【永禄十一年(1568年)三月上旬/下旬】
【永禄十一年(1568年)三月上旬】
今年は奥州の雪が少なめとの話が入ったために、俺は海路で北奥州へと向かった。
冬の間も南部氏は、新田と連携している各勢力に威嚇の使者を送ってきたそうで、講和の機運は皆無となっている。
久慈に立ち寄った際には、九戸と久慈を継いだ、九戸政実と久慈政則が合流した。久慈政則は政実の弟で、久慈の娘婿だった関係で、当主となった状態である。
「九戸、久慈のご当主が討たれるとは……、お悔やみ申し上げる」
「いえ、残念な流れですが、既に南部宗家との隙間は大きなものでしたのでな。はっきりしたのは、よかったのかもしれませぬ」
九戸政実は、相変わらず爽やかな武者振りである。対して、弟の久慈政則の方は、実直そうな人物に映る。
「今後は、九戸と久慈で大名同士として連携される感じかな?」
「いえ、新田の傘下に入りたく存じます。よいな、政則」
「はい、家臣としてお扱いください」
「いやいや、十三湊を得る前からの友好関係にある相手を臣下にするわけにはいかないぞ。北畠、大浦、湊安東と同様の連携勢力ならまだしも」
「南蛮船を操る新田殿の臣下なら、面白い景色が見えそうですのでな。臣従がまずいのでしたら、北条や松平のような独立性のある軍団として傘下にお加えいただければ」
久慈政則も兄の言葉に頷いている。
「それなら、歓迎ですがな……」
まあ、南部から離れたからには、理性的な判断なのかもしれない。養親と支族である久慈・九戸の当主を謀殺した上での南部信直の侵攻は、新田が拠点としている三戸城域だけでなく、久慈、九戸の領域にも矛先が向けられ、既に交戦状態にある。むしろ、こちらから招くべきだったのかもしれない。
その後は、お茶会形式で南蛮交易と明の状況について色々と質問を受けた。俺自身がマカオには赴いていないので、聞きかじり状態ではあるのだが、二人とも目を輝かせて聞いてくれた。
九戸政実は外交能力も高めだし、人好きもするタイプのようでもあるので、意外と外向きの役割が合うのかも。まあ、先の話は南部を片付けてからの方がよいだろうけれど。
今回も、十三湊に関係勢力の首脳が集結した。本来は国からあまり出ない当主勢が気軽に動けているのは、やはり海路が整備されているからだろうか。
同行してきた明智光秀は、倫との再会に涙ぐんでいた。娘の方は気恥ずかしそうで、その夫の大歓迎モードとは対照的だが、それも含めて微笑ましい。
そして、雲林院松軒と小金井桜花の婚儀がこの機会に執り行われ、めでたい雰囲気が醸されつつも、宴ではどうしても対南部戦の話となってしまう。
「では、今回も大砲の本格運用は無しですか」
やや残念そうなのは、上泉秀胤である。軍師的な存在だった剣聖殿の息子は、最近ではすっかり大砲に魅入られているらしい。
「ああ、南部は、やはり伊達に近いんでな。バリスタ、鉄砲も含めて、本格的な集中運用は避けてくれ」
「俺らは好きにさせてもらっていいんだよな」
そう問うてきた鈴木重秀は、相変わらず激戦地に出没する状態となっている。
「もちろんだ。雑賀は存分に働いてくれ」
結局、雑賀衆はこれまで紀伊に戻らずに各所を転戦してくれている。報酬は弾んでいるが、本当によいのだろうか? まあ、それは彼らが選択すべきことではある。
と、本日の主役から声がかかった。
「殿、南部はともかく、伊達戦には本格的に参加させていただけるのですか?」
「なあ、桜花。気持ちはわからんでもないが、花嫁なんだからもうちょっとこう……」
「夫は先程から、殿が持ち込まれた、南部領の地形を示す粘土箱に夢中ですが、なにか?」
新妻に自分のことを言及されていても、箱に顔を突っ込むようにしている雲林院松軒に気づく様子はない。
