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夏は何度でも巡るから【上】  作者: みむまに
0度目の夏
3/12

03


 夢のような時間が終わった次の日からは、いつも通り学校が始まる。とは言っても、テストが終われば授業は午前中で終了し、午後からは部活か、オフの日はすぐに帰宅できるため、憂鬱感はほとんどなかった。


 オーディションの結果も気になってはいたが、それ以上に空さんと会話(演技)ができたことがとても幸せだった。変顔コアラとは全く似つかない整った顔を前に、緊張はしたものの、「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という声かけを絶対に忘れないこと。相手の話を聞くこと。会話をとにかく楽しむことに全神経を注いだ。おそらく悪い意味で目をつけられることはないとは思うが、私よりも演技が上手い人たちに目が行き、私のことは綺麗さっぱり忘れ去られているだろうとは思う。それでも良かった。今回の件で今まで以上に空さんとナナさんが好きになったし、時間が経ったら桃たちにしれっと自慢してやろうと思う。


 






 体育館の準備に走っていると、ウィンドブレーカーが汗ばんでいることに気がついた。


 学校は今日で終わり、明日から春休みに入る。3月でもまだ寒いイメージはあったが、今年は少し春が来るのが早かった。


 「りっちゃん、数学何点」

 

 ネットを立てていると、桃が手伝いに来た。後は紐を結ぶだけなためすぐに終わるが、暑かったため後の作業を全て任せ、上着だけ脱ぐことにした。


「平均は取れたで。桃超えた?」

「72点」

「嘘やろ。天才か」

「奇跡的に応用最後まで解けてるやつあった」


 学年全体の平均点は60点だった。誰や平均点上げた奴と思っていたが、こんなすぐ近くにいるとは思わなかった。しかし、赤点は回避できたから、それだけでも良しとする。


 授業がなくなれば、後は思う存分部活に集中できる。2年生は引退試合まで3ヶ月もない。少しずつ、練習に熱が入ってきているのが分かった。そして、2年生のレギュラーや、1年生の実力がある人を中心にコートが使われるようになった。バドミントン部は、男女合わせて30人近くが所属している。それに対して、コートは3つしかないため、1年生は特にコートに入る機会が少ない。そのため、コート脇で筋トレや体幹トレーニングなどをする時間が圧倒的に多くなる。この1年でかなりの筋肉がついたはずだ。


 この日も顧問の先生や、コーチが練習を見に来ていた。コートで練習する1グループと、トレーニングを中心に行う2グループに分けられていく。集合をして確認すると、桃は1グループ、私は2グループだった。


 2グループに移動すると、1年生がほとんどだった。当然と言えば当然かもしれないが、やはり仲間というよりもライバル意識の方が強かった。悔しさをバネにトレーニングに打ち込む。人一倍体力のなかった私にとっては苦痛の時間でしかなかったけど、持っていた忍耐力でどうにか乗り切った。


 「今の部活は楽しいですか」と聞かれれば、「いいえ」と答える。強くなりたいのに、自分より一つ上の相手だけがたくさん強いところで練習をし、アドバイスをもらっていることはどんどん実力の差を広げることにつながるため、焦りもある。ただ、「辛いですか?」と聞かれても「いいえ」と答える。正確には、「前よりは良い」だ。当初は周りからはもっと下に見られていた。1年生女子は現在10人在籍し、私を含めて8人が中学でもバドミントン部に所属していた経験者であったが、その中で、私は8番目だった。校内戦をしたわけではない。技術練習を行い、コーチが勝手につけたランキングだった。しかし夏に行なった校内戦で悔しさを晴らすために全力で格上と呼ばれていた相手にぶつかり、1年生の中で上から4番目まで勝ち上がることができた。強い相手や自分と同じくらいの相手と練習できることは自分にとって幸せなことだと改めて実感したし、引退までにもっと強くなって、下だと思い込んでいたコーチを始め多くの人たちを驚かせて、もっと上で練習をさせなかったことを後悔させてやるというのが、自分の中で密かな目標だ。


 少し前までは校内戦でかなり勝ち上がれたから、もうビックリさせれたやろ!と思っていたが、再び自分の1つ上で境界線が作られ、そこを超える実力を今のお前は持っていないと遠回しに通告された今、黙っているわけにはいかなかった。どうにかしたい。不安と焦りが練習を進めていく上でさらに加速させた。





 私が1日の中で好きな時間は、緊張から解放されて、ゆるい世界に入り込む瞬間だ。今日も頑張ってよかったと、そんな気持ちにさせてくれる。


 電車に乗って家に帰る。閑静な住宅街はラジオの音がいつもより鮮明に聞こえる。空さんやナナさんたちの会話の後ろで流れているBGMも、ゆるくてとても好きだ。静かな場所に来ると、BGMのベースの音まで聞こえてきて面白い。


