09
撮影が終了したのは21時だった。スタッフさんやキャストさんに挨拶をしてバスに乗り込むと、急に身体が重く感じた。無意識のうちに疲れと戦っていたらしい。とにかくお腹が空いたため、早くホテルに戻りたかった。
ゆかりちゃんは前に「撮影楽しかった〜」とか、「いろんな人とと話せました〜」などと話していたが、今日の撮影は緊張しかしていなかった。初めはこんなものなのかもしれないが、空さんとは撮影以外で言葉を交わすことはなかった。リハーサルの際に、「俺の演技変?変じゃない?」などと話しかけてはもらえたが、私が答える前に「自然だよ〜」「もっとこういう言い方してほしい」と監督が話に入ってくる方が早かった。
ホテルに戻ると、私は現在使っているSNSアカウントを削除した。現在使っているのは全て鍵垢だったが、学校や住んでいるところの特定、しょうもない不満が書き綴られたものが世に出回ることを恐れた。これから先もし私のことが大きく取り上げられた際、SNSアカウントが見つかれば学校の人にも迷惑がかかる。それだけは避けたかった。自意識過剰かもしれないが、早めに対策するに越したことはない。
買ってきたおにぎりを頬張る。きな粉わらび餅味がたまたま売っていた。何となく気になったので食べてみると、普通に美味しかった。ただ、米とわらび餅は別々で食べたいなとも思った。
何事もなく今日も撮影が上手く行って欲しい。そう思っていたが、そう言うわけにはいかなかった。
監督から、動きをこうして欲しい。話しかけるタイミングをずらして欲しいなど、様々な要望が入る。それに応えようとしたものの、どうしても演技がぎこちなくなってしまい、時間が押してしまった。
一緒にサッカー部のシーンを撮影していた空さんや、他のキャストさん、スタッフさんに何度か頭を下げた。幸い「大丈夫だよ〜」と温かい雰囲気を保ったまま撮影が進行していたことが、すぐに心を落ち着かせて役に入り込むことができた。
2日目は特に私の喋るシーンが多い。台詞は何度も手で書き、頭に叩き込んでいたため忘れたりすることはなかったが、テイクを重ねていくうちに、だんだん心が折れていくのが身にしみてわかった。
部活のシーンを何とか一通り終えると、時間は17時を指していた。もうこんなに過ぎていたのかと驚く。それぞれのキャストさんたちは汗を拭いたり、用意された水を飲んだり次の撮影まで休憩をとっている。申し訳なさでいっぱいだった私は、せめて水は最後にもらおうと少し離れた。マネージャー役であったため、サッカーをしていたキャストさんたちに比べたら汗はかいていない。
「あ、誰か水もらってない人いません?」
声の方を向くと、そこには「もらってない人いますか?」と手を上げる空さんがいた。おそらく私だ。
「1本多かったんですかね?」
その声で、貰いに行こうとした私の足が止まった。スタッフさんに言いますか?と話し合っている輪を見て、声を上げにくくなってしまった。どうしようか迷っていると、空さんと目があった。
「水、貰った?」
その声と同時に、周囲が私の方を見る。
「あ・・・すみません、貰ってなかったです」
静かに空さんから水を受け取った。こんな風になるなら始めからすぐに行けばよかった。今日は人に迷惑をかけてばかりだ。自分が情けなくなった。
場面が変わって部室でのシーンになった。「空」が活動者として東京フォーカスホールでイベントを行うため、部活との両立が困難になっていることについて口論が始まる。私は兄である「一ノ瀬」が活動者であるため、「空」について理解のある立場だ。
「やっぱさ、空についてよく思ってない奴もいるんだよ」
部長の一言で、それは始まる。
「最近部活休みがちじゃん?一生懸命やってる奴をよそに、お前を試合に出すことに納得しろって方が無理だ」
正直このシーンは私にとってかなり辛いものだった。現実での私も、事実撮影の関係で部活の休みを貰っていたし、過去にもリハーサルや打ち合わせで途中で抜けたり、反対に遅れて参加することもあった。その度にキャプテンや顧問、コーチにその旨を報告しなければならなかった。それを繰り返していくうちに、初めは「分かった」「了解」などと言ってくれていたが、次第にそれも言われなくなった。私が報告した瞬間鞄を持ってその場から去って行かれたこともあった。
「今のお前は中途半端だよ」
「は?」
「空」とが声をあげたが、部長は話を続ける。
「遊んでるわけじゃないのは分かってるけど、これ以上は見過ごせない」
部長の言葉が、私自身にも突き刺さる。「中途半端」、私もバドミントン部員からそう思われているのだろう。
