【永禄十一年(1568年)八月】
【永禄十一年(1568年)八月】
開発局の民生部門に顔を出したところ、北条幻庵に動向を把握されてしまった。いや、逃げ回っているわけでもないのだが……。
伊賀の蝶四郎、甲賀の鳩蔵、剣神・塚原卜伝と北条幻庵の四人は、新田老人会と称して、色々と意見を伝えてくれている。……あえて、文句とか小言とか表現するのは控えておこう。
蝶四郎は、忍者の盗賊追捕への動員……、陽忍の存在に未だに得心がいっていないようだ。鳩蔵は、逆に忍者の働きぶりが悪すぎるという立場のようだ。現状の練度があれば、侵攻の主力を担わせるべきだと言うのだが。
塚原卜伝はわりと穏やかに新田の状況を捉えているようだが、たまに急所にきつい一言があるのは、さすが剣豪といったところか。
そして、北条幻庵は、領民対応について小言……、じゃなかった、献言してくれるのが常だった。そちら方面はわりとがんばっているつもりなのだが、北条が理想としていた状態からすれば、だいぶ落差があるようだ。
北条に余裕があったら、どんな楽土が作られていたのだろうか。まあ、下の世代と幻庵とでは、また方向性が違っていそうでもあるが。
老人会との交流では、わりと滅多打ち状態にされながらも、有益な提案もあるのだから始末に悪い。あるいは、俺が天狗にならないようにと、気を使ってくれているのか。ともあれ、捕捉されてしまったのなら、あきらめて参加するとしよう。
……そして、予想通りに、様々な分野についてのありがたい献言をいただいたのだった。
俺が不在気味だったためにふくれていた長女の柚子の機嫌が直った頃、八丈島=マカオ船団が帰国したとの一報が入った。
今回は、アイヌの全方面対応組の三人と、異国事情と商いに関心のある十人ほど、それに柚子と柑太郎、渚に九鬼初音、リーフデの息子のリヒトも連れて鎧島に向かった。夏の船旅は風が心地よく、年少組のはしゃぐ声が耳に心地よい。年長組は、アイヌ勢とあっさりと友好関係を構築したようだった。
江戸湾に浮かぶ小島に到着すると、子どもたちは楽しげに船を眺めたり、降ろされた積み荷をつついたりしていた。
今回は、小桃が帰国していて報告役となってくれた。既にアイヌ語も習得していて、隙間には通訳までしているあたり、さすがである。
投入して間もない、駿河湾産の干し桜えびの人気ぶりは本物で、今年の春に獲れたものもあっさりと捌けたそうだ。
他では、新しめの商品である干し牡蠣、干し貝柱も持ち込んだだけ売れる状態で、増量を強く求められたという。アワビや海鼠、フカヒレ、椎茸についても、変わらず引き合いは強いそうだ。
全般状況としては、新田の船団の定期的な入港が知れ渡って、その時期に入荷する商品目当てに、シャム……、元時代でのタイのアユタヤ王朝や、南方のバンテン王国の商船に加えて、明の各地域の商人もやってくるようになっていた。
乾物以外では、蒔絵を施した小物や武具、明の言葉で効能を記しつつ猫の絵をあしらった愛洲薬などがよく売れ、新田馬は特に明朝の軍人に人気となっているそうだ。異民族対応で必要なのに、明朝の支配域には草原があまりなく、いい馬が少ないらしい。
各地から商人が集まって、多様な商材を捌くとなると、食事処に併設のマカオの商館では、だいぶ手狭になってきたそうだ。
「それでですね、ポルトガルとの棲み分けのためにも、現地で香港と呼ばれる島へ移転しないかとの話が持ち上がっています」
「香港……? だが、イギリスは……、いや、まだいるわけないか」
少し首を傾げた小桃は、気を取り直したように言葉を続けた。
「島の一部に明の水軍の根拠地があるそうです。ですので、船については安全ですね」
人は安全でないということだろうか。忍者を増員した方がいいのかもしれない。
「進めてよろしいでしょうか?」
「ああ、いい話だと思うぞ。ただ、明の商人との取り引きはどうするんだ? 一応は島なんだよな」
「舟で往来すればいい、とのことですね」