 家に着き、今日も1日が終わる。明日の練習は朝からだから、早く起きなければならない。今日は早く寝ないと。そう、呑気に考えていた次の瞬間、私の身体に緊張が走った。


 自分の部屋に着く。机の上には、茶色い封筒。何が入っているのかはすぐ予想がつく。通知だった。


 忘れていたわけではないが、考えないようにしていた。しかしここに来て、やっぱり受かりたい、なんか役ないかななどの欲が溢れ出す。見るのは怖いが、いつまでも放置しておくわけにはいかない。封を切り、中身を確認した。


 最初に出てきたのは、台本だった。タイトルは、「メンヘラジオ the Movie」


 メンヘラジオは、空さんやナナさんたち4人が動画サイトにアップしているラジオの名前だ。「活動者たるもの構って欲しいから。自己顕示欲の塊だから。構ってちゃんをこじらせたメンヘラだよ」という発言からとったタイトルだと言われている。今回、それが映画化する。


 その台本を手に取ってみると、今までとは比にならない程分厚い。もしやと思い、登場人物の欄を確認する。そこには、役名と、私の知っている活動者の名前、そして俳優の名前、そして、私の名前があった。


「え、嘘やん」

 

 初めて、名前のある役を貰った。2ページ目の最初に、確かに、私の本名「前田りこ」と印刷されていた。


 役名は、「花」。


 言葉が出なくなる。もちろん、とても嬉しい。しかしこれは本当に現実なのだろうかと、一瞬分からなくなる。ここに名前があるということは、少なくとも私が大きく映るシーンがあるのだろう。映画に出られる。もう一度空さんやナナさんに会える。舞い上がるには十分すぎる情報だ。


 先にご飯を食べてお風呂に入ってから、じっくり台本を読もう。汗臭いままでは集中できない。そう思い、部屋を出てリビングに向かった。


 



 晩御飯はトンカツだった。


 母が「あ、ちょうど良かった、ご飯できたで」と、料理をテーブルに運んでいた。美味しそうな匂いに、空腹が目を覚まし、手を合わせてご飯をかきこんだ。


「そういえば、劇団から書類届いてたやろ?オーディションの結果分かったん?」

「役、貰えた」

「え、まじで?」


 信じられへん!と、少しだけ声のトーンが上がる。今まで学業や部活に打ち込んでいた娘がいきなり女優という肩書きで全国にその顔を晒すのだ。驚いて当然だろう。

「どんな役なん?」

「まだ中身までは見てない」

「なんて名前なん?」

「花」

「花?苗字は?」

「・・・無かった」


 登場人物の欄には、「花」とだけ書かれていた。主要な役になればなるほど、設定は細かくなる。苗字もその一つだ。

「まあ、選ばれたんやったら頑張り」

会話はそこで途切れ、テレビで流れているニュースの音で部屋は満たされた。





 お風呂に入り部屋に戻ると、台本を持ってベッドに入る。


 登場人物の欄を再度確認したが、私の名前は「花」の1文字だった。でも、合格した人数はやはり数えきれるほどしかいない。名前があるだけでも幸せだと思わなければいけないし、その役に向き合う必要がある。第一、私は今まで大きな役での出演経験などないし、いきなり主演なんて初めから望んでいたわけではない。1時間に2回くらい顔が映れば十分だし、映画館に自分の声が流れるだけでも凄いことだ。


 考えを改め、次のページをめくる。第1章が始まった。

「え?」

思わず声が出る。なんと、一番最初のシーンに「花」がいるのだ。いくら何でも早すぎないか。それとも、最初のシーンだけ出演して終わるのか。


 いきなりの出演に物語が入ってこなかった。仕方なく読むことを諦め、最初にペラペラとページをめくり、自分のいるシーンを探すことにした。





 結果は、予想の斜め上を行った。多すぎだ。あまりにも。


 どうやら、私はかなり主要なキャラクターを演じるらしい。


 この物語は私の好きな4人の活動者が出演し、その中でも空さんとナナさんが主演を務める。後で気づいたが、「花」は活動者一ノ瀬さんの妹という立場の女子高生らしい。


 一ノ瀬さんもまた、動画サイトのチャンネル登録者が100万人を超える大物だ。よく空さんやナナさんと動画のコラボも行なっている。ラジオや動画で、彼が活躍している回はよく神回というハッシュタグやコメントがつけられている。


 撮影期間は8月。お盆休み期間も使って行われる。主演の2人が出演している生放送が春夏に行われたり、撮影で使用する場所の関係もあるのかもしれない。いずれにしろ、それまでに台詞を覚えなければいけない。頑張るしかない。自分にしかできないことだと、改めて最初から台本を読み返した。


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