶狭間の前だから、検討していたとしても本決まりではないだろう。それとも、本来の歴史では、桶狭間での今川義元討ち死にが起こらない場合でも、関東へ向かっていたのだろうか。
前年の上洛時に、将軍の足利義輝や、関白の近衛前嗣とどこまで事前に計画していたのかは、元時代でも判然としていなかった。
ただ、足利将軍家としては、武田、上杉、北条を和睦させて、揃って上洛させようとの夢見がちな工作を繰り広げたようなので、少なくとも積極的に関東侵攻は求めていないのかもとも思われた。
仮に越後勢が動かないのなら、まるごと武田に臣従する選択肢も考えられる。だが、その場合、武田の尖兵としてこの軍神殿と戦う羽目になりそうだ。いや、あっさり国替えされるかもしれないが。
今回の会見で好感を抱いた俺は、どちらかと言えば軍神殿とは味方でいたい気分になっていた。