「ほう……」
ポルトガルとネーデルラントを分けて管理したい理由でもあるのだろうか。南蛮勢力の戦力分散的な話なのかもしれない。
そのポルトガルからは、引き続き真珠と紅茶の増産を求められているとのことだった。硫黄や銀は、明が幾らでも欲しがっているので、深刻な競合関係にないためもあって、相手は鷹揚な態度らしい。新田の産品も、お試し状態ながら買っていっているそうだから、なにか当たりが出るとよいのだけれど。
「干しなまこ、干し鮑、フカヒレは奥羽で増産してもらうとして……、蝦夷地でも採れるかな?」
いきなり話を振られて驚いた様子の三人の中で、口を開いたのはチニタだった。
「フカのヒレ、なまこ、あわび、採れ……ます。たくさん」
それを聞いて、小桃が笑みをほころばせた。
「あら、もう和語を習得してるのね。それなら、明で売れそうね」
「加工の方法を伝えられる者を送り込もう。頼りにしてるぞ。干し牡蠣と干し貝柱なんだが、香取海で養殖しているものも含まれていたはずなんだが、反応はわかるかな」
「粒が揃っているので、高値で売れています」
「なら、香取海だけでなく、他の汽水湖にも広げるか……」
「いい場所があるの?」
問うてきたのは、通商会社の新田側で総支配人的な立場を務める岬だった。
「ああ。羽州の海沿いには、汽水湖……、海とつながっている湖が多いんだ。新田の拠点の十三湊につながる十三湖もそうだし、大浦が確保した地域の八郎潟も規模がでかい。そこで産業として実施すれば、周辺住民も潤って、色々助かる展開になる」
「まあ、こっちとしては、量が増えるのは大歓迎だよ。近隣住民の人たちの利益になるなら、それもまたいいことだし」
岬も安く買って高く売るという思考から、産業を育てて売り込んでいく感じに傾きつつある。蒔絵細工などの品目は、彼女の意向で決まる場合も多いのだった。
「あ、あの……」
「うん? チニタちゃんだったわよね。なにかしら」
「アタシも、あなたになれますか?」
「え、どうなのかな。いや、でも、ボクなんて……」
「おい、チニタ。こんなボクっ娘商人になるのはお勧めしないぞ」
「なんだとぉ」
「あ、いや、その……」
小桃がアイヌ語で聞き取ったところ、彼女は樺太アイヌ出身で、岬のように商売を手掛けたいらしい。
「なんだ、そういうことならいいんだが」
「……なんか侮辱されてる気がするけど、チニタちゃんならなれるんじゃないかな。応援しちゃうよ」
手を握られたアイヌの少女は、照れたような笑みを浮かべていた。
アイヌから招いた少年少女たちの希望者は、八丈島=マカオ船団に参加することになった。厩橋に来ただけでもだいぶカルチャーショック状態だろうに、だいじょうぶなのだろうか。まあ、若者は柔軟なのかもしれない。
俺も彼らの年頃に、この時代に来て領主になったんだったか……。思えば遠くへ来たものである。
ただ、まだ立ち止まるわけにはいかない。今後の動きを踏まえて、上杉と調整をしておいた方がよいとの話になり、三国峠を越えて越後へ向かうことになった。
警護に加わっていた猿飛佐助……、かつての唐沢於猿に当時の話を持ちかけたら、恥ずかしそうに逃げ出してしまった。十歳だった佐助ももう十七歳の青年忍者である。からかうつもりはなかったのだが、悪いことをした。
三国峠の道々では、宿場町がすっかり整備されている。往来する人々の様子も穏やかで、少人数の商人らしい一行の姿もある。
こうなると、剣豪、忍者が警護して定期的な大規模隊商への相乗りを募っていた頃が懐かしく感じられる。今でも、個人旅行者向けに定期便は運用されているそうだが。
碓氷峠も同様にすっかり整備され、軽井沢での産業振興が進んでいる状態だった。
春日山城では、特に見咎められることもなく歩き回れるようになっていた。まあ、厩橋城では、上杉勢はわりと自由に動いているわけで、お互い様というところだろうか。
