【永禄九年(1566年)八月】その一
【永禄九年(1566年)八月】
朝廷からの呼び出しは、やはり無視するわけにもいかない。留守の体制を固め、北方への援軍も出立させてから、俺は上洛のために旅立った。
同行するのは、林崎甚助、諸岡一羽、愛洲宗通と明智光秀、それに忍者の精鋭たちだった。
三国峠から越後へ抜けると、軍神殿は出兵中で留守だったので素通りさせてもらう形となった。北から呼び寄せていた昴九式螺旋改良型で敦賀に入り、陸路で琵琶湖……、いや、淡海に出て、水路を使って京へと向かう。
都の荒れっぷりは、聞きしに勝るひどいものだった。応仁の乱以降の戦乱による被害の蓄積が激しいにしても、いくらなんでも荒れ過ぎではないだろうか。
近衛前久の弟が神職を務める聖護院で滞在していると、従二位権中納言に任ずるとの使者がやってきてあたふたしてしまった。
父親を亡くしたばかりで喪に服しているはずなのに覗きに来た関白殿下に、官位が高すぎて足利家に喧嘩を売ることになると抗議したら、大内義隆や阿蘇惟豊が従二位に任官された先例があるので、それに倣ったまで、と返された。いや、でも、権中納言と組み合わさるとさあ。
「武家は、結構な下位から徐々に上がっていくもんだろうに」
「古河公方を放逐して関東の束ねとなった護邦殿に、従五位下やら左京大夫なんかを与えるわけにもいかないでおじゃるよ」
「公方を放逐したとは人聞きの悪い。古河公方は足利藤氏殿で、行方不明になられてしまっているだけだ」
「なるほどのお。関東管領が輝虎殿なのだから、古河公方は義氏殿ではなく、藤氏殿とするのが確かに筋でおじゃるな」
「だいたい、拝謁するにしても、任官はその後じゃないのか。なんで、事前になんだよ」
「無位無官で拝謁できるはずがないでおじゃろうに」
「……まさか、さらに上げるつもりじゃないだろうな。義満に並ばせるとかは、絶対にやめてくれよ」
武家の最高官位は、足利三代将軍義満の従一位太政大臣となる。
「ふ……、どうでおじゃるかな」
「勘弁してくれよ、本当に」
嘆きは尽きないが、関白殿下に出向かれては、文句を言ってばかりいるわけにもいかない。なにせ、戦場を幾度も共にした間柄である。そのままお茶会からの会食になだれ込んでいると、また朝廷からの使者がやってきて、二日後に謁見に来るようにと指示された。
衣服なども、既に準備されているという。サイズとかは……、関白殿が伝えたってところか。
なんと言うか、よからぬことを考えないように早回しにされている気がする。そして、光秀あたりが協力していそうでもある。
京の政情としては、将軍宣下を求める足利義栄が四国から淡路にまで進出し、義栄陣営の篠原長房が摂津や河内を攻めて、講和話が出ているところのようだ。史実においても足利義栄と義昭の将軍継位争いが壮絶だった認識はあるが、さすがに詳細までは把握していない。「戦国統一・オンライン」において、将軍、天皇、公卿の役割は、限定的なものに留まっていたし。
織田信長のところに足利義昭が転がり込むにあたって、明智光秀はどういう役割を果たしていたのだろうか。そして、信長のところにいる陸遜……、楠木信陸の影響がどう出るかもわからない。
いずれにしても、三好勢が確保している京はわりと平穏な状況だった。一箇所に留まるよりは、動きがあった方が好ましいとの警護側からの献策もあり、俺はかねてより会ってみたかった人物のもとを訪れた。
狩野派の絵師、狩野永徳はこの年で二十三歳。知己だという関白殿下が腰軽く同行してきたので、すんなりと面会することができた。
人当たりが良さそうな中に、どこか傲岸な印象も含まれる感じは、いかにも芸術家といった風情である。
用件のひとつは、著名な作品についてとなる。亡き足利義輝にとっては、現状は心残りだろうと話を向けたところ、だいぶ上杉輝虎に期待をかけていたようだとの話が返ってきた。
そこから、完成していた洛外洛中図を見せてもらうことができた。狙い通りの展開である。
「見事な作品ですな……」
「ですが、残念ながら死蔵することになりそうです」
