◆◆◇永禄十六年(1573年)五月十三日 各地◇◆◆◆◆
◆◆◇永禄十六年(1573年)五月十三日 各地◇◆◆◆◆
本陣より北に二里ほどの土地では、宿縁が絡む軍勢同士がぶつかろうとしていた。片や武田菱の旗が翻り、こなたには上杉輝虎の「毘」の旗幟が掲げられている。
この両雄の因縁は、東西両軍のほとんどの者が把握しているためか、自然と砲撃が向けられなくなった。その替わりに、周辺の部隊が手ひどい被害を受けたわけだが。
北信濃で城に拠っての攻防はあったにせよ、両雄の直接対峙となると第四次川中島合戦以来となる。今回も、互いの陣形を読み合う戦いとなった。
先手は武田信玄が取り、上杉輝虎が応じる形となった。信玄が率いるのは甲斐信濃勢ではなく、一向衆と西国勢からの登用組となる。ただ、足利尊棟による選別を通過した者達が、老練の猛将の下で実戦経験を積み重ねており、上杉勢と比べても精強さでは引けを取るものではなかった。
軍勢がぶつかり、そして激闘が始まった。
逆側でも弾雨の中でぶつかり合いが続いている。両軍とも、これが覇権を争う決戦だとの認識が強い。関ケ原の結果にもよるが、どちらかが二勝した場合には相手側は総崩れとなろう。
新田からは明智光秀と青梅将高がこの場に参戦している。青梅将高は諸岡一羽と共に本陣近くに位置して全体への指示を出す役回りとなる。対して、光秀は前線での戦闘を担当していた。
光秀の陣中には、今や弓巫女の象徴的存在となりつつある雀女の姿があった。本来は、開戦と同時に後ろに下がる手筈となっていたが、彼女も含めた巫女装束の幾人かは戦場に残って戦い続けていた。
雀女が弓と銃を両用しながら、相手に出血を強いている。ただし、一人で戦局を変えられるわけではもちろんなかった。
弓巫女の周囲を、突貫隊が駆けていく。そのくらいに、雀女のいる位置は最前線なのだった。まだ幼さの残る武者の一人が、悪戯っぽい笑みを浮かべ、拝む真似をしながら通り過ぎようとする。視野の端でその様を認めた弓巫女の頬にも、笑みが浮かんだ。
と、砲弾が突貫隊の辺りに向かった。本来、着弾地点にいる者が飛来を予想できるはずもない。だが、先ほど弓巫女を拝んだ若者は、伏せろと叫びながらまっすぐに雀女の元へと向かった。
突貫隊の中央に着弾した砲弾は、破片を撒き散らしながら多くの兵を即死させた。巫女に駆け寄った少年兵も、首が跳ね飛び、四肢の半分が体幹から離れて絶命していた。
彼の犠牲で、雀女は奇跡的に死を免れていた。恩人の首を斬り落とした破片によって、頬に傷が付き、まだ白かった上衣が赤黒く染められているにしても。
状況を見て取った弓巫女は、それでも銃を構えた。だが、砲弾の破片によって破損しており、動作することはなかった。
打ち捨てると、弓を構えて、矢を放つ。一矢。そして、もう一矢。後方からそれを見ていた光秀は、砲弾の後方から敵兵が迫りくるのを把握した。
「押し返せ。あの娘を死なせるな」
怒号のような指示に、光秀の左右にいた者達が駆け出す。そして、主将自身も走り始めた。
弓巫女の存在に戦術的な意味はもちろんない。だが、単に押し戻せと言うよりも、わかりやすさを優先したのだろう。実際問題、ここを破られれば、総崩れになりかねないのだった。
明智隊の水色の旗が猛進を始めた頃、上杉勢と武田信玄率いる軍勢が揉み合っていた。双方の布陣はもはや崩れ、力押しの様相となっている。
そして、迂回して本陣に迫ったのは、今回は武田方だった。主将が率いる精鋭騎馬隊が襲いかかるのを、半ば予想していた上杉勢が迎え撃ち、派手な乱戦となった。
信玄が真っ直ぐに宿敵の許へと向かったのは、さすがに無理筋だっただろう。だが、多くの手傷を負いながらも、邂逅は果たされた。馬上の上杉輝虎が、大刀を構える。
三合撃ち合ったのは、礼儀のようなものだった。信玄の胸元を、上杉の主将の放った一閃が斬り払った。
「見事なり……」
血を吐きながらの言葉に、上杉輝虎が顔をしかめる。
「そこまで弱っていて、なぜ……」
「わかるだろう? 戦場で死にたかった。お主に斬られるのなら、本望だ。……儂が鍛えた兵どもは強いぞ」
「足利と新田とでは、戦う意味合いが違う。後れは取らぬさ」
そう応じたとき、信玄が馬から崩れ落ちる。その頬には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「敵方の主将は討ち果たした。者共、総攻めだ。新田の苦境を救い、一気に決着をつける。ここが勝負どころぞ。命を惜しむな」
軍神と呼ばれる人物の声が轟き渡ると、戦場の空気が変わった。懸かり乱れ龍の旗が、空へと向けて高々と掲げられた。
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