08
キャリーバックの中に、5日分の着替えを詰め込む。靴下や下着を入れ、今まで貯めていたお金なども全ておろした。
今日の夕方から、東京に向かう。明日の朝から本格的に撮影が始まる。5日間は家に帰って来られない。お盆休み期間であったため部活は休みだが、明日だけ練習と重なっていた。それだけ休みをもらい、私が出演するシーンにしばらくは集中することにする。
新幹線の切符とホテルの予約サイトを確認し、この後の段取りを頭の中で考える。東京に着いたらどの電車に乗るか、最寄駅はどこかなど、ある程度は頭に叩き込んだためおそらく迷うことはないだろう。
家族に「行ってきます」と手を振り、京都駅へ向かう。改札を通ると、まだ20分近く時間があることに気づいた。その間に私はお弁当やお菓子を購入し、新幹線が来るホームで1冊のノートを開いていた。私が出演するシーンを覚えるために、何度も書き写したノートだ。台本をそのまま取り出して読むのは、極秘情報ばかり書かれているため良くない気がした。これならば、OKというわけではないとは思うが、怪しまれることはないと考えた。
リハーサルや読み合わせの際、そこで空さんと一ノ瀬さんとは改めてお話することができた。初めてシーンごとに分かれて練習をするとき、一ノ瀬さんからは「よろしくな、妹よ」と、少なくとも拒否はされなかった。「花」は「空」が所属するサッカー部のマネージャーという役割もあり、「空」との演技シーンもあった。
主人公の「空」は高校2年生でありながら動画投稿者としての人気が著しく、女性ファンの多い活動者だ。それでも中学から続けてきたサッカーを両立して過ごしていたが、東京フォーカスホールでイベントの主催を行うことが決まった際に、練習に抜けることが多くなった。そこでの葛藤などが鮮明に書かれている。
それぞれの掛け合いのシーンを何度か練習し、タメ口で会話をすることに少しずつ慣れてきた。もちろん台詞の中だけの話だが、やはり最初は年上で大物の活動者ということもありかなり抵抗があった。
何度か顔を合わせているうちに、ゆかりちゃんとも少しずつ打ち解け、休憩時間にも話すようになった。連絡先を交換し、一緒に遊んだりもしてみたいなんて話もした。彼女は東京に住んでいるため、仕事以外で一緒になることは難しいかもしれないが、機会があれば撮影以外の目的で東京に足を運び、沢山の観光地を巡ってみたいという思いもあった。
新幹線がホームに入り、乗り込んだ。車内は、明日から始まるお盆のためか、家族連れなどで混雑していた。指定席のため座ることはできるが、どうしても落ち着かなかった。席を見つけ、キャリーバックを上げて座ると、新幹線も動き出した。集中できないなら仕方ないと、ノートを閉じてラジオを流した。今日は空さんとナナさんの2人だけでお便りを読んで、質問に答えていく回だ。動画は既に100万再生を突破し、一緒に話す機会が増えたため忘れそうになるが、大物の活動者であるということに改めて気づかされる。
明日からこの人たちと一日過ごすのか。そう考えていると、スマホが振動した。相手はゆかりちゃんだった。「撮影終わりました〜!SEDOさんに痩せすぎ!って今日めっちゃ言われたんですよ!」とあり、想像しただけで微笑ましくなった。
8月の頭から既に撮影自体は始まっていた。しかし撮影場所の関係であったり登場するシーンの量を見ると、私は撮影期間をフルに使う必要がなかった。ゆかりちゃんがメインとなるシーンが今日まで撮影され、明日から私が登場するシーンが撮影される。
少し文章を考えてから、ゆかりちゃんに返信した。「お疲れ様!ちゃんとご飯食べるんやで」と、当たり障りのない文章になってしまったが、これ以外に思いつかなかった。この期間、ゆかりちゃんは身体作りのためにダイエットをしていた。ただでさえ細い身体なのにと思いながらも、そのストイックさは尊敬しかなかった。家庭や学校で暴力を受けてる役なので、弱々しい方がいいと思うんです!と意気込んでいた。
「りこさんも明日から頑張ってください!」というメッセージに、「頑張る!ありがとう」と返信し、それぞれが送ったスタンプによってメッセージは幕を閉じた。
「眠い」が口癖な私にとって、朝の5時半に目を覚ましたことは奇跡以外の何物でもなかった。
撮影開始の1日目。緊張もあって眠ることができず、寝始めたのは1時を回った頃だった。にも関わらず、頭の冴え方は尋常ではない。下の売店で何か買おうと、服を着替えて部屋を抜け出す。本来は電車の中で食べながら向かおうかと考えていたが、予定変更。時間が余りすぎているため部屋でゆっくりご飯を食べて、万全の状態で現場に向かうことにした。
今日から2日間は、学校で撮影を行う。お盆休みの東京の校舎を借り、授業風景や部活のシーンなど、主に空さんとのシーンが多くなる。台本を確認しながら、東京の高校はどんな感じなのだろう。スカイツリーは見えるのか、制服はきっと可愛いのだろうなど、期待を膨らませていた。
電車に乗って駅に着くと、そこからはバスでの移動になる。ほぼ時刻表通りに来たバスに乗り込み、目的の高校へと向かう。「世田北高校前」でバスを降りると、そこは私の町とほぼ変わらない、住宅街だった。スカイツリーも見えない。東京にもこんな場所があるのかと考えながら校舎に入っていく。校庭には大型の車が何台も止まっており、これから撮影が行われるのだと改めて気を引き締めた。