「なぜです?」
「新たな将軍は、どうやら義栄様となりそうですからな。上杉殿を呼ばれたいとは思われんでしょう」
「なるほど……。僭越ながら、輝虎殿とは付き合いがあるので、新田で購入して贈る形とするのはどうだろうか」
「確かに、このままではもったいないでおじゃるな」
こうして、洛外洛中図が越後へ向かうことが定まったのだった。
時間ができたら、ぜひ厩橋に来て、制作と絵師への講義を頼みたい旨を伝え、この日は辞去する形となった。
京の街を連れ立って歩いていると、関白殿下がいつになくぎこちない風情で視線を向けてきた。
「時に、護邦殿。ちと時間をいただけぬか」
「もちろん、かまいませんが、なにごとです」
「姉者が会いたがっておられてな。狩野永徳のところを訪ねると伝えたら、近くの寺で応接したいと待ち構えているのでおじゃる」
「姉君とは……、亡き義輝殿の奥方で?」
「いや、そちらも姉なのでおじゃるが、もう一人おってだな。玉栄と号している変わり者で」
「……源氏物語がお好きな?」
「もう、夢中でおじゃってな。……姉をご存知か? 里村紹巴殿から聞いておられたとかでおじゃろうか」
確か、源氏物語の初心者向け注釈書を書いた女性がそんな名前だったような気がする。ただ、この時点からは未来の話かもしれない。
「いや、なんとなく。連歌もたしなまれるので?」
「そちらも、下手の横好きにしてもなかなかの腕前でしてな」
表現が混乱していて、さらにやや誇らしげなところは、微妙な弟心といったところか。
寺社がやたらと多くて場所がよくわからないが、案内されたのは光照院という寺だった。ここには関白殿の妹がいるらしいが、病気らしくて顔を出していない。
出されたのは、香りのよい緑茶だった。
「越後は本庄の緑茶だと聞いています。……新田様の仕掛けだそうですね」
「姉者、あいさつくらいはきちんと……」
「かまわんさ。お初にお目にかかる、新田護邦と申す。前久殿には、色々とお助けいただいている」
「花屋玉栄と名乗っております。性根の据わっていない弟ですが、新田様のお役に立っておりましょうか?」
言葉選びはややきつめだが、ほんわかとした口調がそれを中和させている。
「近衛の御曹司で関白殿下で、となりますと、いるだけで色々と効果は出ますので」
「まあ、便利使いされているのですね。それは重畳」
「姉者……、護邦殿までひどいでおじゃる」
「冗談はさておき、戦場に立って事を動かそうとする行動力は、なかなかのものかと。武田侵攻の際にも前線に立っていただいたし、鹿島神宮、香取神宮の仕置きの際にも、佐竹の間近で活躍していただきました」
「香取と鹿島の神主をすげ替えるそうですね。京では手を挙げようとした者たちが、新田のこれまでの所業を聞いて震え上がって逃げ出しているとか」
「鹿島氏を攻め滅ぼした件ですかな? あるいは、高利貸しで民を苦しめていた寺を焼き払った件でしょうか」
「寺の焼き払い……とは、そんなこともなされていたんですか?」
「む、語るに落ちてしまいましたな。これ以上、旧悪を自ら開陳しないためにも、どのような所業が伝わっているか、お聞かせいただけますか?」
「まあ、もっと自白をお聞きしたかったのに残念。そうですねえ、新田義貞公の生まれ変わりを騙り、新田を名乗った横瀬氏に天罰を降し、生まれ変わりを見抜けなかった支族の里見と太田を無礼討ちし、武田と北条までも退けて。唯一保護しているのは、義貞公の生まれ変わりだとすぐに見抜いた岩松のみだとか」
「間違っているとも言いづらい話ですな。おのれ、岩松守純め……」
おそらく新田の血は入っていないと思われる横瀬氏とは異なり、岩松家は母系からとはいえ、新田の惣流にごく近い支族の家督を継いだ、本来なら新田を名乗るに相応しい一族である。下剋上で横瀬氏に放逐されたのを恨んで、そのような噂を流しているとは知っていたが、京にまで伝わるとなると……。
「討伐なさいますか?」
「罰として、京土産をあやつだけ無しにしてやりましょう」
「それはおひどい……」