「・・・俺が、サッカー部辞めたら良いってこと?」
「そうじゃない!秋の大会はイベントに集中して、冬になったら帰ってくるじゃ駄目か、提案してるだけだ」
次に声をあげ、発案したのは副部長だった。設定では高校2年の夏であるため、来年の春に引退ということになる。確かに、時間はあるため副部長の案も納得できるものだ。この発言だけをとれば。
「今日のゲーム練習、明らかに他のFWより俺が点数を取ってた。顧問もコーチも今日の試合で選抜を決めるって言ってたじゃねえか。部長らがやってることは後出しジャンケンと一緒だろ!普通にずるいし、それなら最初からそう言えよ」
「空」が納得をいっていない理由はここにあった。確かに練習に来られない日もあったが、公平な試合で活躍をし、レギュラーの枠を掴み取ったと思った矢先の出来事だ。
「頼むから、顧問にレギュラー降りるって言ってくれ」
「俺たちだってサッカー以外にやりたいことあるよ!塾に行ってる奴もいる。でもみんなそれでも頑張って部活に来てんだよ!」
「今のお前は、あれもやりたいこれもやりたいって、わがまま言ってるようにしか聞こえない」
「試合出れない奴の気持ちにもなれよ。自己中野郎だから無理かもしれねーけど」
部員たちが言い放ったことは全て、私にも十分に当てはまる言葉だった。「わがまま」「自己中」という言葉をなんとか否定したかった。「空」のためだけではなく、私自身のためにも。
「・・・ねぇ、そんな言い方はないんじゃないの?」
「は?花さんに何が分かんの?」
「いくら何でも言い過ぎだ」
「花」がどれだけ言っても、彼らの文句が止まることはなかった。
台本は読み込んでいたため、この言い合いで誰が何を言うのかはもちろん把握していた。しかし、いざ言葉として聞くと、文字だけで追っていた時とは比べ物にならないほどの攻撃力を持っていた。このシーンが一発でOKが出て本当に良かった。やり直していたら、心がもたなかったかもしれない。
時刻は20時を過ぎていた。予定では20時半には解散だったが、高確率で間に合わない。最後は「空」と「花」二人での会話だ。最後の撮影のリハーサルが始まる頃には部員役のキャストさんたちはもういなかった。
「・・・前田ちゃん、大丈夫?」
監督から突然声をかけられ、何について大丈夫かと聞いているのかわからない私はかなり焦った。
「もしかして疲れた?」
「いえ・・・大丈夫です!ありがとうございます!」
とっさに返事を返す。顔が死んでいたのだろう。本番ではないとはいえ、気を抜き過ぎていた。「やる気がないなら帰れ」など、これ以上追い討ちをかけられたらまともに立つこともできないような気がした。
「なんか、初めて会った時より痩せたよね?」
「・・・そう、ですか?」
初めて言われた言葉に戸惑った。確かに、夏に入ってから東京を往復したり、部活に行ったりと多忙な日々を送っていた。眠れないことも多々あったため、身体も限界に近いのかもしれない。
「んー、まあ、次で最後だし頑張ろーね!空くんも!」
「え?あ!はい!!」
近くで休憩をとっていた空さんも、かなり顔に疲れが出ていた。私は撮影2日目だが、彼はもっと前から行っていたはずだ。しんどいのも当然だ。サッカーもしていたのだから。
一発で決めよう。本当に頑張らないと。
「花」と「空」は、更衣室の外で待ち合わせをしていた。イベントで行う資料を、出演者である兄の「一ノ瀬」に渡し、企画の詳細をこれから説明しに行くため、帰り道が全く一緒だった。
「今日は、ごめんな」
校門に向かっていると、「空」が突然口を開いた。
「何が?」
「なんか俺のせいで、お前も色々言われたわけじゃん?」
「あー・・・」
部活終わりの場面ということもあり、お互い疲れを全面に出しても許された。部室でのやり取りはまだ続きがあり、「何で空の味方なの?」「空になんか思い入れでもあんの?」など、「花」に対してもかなり言いたい放題だった。それを「空」が止め、場面は終わった。
「空が頑張ってんの知ってるからね」
「・・・そっかぁ」
歩いている途中に、一つだけサッカーボールが取り残されていた。片付け忘れという設定の小道具だ。「空」はそれを見て、足を止めた。
「俺、本当に頑張ってんのかなぁ」
ぽつんと呟いた独り言に、振り返る。
「やりたいことをやってるはずなのに、なんか・・・こんなに辛くなるって思ってなかった」
まるで私の心の中を代弁してくれているようだった。部活も芝居も、手を抜かずにやってきたつもりだ。でも、周りは私の全てを見ているわけじゃない。だからこそ「中途半端」と言われるのは当然なのかもしれない。認められないって、こんなに辛いものだったのか。
