◆◆◇永禄十六年(1573年)五月十三日 藤島沖◇◆◆◆
◆◆◇永禄十六年(1573年)五月十三日 藤島沖◇◆◆◆
話は少し遡る。
武田信玄と上杉輝虎が最後の決戦を繰り広げようとしていた頃、藤島沖では東西の水軍主力による海戦が行われようとしていた。
この時代と見合わぬ段階まで技術が進んでいるにしても、制海権がどうのというほどの精度には至っていない。西軍側は地上兵力の決戦場への追加投入を目指し、東軍側はその阻止が戦術的な目標となる。
「相手の主戦力さえ打倒すれば、兵員輸送は阻止できるだろうけれど……」
そう口にしたのは、見坂村の生き残りで、上坂英五郎の息子として育てられた上坂邦太郎だった。
「精密砲撃は厄介だなあ。接近できれば、まだやりようはあるが」
小舞木海彦は、最近蓄えるようになった顎髭を撫でながら思案顔である。精悍と言いながらも幼さの残る顔立ちの中で、髭は調和を乱しているのだが、本人は気に入っているのだった。
旗艦である昴八型改一番艦、八日月号には、今回の艦隊の幹部が集まっていた。
「数もあちらの方が上ですのでね。太平洋側の艦隊をこちらに振り向けるべきでしたか」
太平洋側には、北方勢が中心となった水上勢力が配置されていた。
「それは言っても仕方ないさ。あの規模の艦隊と兵員輸送船団が関東のどこかに来られていたら、一気に蹂躙されていたかもしれん」
「ですね。浮き足立って、主戦場での戦いに悪影響が出ましたか……」
「正面の敵を破って、生き残りで輸送船団を追い散らすか、なるべく減らし、また、遅らせるしかない。すまんが、命の保証はできんぞ」
「それはもとよりです。では、仕掛けますかね」
「ああ、一時間後だ」
艦隊内の時間把握は、概算の二十四時間制を含めた幾つかの砂時計を組み合わせての運用となっている。零時は定めず、艦隊内時間を揃えることだけを目的とされていた。
解散した船長たちを見送って、邦太郎は小舞木海彦に声をかけた。
「で、どういう戦術を採用されるのです? 精密砲撃への対応は」
「どうにもならん。左右に分かれた後は、運を天に任せるさ」
「ですが……」
「なぁに、なるようになるさ。俺らには、弓巫女様がついておられる」
海彦の視線の先には、初陣で顔を引き攣らせながらも、気丈に振る舞う巫女装束の娘の姿があった。
「神頼みは重要ですね」
「ああ」
明るく応じた主将の頬には、金山城への襲撃隊を運ぶ船団を指揮していた時と同じ、朗らかな笑みが浮かんでいた。
飛来した砲弾が八日月号近くの海面に水柱を上げる。もはや至近弾と評してよい距離にまで近づいている。
「これはヤバいですね……」
「おかしいなあ、そろそろだと思ったんだがなあ」
「なにがです?」
「いや、神頼みの話だ。どうしたもんか」
「次弾、来そうです」
空を見上げた海彦が、副将に命じる。
「邦五郎、神に祈れ」
「だれに、なにをです?」
「だれにでもいい。神風を吹かせてくれ、と」
「蜜柑様、澪様、どうか神風を……」
「なんで奥方二人なんだ。神様に祈れよ!」
「でも、ご利益ありそうじゃないですか? 二人してうちの村のみんなの仇をとってくれましたし」
「えーい、もう、なんでもいいや。蜜柑大明神、澪大菩薩、どうか神風を」
やや投げやりな響きが含まれる海彦の叫びが海面に届いた頃に、急に強い風が吹き始めた。風車が風上を向き、勢いよく回り始める。歯車が噛み合うと、八日月号を始めとする昴八型改各艦のスクリュープロペラが水を巻き込んだ。
速度が少しだけ上がった時、帆柱を敵弾がかすめていった。
「……あれ、風がなければ、当たってましたね」
「この時間には、風が出やすいんだが、間に合ってくれてよかった……。さあ、攻めるぞ。求活旗を掲げろ」
マストにするすると掲げられたのは、死中求活の四文字が大書された新田伝統の旗幟だった。
精密砲撃は、相手の速度が一定であってこそ有効な技術となる。漕ぎ手の力の入れ加減くらいならまだしも、風車を動力としたスクリュープロペラの不規則な加減速は西朝水軍の対応を迷わせた。一方の新田水軍は、敵に取り付くことしか考えていないのだが、速度が一定していないのだった。
接近さえできれば、分は新田水軍にある。衝角による攻撃に、バリスタによる火焔弾射ち込み、移乗攻撃も含めて撃破は成功した。
殲滅まではせずに輸送戦隊へと向かうと、護衛していた水軍が白旗を掲げた。源氏の旗ではなく、降伏の意思を示すためのものである。
その意味を、新田水軍の面々は即座に理解した。この時代に、戦時国際法はまだ成立しておらず、白旗に特段の意味はない。けれど、新田の者達には、主将から事前に意味合いの周知が行われていたのだった。
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