【永禄十二年(1569年)五月】その二
【永禄十二年(1569年)五月】承前
そんな中で、御所からの呼び出しが届いた。近衛前久卿が厩橋なので、今回はあいさつなしでいいかなと思っていたのだが、そういうわけにはいかなかったようだ。
拝謁すると、今上はあっさりと声をかけてきた。前回のフリートーク状態が踏襲されるのだろうか。
「奥州鎮撫、大儀であったの」
「ははっ」
「ただ、報告がちと遅かったようだが」
「なかなか京までは参れませぬ」
「義昭や信長の呼び出しにはすぐに応じるのにか?」
「ご勘弁くだされ。彼らは、主上が任命した征夷大将軍と、その上洛の立役者です。一度顔合わせをしておく必要がありまして」
「まあ、それはよい。……鎮撫の褒美は、出してくれるなとの話のようだが」
「さらに官位を上げられては、いよいよ義昭公のそれとの差が開きすぎます」
「足利将軍家と、そちとでは対応が違って当然だと思うがの」
「どうかご勘弁を」
「ふむ。……前久は元気かの? 新田に身を寄せたのだろう?」
「はっ。明るく振る舞っておられますが、ややから騒ぎ気味かとも」
「あやつにはそういうところがある。弱みを見せたくないのだろう。……さて、朕は義貞公の末裔になら弱みを見せてもかまわぬとの心境じゃ。こうして上洛したからには、頼りにしてよいのかな?」
「残念ながら、今回は治安維持のみをお受けしております。そちらについては、お任せいただければ。そして、御所の囲壁の修理についても、信長殿と調整して対応致しましょう」
「ふむ……、そちにはもう少し高い水準を期待したいものだがな」
「我らは、公方様と信長殿のお召しに応じて上洛した身の上ですので」
「公方はお互い様だろうに」
「それは、確かに」
鎮守府将軍もまた、公方と称される立場となる。
「話は変わるが、京の民に食事を振る舞ってくれていると聞いておる。そこで相談なのだがな」
「はい、なんでしょうか」
「公家の末端の者達が苦しんでおる。家財を売ったり、娘を金貸しの嫁に出したり、といった話もあるらしい。彼らにも食事を振る舞ってはもらえまいか」
この時代、公卿のうちの特に下位の者達は非常に窮乏していたそうだ。収入がないところに高利貸しが絡めば、さらに苦しみが深くなる事態も生じるわけだ。
「炊き出しをするわけにもいきませんから、新田の産物を試食していただく、という名目で場を設けるようにしてみましょう。ですが、それよりも収入の手段を確保した方がよろしいかと存じますが」
「なにかあれば、頼む。できれば京でとは思うが、関東に連れて行ってもかまわん」
「関東へですか……。それでしたら、高利貸しからの借金で首が回らなくなった方々は、関東にお連れしましょう。あちらでは、新田の領域法で、土倉で月に四分、寺社は二分以上の証文は無効としております。それに加えて、関東まで取り立てには来ませんでしょうし」
「うむ。……彼らの扱いはどうなる」
「文物、礼法の教授や、写本など、仕事は用意できるかと。それに、餓えない程度の食料は準備できそうです」
「頼りにしておるぞ」
主上の声音には安堵の色合いが濃くなっていた。
二条晴良との顔合わせの機会はなかった。まあ、本来は関白が気軽に押しかけてくる方がおかしいのであろうが。
新田の京での本陣は、足利義輝が三好三人衆によって討たれた二条御所の跡地となった。史実では、この廃墟を再利用する形で、足利義昭向けの御所、いわゆる二条城が突貫工事で作られるはずだったが、本圀寺の変が未然に防がれたため、築城は行われていない。
義輝の二条御所は、完成には至らなかったものの、構造物は残っていたので、それと仮設陣所を組み合わせてひとまずの兵営としている。あまり造営してしまうと、いらぬ疑いがかかるだろうから、軽めの修繕に留めてはいる。
それでも一応の居住スペースはできたので、そこで連歌会が催された。明智光秀と岩松守純が主催で、連歌師の里村紹巴が参加している。さらには、最上義光と二階堂盛義、八柏道為も加わっていた。
また、幕府の奉行衆である細川藤孝と、近衛前久卿の弟にして顔馴染みの聖護院道澄らも参加して、だいぶ盛り上がったそうだ。
その翌日、明智光秀が客人を連れてきた。連歌会に若手の武将が飛び入り参加したので、一言あいさつをとのことだった。
「こちらが、小寺孝高殿です」
表示名には確かにそう出ているが、その名前には心当たりがある。驚愕によって、思わず口からこぼれ出てしまった。
「黒田官兵衛……」
きょろっとした目で、そこはかとなく可愛らしさを漂わせる若き武将が、はてなといった風情で首を傾げた。
「おや、我が仮名をご存知でしたか。姓も、元は黒田になります」
「あ、いや、すまんな。……孝高殿は、連歌を嗜まれるのか?」
「若い頃には連歌師になりたかった時分もありました。その時に踏み出していれば、紹巴殿と光秀殿と共に、厩橋の年末連歌会に参加できていたでしょうに……」
口惜しそうである。話が逸らせたようで、まずはよかった。
「すまん、連歌をしないので教えてほしいのだが、厩橋年末連歌会はそんなに知れ渡っているのか? 関白……、いや、近衛前久卿の姉上もご存知だったが、あれはお身内だしな」
「何をおっしゃいます。連歌を嗜んでいて、毎年の新田連歌会の歌集を楽しみにせぬ者はおりませぬ。さらには、奥羽の連歌会も盛んとなり……。奥州の移りゆく情勢が反映された年ごとの連歌は、軍記物の香りすら漂っていました。いつかは、自分もあのような会を主催してみたいものです」
