【永禄十六年(1573年)五月中旬】
【永禄十六年(1573年)五月中旬】
藤島の戦いでは、実に多くの犠牲者が出た。本陣でも、塚原卜伝を始めとする十数人が命を落としている。
そんな中で、俺は瀕死の臣下の元を訪れていた。
「護邦様……」
横たわる青梅将高の顔は土気色となっている。この信頼する重臣は、本陣突入部隊の後続を先頭に立って食い止めたのだそうだ。将高が防がなければ、あの数倍の精鋭が本陣を襲っていたわけだ。隣にしゃがんでいる医官の羽衣路の表情は暗い。
「おい、将高。ふざけるな。ここで勝ったところで、やるべきことはまだまだ山積みなんだぞ」
「いえ……、最後の最後に、これまでで一番の重要なお役目が果たせたようです」
「お前の天下取りに協力するって約束したじゃないか」
親しい存在の口元に、苦笑が浮かんだ。
「改竄されては困ります。逆なら、とお受けしたのです。高麗山近くに置かれた新田の軍営の端っこで、無作法に菓子を貪っていた豪族の庶出三男坊を……、何者でもなかった私を見出してはもらったものの」
「なんか文句があるってのか?」
「……思えば無理難題ばかりでした。逃げ込んだら、いきなり対武田戦の総大将にさせられ」
「将高ならやれるとわかっていたんだ」
「明の高官と交渉させられたかと思えば、奥州攻めでも司令官を押し付けられ、さらには蝦夷地や樺太まで行く羽目になったかと思えば、京での対応まで」
「将高だからだ。そして、本当に必要になるのはこれからなんだ。なんならお前が……」
「殿を補佐する者は多くおります。京のことは、光秀様、義光殿、盛義殿、外交なら岩城親隆様に、蠣崎親子、それに小桃殿にも、より重い役割を与えてもよろしいかと。将帥としては、昌幸殿も、護信殿も。……それに何より、柑太郎様が聡明に健やかに育たれています。料理人を目指されるのかとも思いましたが、その背景となる産業と治安に関心を向けておられます。よい統治者になることでしょう」
「将高……」
「本当に、夢のような人生でした。殿に、そして皆へ感謝を。どうか、よりよい世界を作ってくだされ」
目が瞑られ、手を取った羽衣路が首を振る。俺の視界はぼやけた。
不安になった俺は、陣中を駆けだしていた。そして、ようやく目的の人物の姿を見つけた。
「護邦、どうしたのじゃ」
不審そうな視線を向けてきた蜜柑に、抱きついてしまった。
「なにをいきなり……。そうか、将高が亡くなったのじゃな」
「蜜柑は、死なないでくれ」
東西決戦が終わったタイミングで青梅将高を失ったため、初期モブ豪族出身者が残らず世を去るのではないかとの不安が心の中で荒れ狂っていた。だが、蜜柑の体温は変わらない。
「わたしは、亡き剣神殿より一之太刀を受け継いだ橙上衣の総帥じゃぞ。殺されても死ぬものか」
おどけた口調で、頭を撫でてくる。と、そこに柚子がまとわりついてきた。
「おお、柚子も混ざりたいか。……で、護邦。わたしに断りもなく、柚子の結婚を決めたわけじゃな」
「そうなんだ。足利と新田の和解の象徴としてだな」
「尊棟殿は、剣の腕が凄いんだもん。母さまも見てたでしょ?」
「この父娘はまったく……。幸せにならなかったら、承知せぬぞ?」
「うん。あの人と一緒なら、二人でより高い剣の境地に向かえると思うの。そんな気がするの」
くしゃっと笑った蜜柑は、娘の髪をぐしゃぐしゃに撫で回したのだった。
本陣で命を落とした塚原卜伝もそうだが、新田老人会のメンバーでは、伊賀の蝶四郎、甲賀の鳩蔵も戦死したとの報告があった。伊賀、甲賀本国の年長の者達を集めて、足利勢の大砲陣地に侵入し、多くを無力化させた末の討ち死にだったという。伊賀、甲賀には大きな借りができた。
関東勢、奥羽勢では、当主級の死者こそなかったが、一門衆や家臣は多くが命を落としていた。
縁のあったところでは、佐野昌綱の弟の祐願寺了伯、剣術者だった山上氏秀が、青梅将高らと本陣防衛に参加して、斬り死にしている。浪岡北畠で若き当主の後見役的存在だった浪岡顕範は、弾雨の中を突撃して、主力の進撃路を切り拓く過程で命を落としたとの報告が入っている。