蘆名、伊達、南部が討滅された現状では、奥羽に大勢力はない。出羽の日本海側には小規模な豪族衆が割拠しているのだが、上杉、新田に攻めかかってでも来ない限りは、所領安堵する方針が定まった。また、新田の名で止戦を要請するとも決まる。
軍神殿には、出羽に進出するつもりはないようだが、揚北衆ら越後北部の従属国人衆とは話はついているのだろうか? ただ、実際には越中の神保、椎名、それに一向一揆対策の方が優先であるようだ。
「神保ははっきりと敵対しているとして、椎名はどうなのです?」
「椎名の松倉城には、長尾の一族を養子として送り込んでいるので、味方と考えていいだろう。他にめぼしい世継ぎはいないしな」
「藤景殿のところにいた、景直殿ですな」
少し思案顔になった軍神殿は、やがて得心した様子で頷いた。
「そうか、藤景との絡みで、護邦殿とは面識があるわけか」
「料理人や菓子職人を送り込んでいます。ならば、蝦夷地からの交易船を松倉城域に派遣してもよろしいですかな?」
「ああ、頼む、喜ぶだろうし、景直の力になるのも間違いない」
「越中一向一揆を打倒するためなら、兵も送りますぞ」
「ありがたい話だが、まずは上杉勢で対応しよう。いざとなれば、助力を頼みたい」
「承知しました。……それと、佐渡の金銀の取り分の話ですが」
「新田と本庄の山分けでいいように思うが、懸念自体は理解する。だが、一割でよかろう」
佐渡で掘られた金銀を本庄、新田で分け合うのは、上杉家の直臣勢、国人衆とのバランス上でうまくない、との問題意識から、上杉で三分の一を受け取ってくれと持ちかけていたのだった。一割は少ない気がするが、これ以上の妥協を求めるのはためらわれ、そこで落着となった。
「ならば、越後で金鉱山の探査をしてみませんか?」
「金鉱山が皆無なわけではないが……、出るもんかなあ」
「そこは探査してみませんと。……新たに見つかった場合ですが、誰の統治域に出るかで運不運はありましょう。まとめて開発し、配分するような仕組みを考えられてもよいかもしれませぬ」
「ふむ……。倉田五郎左衛門と相談してみよう。機会があれば、新田殿もお頼み申す」
「滞在中であれば、いつなりと」
そこから、話は越後での産業振興や、治水の話に展開していった。
この時代、武士は戦さだけをやる、という方針のところも多いようだが、生き残るには富国強兵が必須となりつつある。
かつての軍神殿も、青苧の収益に頼りつつも、御用商人の蔵田五郎左衛門任せだった。それが、最近だと自領はもちろん、従属国人衆の領地まで含めて開発、産業振興を検討しているようだ。戦場での勘の冴えを内政方面に向けてくれれば、冬は雪に閉ざされがちとは言え、より豊かな土地となるだろう。そこに、新規の金銀鉱山からの資金が足されるとよいのだが。
同行していたアイヌ勢は、春日山城の雄大さに圧倒されたようだった。この時代の指折りの城だけに無理もない。城主である上杉輝虎に彼らを紹介したところ、色々な者たちを連れているのだなと、やや呆れられてしまった。自覚はあるけれども。
厩橋に戻ると、尾張の楠木信陸……、陸遜から詳細な情報が届いていた。織田信長が美濃を制圧したとは聞いていたが、足利義昭を既に迎えており、上洛の準備中なのだそうだ。
陸遜は史上の織田の事績に詳しく、様々な異同はありつつも、概ね同じ流れで推移していると教えてくれた。
今後は、明智光秀の不在が大きく影響してきそうだが、そのあたりは義昭の侍臣的立場の細川藤孝や、織田方の武将のだれかで埋められていくのだろうか。
浅井へのお市の方の輿入れも済んでいて、六角氏は浅井に押されて落ち目というのも、史実とあまり変わらないようだ。
……いよいよ、信長の時代が始まるということか。関東、奥州をほぼ鎮撫したとは言っても、この時代の重要度は畿内より低いと思われる。史実通りに動くなら、信長がこの時代の狭い意味での天下、つまり畿内を手に入れる可能性は大いにありそうだ。今後も動向を注視していくとしよう。