「ほう……、だが、孝高殿は戦さの方がお得意なのでは?」
「さて、まだ大きな戦いは経験しておりませんが」
「遠くなく、活躍の機会があるでしょうな。武者振りを楽しみにさせてもらおう」
「東国の覇者の新田様よりそのようなお言葉をいただけて、恐縮至極に存じます」
史実通りなら、この夏に姫路城に攻め込んできた十倍の敵勢を打ち破り、名を上げるはずだが、既に変化も多く起きていて、どうなるか予測がつかない。戦国の両兵衛として知られるうちの一人が、あっさりと戦死してしまう事態も考えられた。
そういや、両兵衛のうちのもうひとり、竹中半兵衛はどうしているのだろう。実情が不明で人気ばかりが先行している感のある人物だが、史実だと秀吉の配下になっている頃か。いや、浅井長政にいったん仕えたんだったか? そのあたりを確かめてみるとしようか。
陸遜……、楠木信陸の本営を訪ねた俺は、目当ての人物を見つけて、声をかけた。
「よう、陸遜。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「いいけど……、居合の創始者を護衛にするとか、ちょっと豪華すぎない?」
信陸の視線は、後ろに控える林崎甚助に向けられている。
「頼りなく見えるらしくて、守ってくれてるんだ。……で、だな。連歌会の絡みで、黒田官兵衛と会ったんだが」
「ああ、その手があったか。確か、若い頃に連歌師を志してたんだよね」
「別に引き抜こうとしているわけではないんだがな。それで、前に厩橋で話してたけど、竹中半兵衛はどうなったかと思ってな。謎の多い人物だろう?」
「あ、そこにいるよ」
「なんだって?」
「だから、招いたんだってば」
指し示された方を見やると、繊細そうな人物が書類仕事をしていた。俺は、ステータス画面を確認する。
「智謀Sだなあ」
「Sだねえ。前線の武将としては一線級には劣るけど、軍師としては得難い人物だよねえ。内政もSだし」
「稲葉山城の件はどうだったんだ?」
「奇襲で陥落させたのは確かだけど、諫言のためとかじゃなくて、ガチで奪うつもりだったみたい。ただ、人望がなくって維持できませんでしたと笑ってたよ」
まあ、本来なら国人衆がその国の主城を奪取できてしまう時点でおかしいのだが。
「健康状態はどうだ。愛洲薬を出そうか」
「今のところ、元気みたい。……半兵衛、体調はどうだい?」
「元気でやっております。……ご心配いただいていますが、殿の方がお疲れなのでは?」
「まあ、やることは多いからなあ。邪魔して悪いね」
「いえ」
半兵衛は訴訟対応を、陸遜は畿内の情勢分析をしているらしい。俺は、声を低く調整した。
「史実の半兵衛はどうだったんだと思う? 智謀S、内政Sは妥当か?」
「ゲーム内での評価と、現実との差異ってことだよね。でもさあ、永禄二年以降の行動は、ステータスに反映されてるはずじゃん?」
「ここまで、かなり史実通りに推移している。ゲームではなく、歴史の強制力が働いているんじゃないかと思えるくらいに」
「それは、まあ、確かに」
「元時代のステータスは、ゲーム制作会社のスタッフが、史実を元にゲームバランスを考えながら設定したわけだよな。伝わっている史実と、現実の違いはあるだろうに、大幅にずれていたケースが、これまで思い浮かばなくてな」
「確かになあ。史実とステータスがずれてる場合なんて幾らでもあるだろうに、ゲームで設定されていた数値と比べて、あれっ? ってなるようなのは見たことないや。もしも、「戦国統一」のステータスが現実離れしてたら、史実は変わるはずだよね」
「そうなるだろうな」
「動きに違いがないもんなあ。……となると、まさか、表示されている数値は、ゲームではそうだったというだけの、実情に即していない参考データかもしれないってこと?」
「その可能性もある。剣豪や、武将外からの登用組のデータは、ゲーム内には存在しないから実測データなのかも。まあ、それがわかったところで、仕方がないんだが」
「そっかあ。……いや、実は、ステータス値についての疑念は持ってなかったんだけど、その値と実際の行動の乖離が激しい武将は何人かいたんだよ。戦闘特化、内政壊滅的、みたいなステータスなのに、内政の方が得意だったり、ステータス上は頭良さそうなのに、脳筋だったり」
「そうだったのか。あまり実感はなかったが」
「新田は、史実での動きが明らかな有名武将か、武将外からの登用組かって感じだから影響が少ないのかもね。ゲーム世界が投影されていると思ってたけど、実在武将については、現実とずれたゲームデータだけが表示されてたっぽいわけか。うわー。騙されてた」
「いや、でも、仮説に過ぎないぞ。それに、名前と年齢なんかは役立つな。……ま、そこの検証は後回しかな」
「半兵衛はどうなんだろうな」
「稲葉山を乗っ取れるのは、確実に才能の現れだろ?」
「うん、政務能力は本物だし、本圀寺の変を未遂に終わらせた時の献策も的確だったし、有為の人材だよ。S相当かどうかはわからないけど」
陸遜の家臣団は、実際には俺と同様に農村などからの登用組がほとんどである。おそらく、織田の家中で苦労したのだろう。
「その点、黒田官兵衛は本物だよね。史実の動きがはっきりしているし」
「だろうなあ。新田で確保は無理だろうから、陸遜が口説いてくれよ」
「どうだろね。……ところで、用件ってなんなんだっけ」
「あ、半兵衛について聞きたかっただけだ。邪魔して悪かったな」
「いや、いい息抜きになったよ」
神隠し仲間に手を振り返して、俺は織田の軍営を辞去したのだった。