上杉勢では、柿崎景家と北条高広が戦死したそうだ。武田と上杉の最後になるだろう戦いは激しいものとなった。武田信玄は、上杉輝虎に一騎打ちを挑み、敗死したという。
新田でも、常備軍出身の将達を中心に死者が多く出た。命を落とした年若い武将たちと、親身に補佐してきた歴戦の副将達の笑顔が思い浮かぶ。彼らの犠牲を、無駄にするわけにはいかない。
一方で、左腕を斬り落とされた剣聖殿は一命をとりとめ、右腕一本でならまた新たな境地が開けるとうれしそうだった。剣術者という病に近い性向は、死ぬまで治らないのだろう。
夜になって、兵員輸送船団の護衛のための水軍を率いていた後醍院の当主が到着し、翌日の夕刻までには、関ヶ原の決着を見届けた楠木信陸も合流した。
後醍院沙羅と名乗った人物の頭上に、▽印は浮いていなかった。同年代の後醍院家の女性当主は、俺のことを震電と呼んできた。まあ、双樹なのだろう。
これで、「戦国統一・オンライン」のオンライン大会ジュニア部門に出場予定だった四人が、藤島の地に勢揃いしたことになる。
足利軍降伏後、西国の大名の軍勢を載せた輸送船は、後醍院と共同で残らず拿捕しており、佐渡まで連れて行く予定となっている。
そのあたりの実務的な話を詰めてから、ようやく少しゆっくりと話をすることができた。
「なあ、双樹が水軍を率いてきて、後醍院の本拠はだいじょうぶなのか?」
史実での後醍院氏は、後醍醐天皇の末裔と称する肥後の宇土を拠点とする武家となる。双樹は、衰微気味のその家を頼り、近隣の那和氏の幼い当主の力となりつつ、商人としての活動から水軍を興したのだそうだ。
琉球と交易を図り、長崎での南蛮交易にも参加し、彼女もまた和人奴隷の買い戻しに力を尽くしていたのだという。古麓屋という商号には、言われてみれば聞き覚えがある。
「うーん、ちょっと無理してきちゃったのよねー。まあ、島津が関ケ原で九戸勢にこてんぱんにやられたみたいだから、まずはだいじょうぶだと思うけど、フォローお願いできる?」
「もちろんだ。命の恩人だからな。あのまま、キリシタン大名勢に上陸されていたら、蹂躙されていた可能性が高い」
「うーん、東方公方様にそう言ってもらえると光栄ね」
「勘弁してくれ……」
頭を抱えた俺に、後醍院沙羅は悪戯っぽい笑みを向けてきた。
陸遜がのどかな表情であるのには、関ヶ原の戦いが東軍の大勝に終わったためもあるだろうか。幕府軍と島津、毛利、その他の中四国勢が集まった西軍は、大砲や鉄砲を与えられ、操作法までは把握していても、戦術までは会得していなかったようだ。小金井護信と静月、雲林院松軒と桜花の両夫妻らの活躍もあり、また、九戸政実を筆頭とした北国勢も奮戦を見せて、西国衆を打ち破ったのだった。
実際には、ソントウは藤島の戦いに戦力を集中していたようでもある。まあ、新田を……、俺を討てば勝敗は決すると考えたのかもしれない。それが、プレイヤーだからか、東軍の中心人物と捉えての思考からなのかは、正直なところわからない。足利尊棟は、西軍の再編のために自陣営内を飛び回っている。
「それにしても、陸遜……、やっと会えたわね」
「ああ、結婚の約束までしてたのに、長かったよなあ」
見つめ合う二人に、俺は月並みな問い掛けを投げることしかできなかった。
「なんだって?」
「いや、だから、ずっとお互いを探していたんだって」
「十三年……、元時代の一年も合わせれば、十四年だもん。こんなにかかるなんて」
詳細に聴取したところ、事前にバーチャルで付き合っていて、あのオンラインゲーム大会の日が初のリアル対面になるはずだったそうだ。
その後、相手がこの世界に来ていたとの確証もないままに、互いに伴侶を得ずに、純愛を貫き通していたとか。それで、お市の方を娶らせるとまで言われても、結婚しなかったのかっ!
ふざけるな。戦国転生戦記物かと思っていたら、純愛物語だったとか、舐めているのか。まったくもう。