「サッカーも、イベントもやりたい。同じくらい好き。でもそれは駄目なんだって、知らなかった」
「駄目」。1番聞きたくない言葉だった。オーディションに応募したあの日から、今日までの自分が否定された気がした。どうしても「空」に私を重ねてしまっていた。
「駄目じゃ、ないよ」
「花」が口を開き、「空」と目が合った。
「好きなことは1つしか持っちゃ駄目なんて、そんなルールないよ。確かに時には1つを選ばなきゃいけないかもしれない。でも・・・」
身体全身が熱くなった。視界がなぜか曇り始める。思わず下を向いた。台詞が途中で止まり、空さんはきっと困っているだろう。でも、少しだけ時間が欲しかった。きっと止まるから。堪えて見せるから。そう思っていたのに。
「やりたいことに、同時に全力で向き合うことも『選択』だって、私は信じてる」
これは誰の言葉だったのだろう。台詞であることには間違いないが、これを言ったのは誰なのだろう。「花」であれば、話し終えても涙は堪えきったはずだ。堪えた表情で話すという指示が出ていたのだから。
カットの声がかかり、我に返った。その瞬間、私はやってしまったのだとようやく自覚した。時間も押しているのに、最後の最後に何をしているのだろう。監督がチェックに入っている。私は下を向いた。空さんに合わせる顔がない。私たちは何も話さず、ただただ監督の判断を待っていた。頬に伝うものが、意識しなければ加速してしまう気がした。
「OK!!今日の撮影は以上です!!」
心も身体もヘトヘトな私が、唯一耳に受け入れた言葉があった。
明日も「日曜」なのに仕事だという、どこにでもあるような会話だ。しかし、私が焦るのには理由があった。
撮影は予定より30分ほど遅れて終了した。急いで控え室に戻り、交通アプリを起動する。世田北高校から、ホテルまでの道のりに検索をかけた。
「・・・うわ。」
通常30分ほどで帰れるはずだが、最短でも1時間半以上かかるという検索結果が出た。休日ダイヤのため、最終バスがすでに出てしまっており、帰るためには駅までの道を歩かなくてはならないのだ。
ほとんどの原因を作ったのは私だ。一発OKを出しまくれば予定通りに終わり、間に合ったのだから。仕方ないから頑張ろう。気持ちを切り替えるためにもいい運動になるかもしれない。
そう思って控え室を出た。スタッフさんたちはまだ片付けに追われていた。この学校で撮影することはもうないため、セットなどをしまわなければならなかった。そこにはまだ監督の姿があり、とりあえず一声かけてから帰ろうとした。
「あ!お疲れ〜!また明日もよろしくね。最後のやつ、今までで1番良かったよ!」
思いの外高評価で驚いた。もし撮影時間が押しているからという理由で妥協だったらどうしようかと心のどこかでは考えていた。それを監督自身が覆してくれたことは本当に大きかった。
「ありがとうございます!お疲れ様です」
「うん!気をつけ・・・あ、そういえば前田ちゃんバスで来てたよね?今日土曜だし、まだ本数あったっけ?」
痛いところを突かれてしまった。その勢いで驚いた表情をしてしまう。なんて返せばいいか迷っていると、近くにいた他のスタッフさんに監督が声をかけていた。
「あぁ・・・この辺バス少ないですからね。確か無かったかも」
「あ、ほんとに?どうしようか。ご両親・・・は、東京じゃないんだよね。うーん、1人で帰らせるわけにもいかないし・・・」
どうやら私の帰る方法を考えているみたいだった。おそらく「歩いて帰るんで大丈夫です!」と言えば即座に否定されてしまうだろう。高校生の私にとってはよく考えたら補導されるリスクもある。
「俺が送っていってもいいけど、この後も残ってやることあるしなぁ・・・」
駅から離れている学校であるため、ほとんどの人が車で現場に来ていた。東京と不便という言葉がどうしても結びつかない私にとっては想定外のことであり、大都市というのは本当に一部だけなのだと理解した。
どうしようか悩んでいる大人たち気を引かれ、背後にいた人影に気づかなかった。
「俺、送って行きましょうか?」
学校から少し歩いたところに駐車場があった見慣れないの地名が書かれたプレートの車を見て、その人は「これだよ」と教えてくれた。
提案をしてくれたのは空さんだった。あまりに唐突なことに最初は驚きすぎて「それは申し訳ないです!」と否定しようと思ったが、他に方法がないため受け入れるしかなかった。監督の「ああ、じゃあお願いしていいかな?」という言葉が、さらにその案を後押しする形になった。