ころころと笑う様は、おとなしい婦人に見える。だが、おとなしいだけの人物なら、そもそも武家との会見など求めては来ないだろう。
「だいたい、うちの新田は源氏の新田ではないんだ。そもそもが平民の出でだな」
「それはおかしいですね。任官の使者がもたらした書状に、新田のなにがし源朝臣護邦との記載がございませんでしたか?」
「……書いてあったな」
「それは源平藤橘の源氏を意味しています。受け容れたからには、源氏の一員だとお認めになられたわけで」
「認めたも何も、なんでそんな記載がされてるんだ」
「企んだ者がおるんでしょうねえ」
「内通者もいるわけか」
関白殿と光秀が系図をでっち上げたというところか。そういや、父親と祖父の名を聞かれたような気がする。迂闊だった。
「光秀は、そういうところがあるんだよなあ。それならそれで、正面から論破してくればいいのに」
「頭が良い方に特有の動き方ですね」
言葉を交わしながら、玉栄殿と俺は関白殿下に視線を向ける。おそらく光秀と共犯者だと思われる人物は、さすがに居心地悪そうにしている。まあ、ここまでにしておくか。
玉栄殿も同感だったようで、くすりと笑みをこぼして話題を転じさせた。
「ところで、護邦様は連歌は嗜まれないのですか?」
「ええ。新田の連歌は、岩松守純に任せると決めております。それに、当主が加わっては、自由にできないでしょう」
かつては新田氏の嫡流と目されていながら、横瀬氏にその座を奪われようとしていた岩松氏の現当主は、横瀬改め由良氏を打倒した我が新田を訪ねて臣従を申し入れてきた。現在では家中での連歌大臣的役割を果たしつつ、なにやら情報工作までしている。そこも含めて、好きにやらせている状態である。
「ですが、年末の連歌会では、いつも護邦殿の話題で持ちきりですけれど」
「いや、そんなはずはないです。印刷されたものは見ていますが、我が身について触れた歌はなかった」
「皆様、色々と工夫されているのですよ。弟の返歌にも苦心の跡が見受けられますし」
関白殿下をジロリと睨むと、目を逸らされた。
「しかし、大晦日の連歌の件は、京にまで伝わっているのですか」
「もちろんです。連歌会の皆様の歌の書き付けと、厩橋鹿島神社での奉納仕合の絵入りの対戦記、それに最近の摩利支天神社の演目概要なども、正月過ぎの楽しみですもの。連歌好きはみんな取り寄せていますし、紹巴様が嬉しげに配っていますわ。隙あらば、わたくしも参加したいくらいです」
「お越しいただければ、歓迎いたしますが」
「よろしいのですか? 武家の方には、女が連歌を嗜むのを嫌がられる方も多いのですが」
「いや、道真も参加していますし。……って、しまった」
この日のやり取りで始めて、玉栄殿が驚きの表情を見せた。
「……道真様は、男装の女性武将でしたの? 前久殿、あなたがわからないはずはありませんよね。この姉にまで隠し事ですか」
「あー、いや、新田の最高機密だからな。配慮してくれたんだろう」
「紹巴様もとっちめなくてはいけませんね」
表情は、なかなかにきついものとなっていた。
彼女は蜜柑や澪とはまた違う感じで話しやすい人物で、その後も京と関東の情勢どちらについても話は弾んだ。
源氏物語について聞いてみると、最近の注釈本は自己満足の説明ばかりで注釈になってないとおかんむりだったので、まとめてくれたら印刷しようかと持ちかけてみたら、関白殿下も興味を示してきた。
「源氏物語の注釈本でなくとも、新たな物語でもいいですし、和歌集でもよいでしょう。何が今の時代に好まれるか、何を後世に残したいかで考えていただければ」
「繁朝殿が春日虎綱殿とこそこそやっているのは、その話でおじゃったか」
「箕輪繁朝がなんだって?」
「いや、こっちの話でおじゃる。それなら、勅撰和歌集の復活もありでおじゃるか」
「それもありだが、あれはやはり古典だろう。やるなら、なにか別形式を作り出した方がいいんじゃないか。各大名に一首ずつ出させるとか、決まった題材で募って、そこから選ぶとか」
そんな展開で、話はまた盛り上がったのだった。