近くにいたスタッフさんに挨拶をすると、控え室に案内された。「ここを使ってください」と書かれた部屋には「前田りこ様」と張り紙があり、有名人かよ。と自分の中でツッコミを入れる。しかし中は普通の教室で、窓の外から見える景色以外は私の通っている高校とほとんど変わらなかった。そこで撮影で使う制服があるから着替えて欲しいと頼まれ、指示に従った。赤のネクタイにベージュのベスト、青色のチェックのスカートと、どう考えても可愛い子にしか似合わない制服がそこにあった。
スタッフさんから、集まるように声がかかる。集合場所に案内してもらうと空さんの姿、そして私と同じ制服を着た生徒が目に入る。監督が挨拶を行い、私も初日だったため改めて挨拶を行う。そして、早速撮影を開始することが告げられた。授業の風景が今日はメインで撮られるとのことだった。
一度控え室の戻り、ノートを取り出す。これは台本が書かれたものではなく、普段授業で本当に使っているノートだ。それを小道具として使うため撮影場所に持って行った。自分の席を監督から告げられ、指示通りに座る。窓際から2番目の、後ろから3番目の席だった。「空」と同じクラスという設定だが、席は離れていた。30人近くでその場所が埋まると、数学の教科書が配られた。学校で使っていない、初めて見るものだ。そう思っていると、リハーサルを行うという指示が届いた。
カメラの位置や角度など、様々なチェックが入る。その間、それぞれが黙ってノートをとったり教科書を読んだり、内容が理解できていない表情をとったりと、それぞれが世界に入り込んでいた。ふと横を見ると、空さんはうつ伏せになって居眠りをしている。もちろん監督の指示だ。男子高校生ということで、ブレザーを着ていたが、思っていた以上に似合っていた。前に「俺サバ読み高校生だけど行けんのかな〜」と話していたが、「高校生」と言われれば普通に納得ができると思う。
その後も何度かチェックを繰り返し、本番が始まった。ひたすら授業風景が撮られる。空さんや私、数学教師、学級委員長を中心にカメラが回されている。特に私の台詞はないが、やはりカメラの前だと身体や目線を動かすことが億劫になる。学校の卒業アルバムの撮影だと思うことで乗り切ろうとしたが、変な動きをすればこの場にいる全員に迷惑がかかることを考えると、余計なことを考える余裕すらもなかった。
監督からカットがかかった。それまでの力を抜き、背もたれに身体を預ける。チェックが終わったのか「OK」という声が聞こえた。
午前中の撮影が終了した。授業風景をひたすら教科などを変えて撮影を行い、学級委員長の掛け声や教師に指名されて当てられる生徒が必死で答えている場面、さらには空さんが居眠りをして注意されているシーンなど、一度もこの教室を出ることなく続き、座りすぎたためかお尻がかなり痛かった。
ご飯を食べるということで、一度控え室に戻り、汚れてもいい服に着替えて食堂に向かった。お茶とお弁当が並んでおり、各自がとって好きな席についていた。撮影中にほとんど会話がなかったにも関わらずいくつかグループが出来上がっているのは、同じ事務所だったり仕事上で知っている人だったりするのだろう。
生憎私は知り合いなどいなかったため、どこで食べるか悩んでいた。空さんはというと数名のキャストさんに囲まれていた。かなりの盛り上がりを見せているため、ファンなのかもしれない。気持ちはわかるが、今は響き渡る笑い声が私をどんどん追い詰めていった。
本気で焦っていると、手前の席に座っていた男子生徒から「良かったら座りますか?」と声をかけられた。よく見ると、先ほど学級委員長として号令をかけていた俳優さんだった。その隣には女子生徒役のキャストさんと二人で座っていて、「良かったらどうぞ」と笑顔で手招きをしてくれていた。
「ありがとうございます」とお礼を言い、座らせてもらった。2人は同じ事務所に所属し、北海道から来ていた。東京に来るのは今日が初めてだと話をしてくれた。
「え、前田さん、京都から来てたんですか?」
「はい・・・知ってる人もいなくて、ずっと緊張してて」
「私も!朝からめちゃくちゃ緊張して、コウキにどうしよどうしよ!ってずっと言ってたもんね」
コウキは、学級委員長の本名だった。役名は委員長しかなかったが、私と話すシーンもこの後一緒に撮影する。
「俺ら、普段は部活してるんですよ。学校も同じで。だから余計、本物の現場とか慣れてないんです」
二人は笑いながら「場違いだよね」などと話している。
「・・・私も、普段は部活してます」
そう言うと、二人は「え!?」と声をあげ、周囲を気にしてか口を押さえていた。
「嘘!?でも、今回めっちゃでかい役ですよね?」
「でも、本当に偶然なんです。受かったのって」
「・・・それ、普通に凄くないですか?」
コウキさんから「凄い」という言葉が出て反応した。やっぱり、運だけでここまでくる人は本当にいないのだろう。
「空さんたちめちゃくちゃ有名人だし、やばいですよ!」
「そうですよ。・・・ていうか、公開されたらファンだけじゃなくてアンチも増えそう」
「・・・アンチ?」
ネットの中でしか聞かない言葉を耳にし、思わず反応した。
「あ、いや・・・コメントとかで、〇〇さんにあんなに近づいて、許せない!!みたいなの、ありそうだなって」
「あー・・・なるほど」
確かに、それは避けては通れない。恐らく、真っ先に叩かれるのは私だ。余計下手くそな演技ができない。とは言っても、今更変わることはないけれど。
「こんなこと言う人、ありえないですよね!私だけの〇〇とか本気で思ってる人もいるから、やっぱりリスクありますよね。この映画に出るの」
「・・・覚悟しないといけないですね」
「まあ、それは俺らも変わらないんですけどね。頑張りましょう、本当に」