助手席に案内され、言われた通り車に乗った。車内には「No smoking」というプレートがあり、空さんは煙草を吸わない人なのだということを初めて知ることができた。運転席に空さんが乗ると、車のエンジンをかけた。
「どっち方面だっけ?地下鉄の駅の方が近い?」
方面、という言葉に私はピンと来ていなかった。聞き慣れない地名を言われれば、恐らくちゃんと答えることができないだろう。そのため、後半の質問にだけ答えることにした。
「新宿なので、地下鉄だと思います」
私のホテルは新宿にあった。明日以降の撮影現場が近いため、もうこのような事態に陥ることはないだろう。
「あ、マジで?俺もそっから近いし新宿まで送ってくよ!多分乗り換えあるでしょ?」
私が返事をする前に車は動き出した。車内では女性アーティストの音楽が流れているため、沈黙を恐れて肩に力が入ることはあまりなかった。
赤信号で車が停止する。案内標識には、まだ新宿の文字は見つからない。
「そう言えばさ」
前を向いたまま、空さんは口を開いた。
「最後に泣いたのって、監督の指示だったの?」
恐らく、いや、間違いなくつい30分前に撮影されたシーンのことだ。同時に音楽が鳴り止む。沈黙がさらに私を急かす。
「・・・いえ、何ていうか・・・本当に、そんなつもりはなくて」
言い訳にしか使われない言葉が飛び出す。「そんなつもりはない」という言葉を聞いて、納得する人を今まで生きていて見たことがあっただろうか。むしろ、高確率で人を苛立たせる、一周回って魔法の言葉なのかもしれない。 何で泣いたの?と聞きたかったのだろうが、質問に答えになっていないのは重々承知している。でも、私自身も分からないのだ。
「え、そうなの?すげー・・・俺めっちゃ焦った。なんかやっちゃったかなーとかさぁ・・・」
カットがかかってから空さんと目を合わせることがなかったこともあり、焦っていたことも知らなかった。その後に付け加えられた「さすが女優だわ」という言葉はすぐに否定した。
「でも前田ちゃん、すごかったよ。最後だけ人が変わったみたいだった。良い意味で」
青信号に変わり車が走り出してからも、音楽はならなかった。トラックを一周してしまったのかもしれない。しばらく車の走る音だけが響いた。
「多分、空さんの演技に、感化されたんやと思います。全く気持ち途切れることがなくて・・・」
嘘は何1つなかった。監督からも褒められていたし、休憩中サッカー部員役のキャストさんからも、「芝居経験者なんじゃないの?」などという声があがっていた。それを全て伝えると、照れ臭そうにしている様子が夜の光で一瞬だけ見えた。
「俺が高校の時サッカーしてたのもあんのかな?周りもめっちゃ上手かったから余計懐かしくなったなぁ」
青春だなぁと独り言を呟きながら角を曲がった。気づけば辺りはたくさんのビルが建ち並んでいて、そこから溢れる光が綺麗に思え、夜景が好きな私は少し興奮した。
「でもさ、俺びっくりしたの。みんな今はサッカーしてないって言っててさ・・・」
「え?」
「小、中学でやってた人はいるけど、そっからは事務所入ったり、部活はしてるけど演劇部とかに入ったりしてるんだって。本当にすげーなって俺尊敬しちゃった」
夜の光が突然消えた。確かにそこにあるはずなのに、私の目に入って来なくなった。でも、考えなくても当然のことだった。目標に向かって一途に努力している人はやっぱりかっこいい。私はそれができていないだけ。なのに何故、こんなにも悲しくなるのだろう。
「空さんは・・・欲張りだと思いますか?サッカーも、活動も両方したいと思うことって」
今の話を聞いて、私の願った答えが返ってくるとは到底思えない。それでも質問してしまうのは、私がわがままで自己中人間だからだろう。私の言葉で何かを察して、嘘だとしても答えてくれるのではないかとまで考えた。
「んーどうだろう・・・思うのは別に自由だと思うけど、人に迷惑かけちゃうよね。実際に」
新宿駅の人気のないところに車を停車させると、空さんは「ここでいいかな」と私の方を向いた。
「はい。本当にありがとうございました」
「いえいえ。じゃ、また明日」
運転席から手を振る空さんに何度も頭を下げた。
ようやく車が見えなくなったところで、ホテルに向かって歩き出した。都会の灯りにも、有名活動者の車に乗せてもらいその隣で会話ができたことにも高揚している私はどこにもおらず、代わりにショウウィンドウに写っているのは、死んだ顔をした私だった。