【永禄十年(1567年)六月下旬】
【永禄十年(1567年)六月下旬】
北上した南部勢は、三戸氏の一部と八戸氏、北氏、南氏の各支族に、南部領に組み入れられた国人衆、阿曽沼氏、和賀氏、稗貫氏も含まれている。
彼らは当然のように九戸氏、久慈氏も攻める構えを見せたそうだが、既に防戦態勢は整っているはずだ。
南奥州は、伊達と真っ向から向き合ってはいるが、即座の全面攻勢をするつもりはない。次の主戦場は、北奥州の南部戦となりそうだった。
現状で一番厄介となるのは、南部と伊達が一致して、連携して新田に対抗してくる展開だったが、それはどうやら避けられそうだ。南部が南下して不来方まで到達してもなお、間に葛西、大崎、小野寺といった勢力が間にあるため、そういう機運は生まれづらいのだろう。
北奥州での新田勢の顔触れとしては、北畠勢に飫富昌景軍団が、大浦には春日虎綱軍団がそれぞれ合流し、従来からの常備軍部隊と併せて共同で動く形となった。
湊安東には、これまで通りに雲林院松軒と小金井桜花がついて、情勢を窺う動きとなる。
そして、新田勢は、引き続き神後宗治が率い、軍事面では小金井護信が暴れていたが、真田昌幸軍団もここに加わる形となる。
内政と軍師的な役割としては本多正信と神泉秀胤、用土重連が、諜報面では静月と町井定信、出浦盛清もいる。
この中では新顔となる本多正信は、神後宗治、小金井護信と相性が良いようだ。光秀とはまた違うタイプの腹黒三人衆、といったところか。混ぜるな危険、という警告文が脳裏に浮かばないでもなかったが、ここは宗治の度量に期待するとしよう。
一方で、鉱山調査がてら北に回っていた疋田文五郎と栞は、旧宇都宮、佐竹領から南奥州までを探索するために戻ってきていた。この二人は、まだ祝言をあげていないのだが、よいのだろうか。
南奥州は首座に青梅将高、次席に明智光秀が座り、松平、北条に預けてある地域を含めて統括している。松平、北条は主に軍事面を担当しており、農政や産業振興などは新田が彼らの意向も尊重しつつ対応する状態だった。
奥州の内政部門では、分担として佐竹、宇都宮も見るようにしている。登用組の内政要員にも、新規獲得領地での対処が得意な者もいれば、落ち着いた領地の安定経営が上手な者もいるため、班分けしたいとの話になっていた。
芦原道真、里見勝広、大道寺政繁らの内政方面の主要武将は、北奥州も含めて各地に赴く場面が増えてきていた。
伊達と向き合う主将となる青梅将高からは、立場が余りにも重いと文句を言われたが、いずれ独立して天下人になる予行演習だと応じたらげんなりされてしまった。ただ、実際問題、将高の<人たらし>スキルは、こういった場面で貴重過ぎる。そして、外交にも投入する場面が想定されるため、副将にややもったいないかもしれない明智光秀を配しているのだった。
厩橋へ戻ると、いきなり斬りかかられた。長女の柚子による、いつの間にか普及しつつある竹刀での一撃は、地味に痛かった。
必ずしもお転婆というわけでもなく、今日のところはあまり戻ってこない俺へのお仕置きだったらしい。埋め合わせをしなくてはなるまい。
もう六歳になった柚子はなかなか機敏で、さほど剣が得意でない俺は、不意打ちなら簡単に討ち取られそうでもあった。一個下の柑太郎も、影響されてか剣を振り回している。一方で、澪の娘である渚はまったく関心を示していないようだ。
蜜柑は新たな版図での盗賊追捕の組織づくりの件で留守だった。そのあたりも、柚子がご機嫌斜めな要因なのだろう。実際には、剣豪隊も陽忍も実務者が育ってきているのだが、蜜柑がいるかどうかで、だいぶ現地の反応が変わるらしい。市井で人気なのは、盗賊追捕の先頭に立つ蜜柑と、美青年宰相として受け止められている芦原道真、それに剣聖殿や諸岡一羽といった剣豪勢らだった。加藤段蔵、猿飛佐助らの体力派忍者勢も、わりときさくな対応で人気者となりつつある。
家の束ねは、澪が担当してくれている。と言いつつ、料理方面の目配りもしていて、料理処を自前で開きたい者達への支援なども手掛けていて、本当に頼りになる存在である。
「いい機会だから、柚子に存分に斬られてあげてね」
「ああ、派手に倒れる練習をしておくよ。ところで……」
俺が問うたのは、青梅将高と芦原道真の関係性についてだった。岩城の奥方である梅姫はやがて厩橋へ移ってくると思われるので、その前に確認しておきたかった。
「護邦にしては、めずらしく察しがいいわね」
普段はわりと淡々としている澪の表情が華やいでいるからには、そちら系の話なのだろう。