「いや、すまん。うちもよその夫婦の在りように意見できる状態じゃないな。……おそらくだが、南部が討たれれば、伊達はより硬化するだろう。南北から一気に決着をつける形になると思う」
「ついに、奥州制覇が成されますか」
「ああ、北畠顕家卿の統治時代以来かな。義親の先祖も加わったのだよな?」
「そう聞いております」
結城義親は、いつの間にか剣豪扱いとなっていて、林崎甚助とコンビを組んで、俺の周囲に侍すようになっていた。白河結城家は、義親の兄にして義父でもある晴綱の実子が誕生したそうで、目が悪化しながらも活力を取り戻した当主と家臣団とに任せられるのだそうだ。
「太平記に倣えば、奥州統治の後には足利討伐に向かうわけですか。足利将軍家はどうなっておられるのです?」
因縁話に興味深げな上泉秀胤が、京の情勢を問うてきた。
「足利義栄殿が十四代の将軍に就任したが、足利義昭殿も尾張の織田家を頼って上洛を目指している。まだ、予断を許さない状態だと言えるだろう」
「織田が三好を破れましょうか」
「そうさなあ、勢威を誇った三好家も、長慶殿が死んでから、求心力がだいぶ失われているらしいからなあ。そもそも、畿内だけが天下だった時代では、もうないわけだし」
「天下とは、畿内だけだったのですか?」
問い返してきたのは本日の主役、小金井桜花だった。
「ああ、朝廷があるし、全国の武家を従える足利幕府が力を持っていた頃には、畿内を押さえれば話は済んでいた。だからこそ、畿内の確保が天下統一だったわけだ」
そう考えれば、「天下統一」の天下が畿内だけを指していたというのは、室町期というごく短い期間にだけ通じる話なのだろう。鎌倉幕府の者達が、畿内を制した者が天下人だ、などと考えていたはずもない。さらに遡った平安期の者達からすれば、統一という概念がしっくりこないだろう。
「それが今では、日の本の天の下すべてが、天下となるわけですか?」
「本来なら、日本に限らず、天の下はすべて安寧であってほしいものだな。統一とは言わないまでも、穏やかな世界になってくれればいいと思う」
「殿は、そのために戦さをなされているのですか?」
その重い問い掛けは、近づいてきていた倫から発せられたものだった。いつの間にか、俺達は宴の出席者に取り囲まれていた。
「正直、生き残るためというのがまだ大きい。それに、穏やかな世界をもたらすために戦さを仕掛けるというやりように矛盾があるのも間違いない。ただ、できれば、やはりそちらを目指していきたい」
「護邦さまの行く手には、なにが待っているのですか?」
北畠に輿入れした我が養女の穏やかな声音が、座に染み通っていく。
「さあなあ……。ただ、俺だけで進むつもりもない。皆と一緒に歩んでいきたい」
「一緒にですか」
「ああ。俺の行く道が間違っていると思ったら、ぜひ正してほしい」
「はい……」
倫の唇が噛み締められると、その美しさが際立って見えた。
【永禄十一年(1568年)三月下旬】
雪が落ち着いたタイミングで、南部への速攻が仕掛けられた。太平洋岸の要地から忍者が先導する者達が侵入し、後方の撹乱と伏兵的に動いた影響も大きかったろう。
北側から順番に攻略していく予定だったのが、あまりにも警備が薄いので、揚陸部隊のみで攻略してしまった場合すらあった。それがまた混乱を呼んで、総崩れになっていったようだ。
そんな中で、南部信直が全勢力に結集を呼びかけ、決戦を仕掛けてきた。場所は、不来方の北方となった。
地に雪は残るが、穏やかな日差しが照る中で会戦は行われた。敵の士気は旺盛だったが、九戸・久慈勢の猛攻、大砲の断続的な射撃、雑賀衆の猛射撃、忍者隊の後方遮断などが組み合わさり、南部軍は崩壊に至った。