【永禄九年(1566年)六月/七月上旬】
昨日の新規部分の公開、いつもよりも遅い時間帯になってしまって、たいへん失礼いたしました。お昼時には、というのを目指していたのですが、操作ミスをしてしまい……。
12時台に何度かお届けできたのもあり、再発防止のために本日より午前中の公開に戻しております。
【永禄九年(1566年)六月】
このところ、マカオ=八丈島航路、小笠原探索、北方戦線の行方、その先についてと考えることが多かったので、厩橋に詰める期間が長くなっていた。同時に、子どもたちとの交流も図っていたのだが、明智光秀からお叱りの言葉が届いた。
決戦の相手となる佐竹側は、足利義氏を旗印にして、敗れた諸将の軍勢も参加しており、兵力以上に意味合いは大きい。それなのに、総責任者である俺の関与があまりにも薄いというのである。
もっともだし、ありがたい諫言なのだが、そういう直言癖が、史実で信長と衝突する原因だったのでは、と思わなくもない。
佐竹領と宇都宮領を見渡す意味からも、真壁城に置かせてもらっている本陣へと俺は移動した。前線はさらに先なので、適宜視察に赴くとしよう。
内政組も同行していて、並行して占領地の対応も進める形ともなった。光秀も納得顔なので、合格点をもらえたようだ。
そして、降伏呼びかけの文書は、想定以上に深刻な影響を及ぼしたようだ。
太田、里見勢のうち、降伏を拒絶した部将の幾人かが兵に殺害され、同士討ちに発展した場合も見受けられたとのことだ。佐竹勢は、当然ながら新田への攻撃を求めており、応じずに討滅された者達もいれば、前線に到着してから投降してきた部隊もあった。
佐竹や宇都宮にしても、特に農民からの招集兵は逃げ込んでくる者も多く出ていた。
一方で、この状態でも士気の高い者達はいる。それは、佐竹、宇都宮やその従属国人衆である壬生氏や江戸氏に限らず、里見勢、太田勢の中にもいた。太田資正の息子である梶原政景や、槍大膳こと正木時茂も健在で、二人は足利義氏の直臣的な立場となっていた。
光秀の方針は、先に宇都宮領を攻略するというものだった。彼我の戦力差を考えると、分断しての各個撃破を狙うよりも、先に弱い方を落とした方が結果として早く済むと考えたのだろう。戦さを早く終わらせて、民の被害を少なくしようとの発想は、この人物らしい。
宇都宮城の陥落時には、当主は既に佐竹領に去っていて、防衛にあたった多功房朝らの奮戦ぶりが際立った。いざ落城という際には、突撃して戦死したというから猛者である。
ただ、当主は既に落ち延びていたからには、新田に降伏するのを良しとせず、死に場所を探していたのかもしれない。
転進して佐竹領に深く入ると、佐竹を事実上の盟主とする連合軍……といっても、他の参加者は所領を失っているのだが、いずれにしても寄り合い所帯の軍勢が会戦を挑んできた。
だけれど、実際には儀式的なものだったようにも思える。正面から戦ったものの、敗勢になると主力勢はあっさりと退却していった。どうやら、白河方面へと向かったらしい。
その中で、佐竹勢がやや手間取っていたのは、佐竹義昭が自害したためだったようだ。義重は謹慎時には廃嫡されていたようで、佐竹義尚が家督を継いだとの情報が、後に鷹彦からもたらされた。
追撃はそこそことして、諸将は一帯の鎮撫へと移行した。具体的には種苗を配り、田植えを奨励しつつ、炊き出しと食料配布を並行で実施したのだった。
この状況でも、奥州夏至連歌会は続いていた。こうなってくると政治的な意味合いを持ってくるが、あまり利用したりはせずに、楽しんでもらうのがよさそうだ
直近の参加者は、最上義光とその家臣、氏家守棟に、小野寺家臣の八柏道為の名があった。
今回から伊達家臣の遠藤基信も参加したそうだ。伊達家の有力家臣だったと認識していたが、この時点では中野宗時の家来状態とのことだ
【永禄九年(1566年)七月上旬】
関東に平和をもたらしたのを賞するためとして、上洛を促す使者が朝廷よりやってきた。
見知ったその人物は、関白殿の弟で、かつて上州にしばらく滞在もしていた聖護院道澄だった。
ただ、京都では三好三人衆と細川、松永らが抗争中で、足利義栄と義昭の将軍継位争いが激しくなっているようでもある。
三好勢は、こちらをどう認識しているだろうか。そして、将軍の後継候補達は。
亡き足利義輝とは、蜜柑や上泉秀綱といった剣豪人脈を通じての接触があり、軍神殿の関東鎮撫に助力したとの認識も持たれていたはずだ。けれど、足利義栄と義昭とはどちらとも未接触である。いったい、どう思われているだろう?
俺にとっての彼らは、権力闘争の中で一応は十四代将軍になりながらも信長に蹴散らされた人物と、その信長に擁立されたものの、やがて敵対状態に陥って敗れ、足利幕府に幕を下ろした存在との認識となる。
義昭は越前の朝倉氏に身を寄せていて、友好勢力の上杉家とも交流がありそうだ。
そして、この頃には足利義栄の方が畿内で勢力は強いはずで、近づくのは危険かもしれない。
ただ、一方で、ここまで両陣営から接触がないとなると、新田は上杉の付属物と受け止められているのか。
頭を悩ませていると、やってきて頭上方向から逆向きに顔を覗かせたのは、蜜柑だった。
「上洛の件で悩んでおるのか?」
「ああ。半ば敵地だからな」
「ついていって、守ってやってもよいのじゃぞ?」
「いや、蜜柑と俺の二人ともが死ぬとなったら、さすがにつらい。残ってほしい」
「それじゃと、ずっと一緒に旅ができぬではないか」
妻の口がはっきりと尖っている。
「領内の温泉でも行くか。少しくらいのんびりしてもいいだろう」
「そういうんじゃなくて、もっと遠くへ!」
「どこまで遠くかによるが……、柚子や柑太郎が成人してくれたら、あるいは」
「成人とな。十四やそこらのあの子らを、放り出す危険を冒せるのか?」
「むずかしいな」
「じゃろう? いいのじゃ。いつか、行けたらいいな、という話までで。どうせなら思いっきり遠くが希望じゃ」
「わかった。いつかな」
蜜柑がにっこりと笑ったところに柚子が駆け寄ってきて、二人に同時に飛びついた。我が娘の突進の勢いは、なかなかのものになってきていた。