「岩城親隆殿の奥方が、年越し連歌会の記録を読んだ上で、その二人になにかありそうなことを言ってたんだ」
「そういうことか。連歌はくわしくないけど……、互いに憎からず思ってるみたいよ」
青梅将高の嫁取り問題は、新田家の懸案事項の一つだった。長女の柚子を、という話もあるのだが。
「なら、くっつけちゃえばいいじゃないか」
「そこはねえ……。二人とも、ほら、護邦との、その……」
「俺がどうしたって?」
澪はふっと息を吐いて表情を改めた。
「まあ、そこはあの二人の判断に任せましょうよ」
恋愛関係ではわりとイケイケドンドン気味な澪がそう言うからには、深い事情があるのだろう。それ以上は触れないことにした。
京の情勢は、新田家中において現状ではさほど重視されていない。まあ、実際問題として、あまり変化もないのだった。
足利義栄、義昭の継位争いを軸に、畿内で政争、戦さが続いている。このあたりの細かな史実は、正直なところ把握もしていない。それは、歴史知識のすり合わせで長めの時間を共に過ごした陸遜も同様だった。
陸遜……、楠木信陸の今回の滞在で、多くの物事が進展した。元時代で陶器作りに興味を持っていたそうで、硝子、陶器、磁器づくりについて、より深い助言を受けることができた。
治水方面についても、洪水が多発した土地の出身で、また川津波についても調べた経験があるそうで、多くの知見を伝えてもくれた。
江戸時代には、東北、東海で地震による津波が幾度か生じる。また、浅間山噴火による泥流被害も発生したはずだ。
新規に開発した土地であれば、領主権限で人の住む場所を制御できるが、既にある街についてはむずかしい。まあ、神様ではないので、できるだけ被害を少なくする方針を示していくあたりが精一杯だろう。
そして、関東では武蔵野台地が、地盤が硬い上に、やや高くなっていることから洪水被害を受けにくい立地となる。元時代のように海辺近くまで広げる必要はないだろうが、重点的に開発していきたい。その基盤となる玉川上水の工事が進められていた。
陸遜はまた、繊細な菓子の知識も多く持っていたので、菓子方面の拓郎、那波茉莉、大福御前らと交流して新作を多く世に出してくれていた。あんこが高度化し、和菓子の幅が広がったのに加えて、開発局を巻き込んでの大判焼き向け鉄板も開発された。その結果として新田領では、庶民向けの甘味として大判焼きの屋台が一気に普及しつつあった。
ただ、色々な知識を授けてくれた陸遜も、いつまでも滞在していられるわけでもない。
「じゃあ、悪いんだけど、船を仕立ててもらえるかな」
「もちろんかまわんが、隠密裏に帰るか、大船団で戻るか、どっちがいい?」
「大船団は勘弁してよ。里屋経由で、所領は健在だと聞いているから、そっと帰るよ。で、傷病が癒えたという名目で復帰しようかと」
「まあ、そろそろほとぼりも冷めてるか」
「うん、松平なんて、旧蘆名領を確保しちゃってるもんね」
必ずしも所領というわけではないのだが、その点も含めて奥州については今後も考えていく必要がある。特に産業振興については、今のうちから進めておいた方がよいだろう。
「せっかくだから、織田で活躍してもらいたいからな。金銭でも物資でも人でも、なんでも持っていってくれ」
「そうだねえ、急に強化されすぎても、信長様の疑心を買うかもしれないし、そっちも派手にならない程度でお願いするよ。でも、料理人と製菓職人はほしいなあ」
「ああ、希望者を募るよ。……寂しくなるな」
「この華やかな厩橋で、よくそんなセリフが出てくるな。……織田が西国を制覇したらどうする?」
「共存できればいいんだがな」
「この時代の戦国大名が、関東を手中にして、奥羽を制覇せんとする存在を許容するどうかはねえ……」
「東西決戦は避けたいが、まあ、織田との関ヶ原決戦でゲームクリア、というならそれもありかな」
「いや、「戦国統一」に関ヶ原モードは実装されてないって」
戦術シミュレーションゲームでは、京を押さえて、その過程で近畿を手中に治めた勢力が、事実上の勝者となる場合が多い。戦国の世をうまく反映させていればいるほど、そうならざるを得ないわけで、特に東日本か西日本の制覇後に畿内を確保した場合は、全国を平定できるだけの実力を備えているのはほぼ確実となる。
その後は往々にして、残る地域大名を各個撃破していくだけの作業になってしまう。それを防ぐために、覇者的な存在が現れた場合に、強制的に他の大名による連合体を形成して、一大決戦をしよう、という発想で幾つかの戦国SLGに準備された仕掛けが、いわゆる「関ヶ原モード」となる。
ゲームの最後を盛り上げる仕組みとしてはありだろうが、現実路線の「戦国統一」シリーズでは採用された実績はない。
現状から、義昭を奉じた織田が畿内を制圧すれば……。上杉、武田が敵に回らない限り、西国大名を各個撃破していく展開となるだろう。その先には、織田を主座とした東国勢による大名連合が形成されるのか、決戦が行われるのか。
武田が巨大化した織田に従属するのなら、残るは上杉と新田のみとなる。そう考えると、上杉には越中、能登、加賀辺りまでは進んでおいてほしいのだが……。
思考を巡らせていた俺の耳朶に、物騒なつぶやきが届いた。
「問題は、光秀が織田家にいないってことなんだよねえ」
「おい、陸遜。お前、まさか……」
「いやいや、本能寺の変をやるつもりはないって。幕府、朝廷対応とかがややこしいよね、って話」
「なら、いいけどな」
ともあれ、今後も協力していくことを約して、楠木信陸は織田家へと戻っていった。
相変わらず遊軍として活動している三日月から、武田についての探索結果がもたらされた。
「……というわけで、世継ぎの義信が疑心を抱いているみたいなのよ」
「まあ、信玄のこれまでの在りようからして、今川に手を出すのは間違いないだろうなあ。三河、駿河を手に入れて、織田へ向かうか、上杉と雌雄を決しようとするか」
武田はこれまで新田とまともに戦ったことはない。二度の侵攻戦での敗北と、こちらからの北信濃侵入はいずれもまぐれ扱いされていてもおかしくなかった。そうであれば、上杉を押し戻して、新田をゆっくりと攻略する、くらいの考えを持ってもおかしくない。
「信玄の健康状態は万全じゃないにしても、すぐにどうこうってわけでもなさそうね」
「今川侵攻は近い……か」
現状の今川は、事実上の新田の庇護下にあると言えそうだ。ただ、奥州で二正面作戦中であるため、武田がすぐに侵攻すれば、有効な援軍を急派するのは難しい。
そもそも、三国不可侵の約定の上では、分け取りにするならともかく、守るのはおかしいとも言えるのだった。
「義信は、動きそうか?」
「北信濃を取られた影響で、家臣に不満が溜まってるのは確か。謀反を仕掛けるかどうかは、半々ってとこかな。信玄が機先を制するかもしれないし」
「確かにな……」
史実での武田義信は、親今川派をまとめる形で謀反を企んだとして、自死に追い込まれている。その際に、同心していたとされて討たれたのは、飫富昌景の叔父である飯富虎昌だった。
虎昌は、北信濃侵攻時に、新田が葛尾城を火攻めにした際に死亡してしまっており、それがどう影響するかは不分明である。
「今回の探索は、伊賀者か?」
「ううん、あたしが行ってきた。軒猿との絡みもあったからね」
「そうなのか、三日月はてっきり厩橋で……」
「それ以上を口にするなら、覚悟しておくことね」
俺は首をすくめて、そこまでにしておいたのだった。ただ、どこか雰囲気が和らいだようでもある。多岐光茂との関係はうまくいっているのだろう。
「ところで、桜えびってのを託されたんだけど」
持ち出されたのは、きれいな桜色をした干しえびだった。
「獲れたか、よかった。生では食べてきたか?」
「ええ。経験したことのない味と触感だった。でも、干した方がもっと味が深いのよね」
三日月が食事について反応するのはめずらしい気がする。
アジ向けの漁網を深いところまで沈めてみたら、未知のエビが大量に取れたというのが駿河湾での桜えび漁の始まりだ、との話は元時代で耳にしていた。そのため、地域の漁民らに試してみてもらったのだが、この時代から生態は変わらなかったようだ。
「生でも干したものでも、かき揚げにすればおいしい。鍋に入れるのもいいな」
「かき揚げ……」
三日月の目が輝いている。よほど気に入ったのだろう。
食材としても貴重だが、乾物にすれば明にも売れそうなので、人を派遣して干しサクラエビの量産体制を構築するとしよう。それこそ、今川家を巻き込むのもいいかもしれない。
この年の奥羽夏至連歌会は、状況が状況だけに休止することになった。厩橋にやってきた岩城親隆の妻である梅姫は鈴のような声で残念がった。
そして、梅姫にたまたま厩橋に揃っていた青梅将高と芦原道真を引き合わせたところ、しばし絶句した後に、それもまたありです、と呟いていた。
岩城親隆に視線を向けると、理解をあきらめた様子で首を振られてしまった。まあ、あまり気にする必要もなさそうだけれど。