単身向け特約型ヒーロー保険
手の中の名刺の不愉快さに今すぐ木っ端微塵びりびりと破りたくなる。
目の前に渡してきた相手がいるため思い留まっているが。
宣伝でよく見る大手の保険会社名と、見慣れない肩書きがついた勧誘員の名前。
秋保ユウカ、というのかこの勧誘員は。
彼女の訪問により、ほんの10分前まで満喫していた休日午前の自堕落は遠くに消えてしまった。愛しい恋人を早く取り戻さねばならない。
そもそも俺はこのワンルーム城の扉を開け放った覚えはない。勧誘なんて珍しくもない地域だ。いつもと同じように居留守でやり過ごすはずだった。
それは、この肩書きが嘘ではない、ということだろう。
名刺には「サポートサイキックチーム員」と書かれている。サイキック、つまりは超能力者。
鉄の扉をものともしないということは彼女はテレポーターということか。強引な保険勧誘にはうってつけの能力だ。
「突然押しかけてどういうことだ? 不法侵入で訴えるぞ」
サイキックなど知らない一般人のふりをして押し切ろう。
「この単身向け特約型ヒーロー保険は、必ず赤井様の助けになると断言します」
「ヒーロー保険なんてよくわからないものを……詐欺か人違いだろう?」
俺が変身して夜な夜な戦い続けるヒーローであることは誰も知らないはずだ。どこの組織にも属していない。仲間だっていない。
大々的な活動をしているわけでもなく、夜の活動ばかりなので騒ぎになったこともない。
「人違いではありません。赤井ジン様、変身後はじょそうせん……」
「そんなものは知らない」
確実に知ってる。変身後を把握されている。
うっかり怪しすぎる反応をしてしまった。好きで名乗っているわけではない不名誉な名前だ。変身してない今聞くのはあまりにも恥ずかしい。
「女装戦士」
反応してはいけない。
「女装戦士スカーレットピンヒール」
絶対に反応するものか。
「松戸市中心部で活動。名前の通り特徴的な赤いピンヒールとボンデージを身に纏い、先端が鋭利な一本鞭を使い夜の街の平和を守る」
我慢しろ。
「周辺住民からは、女装趣味の変態、自殺したニューハーフの霊、性転換手術中の女王様という噂で歓迎されているとは言い難い」
「五月蠅い! 黙れ!」
「失礼しました。ヒーローご本人様でお間違いないですね?」
相手はサイキックだ。これ以上の抵抗は無駄かもしれない。ここは素直に認めて、よくわからない保険は断ってさっさと帰ってもらおう。
「そうだよ。保険とか要らないからこのまま帰ってくれ。貴重な休日なんだ」
「赤井様のような組織に属していない方にとても有用な保険なのですが」
「必要ない。今まで通りにやるだけだ」
組織に属してないとかよく知ってるな。どこまで把握してるんだこの女。いや最初から単身向けと言っていたけれども。
そもそも組織的に活動してるヒーローが他にいるというのであれば紹介してもらいたい。俺の代わりに戦って欲しい。
「せめて30分だけでも」
「帰ってくれ」
「お話を聞いていただくまで帰るつもりはありません。締め出しても無駄ですからね」
そうだ。小柄な彼女を持ち上げて外に出すのは簡単だけど、何度でもテレポートしてやってくるだろう。
今ここで変身して武力行使するのも負けた気がする。
「話さえ聞けば帰ってくれるのか? 今度は契約するまで帰らないとか言うんだろ?」
「話だけで結構です。契約は無理強いしません」
勧誘員の言うことなんて信用してはいけない。しかし、現状信じるしか平和な休日を守る術はない。
「30分も聞いてられない。15分なら聞いてやる」
「ありがとうございます」
ここに来て初めて勧誘員は微笑んだ。表情が柔和になるとやたら子供っぽく見えるので油断してしまう。気を引き締めなければ。
「単身向け特約型ヒーロー保険は、個性に合わせた特約を契約者ご本人様に選んでいただくことで、一人一人のヒーロー活動にぴったりと寄り添うことができる保険になります。基本的な内容は一般の傷害保険と同等のものとお考えください」
「怪我による入院とか通院で保険金が出るのか」
「はい、但し保障対象はヒーロー活動中のお怪我限定となります。日常生活のお怪我での保障はありませんがその分通常の保険より掛け金がお安くなっております」
それだと俺には必要ない保険だ。近接戦になることが少なく、怪我をすることがほぼない。
「この保険の魅力はなんといっても特約です。今回は赤井様が必要になるであろう特約をピックアップでご紹介します。まず、身バレ防止特約」
その魅力的な単語に思わず身を乗り出す。
「組織に属さないご契約者様は誰もその身を守ってはくれません。万が一正体が一般人に目撃されたときにこの特約があればサポートサイキックチームから記憶消去に長けた工作員が派遣されます」
「それって俺は目撃されたことに気付かない場合もあるよね?」
「残念ながらご契約者様が認識した時点での対応となります。ですが、工作員呼び出しボタンを貸し出ししておりますので露見したと判断した時点で対応が可能です。広まっていた場合でも有能なサイキックが揃っております。ご安心ください」
どこか不穏さもあり、安心と言えば安心なのだろうが、安心できないなにかを感じる。
不安になる安心感を差し引いても、提案された特約は確かに魅力を感じる。
俺は望んであの姿になっているわけではない。
変身アイテムであり武器であるヘクセンフェアフォルグンが俺に緋色のヒーローになってくれと言い、騙し討ちのように女装女王様のような姿で活動する羽目になったのだ。
友人や同僚にこの姿が露呈したらと思うと恐ろしい。今まで作り上げてきた俺のイメージは一瞬のうちに崩れ落ちていくだろう。
「それからヒーロー活動中ではなく、日常生活中に敵から襲撃を受け変身不可能な状況で適応される特約もあります」
「怪我とか?」
「いえ、派遣員による身代わり特約、もしくは夢だったかもしれない特約となります」
これは内容を聞かなくてもなんとなくわかる。サイキック集団怖い。
「ちょっと質問なんだが、それだけサイキックが集まっているのなら、俺が戦うよりそちらがやったほうが効率がいいのでは」
「私どもは確かにスペシャリストを多く抱えておりますが、扱う能力は非戦闘系能力です。自らの身を守る程度の戦闘能力しか持ち合わせておりません。またヒーローは選ばれた優れた方の役割です。私どもは表舞台で輝くご契約者様の裏側でサポートを行う。そういった役割を受け持ちます」
俺の活動も表舞台とは言い難いが。
「逆に俺には必要なさそうな特約のことを聞いてもいいか?」
「そうですね……襲来する宇宙人を相手にする方や巨大化する方向けに、原状回復特約があります。建物や街並みが攻撃や活動で破壊される前に戻すことができます。こちらは利用される方がとても多い特約です。次いで多いのはアリバイ特約です。主な活動時間が日中で表向きの職業がある方が活動しやすいようにサポートします。他社からの呼び出しを装う、家族の急病を知らせる身内を装う、急な来客対応を装う、ご契約者様のご職業に応じて対応いたしますが、一部対応できないご職業もあります」
確かに俺は日中仕事をしているが活動が夜だからかぶらずに済んでいる。活動時間が仕事にかぶってる奴にはうってつけだろう。
しかし宇宙人に巨大化とは目立つだろうにこの情報化社会で話題にもなってないしテレビの中の話のようだ。目撃者をゼロにするような工作も行われているのだろうか。いや、間違いなくされている。
自分が一般人なら荒唐無稽な話だと感じるようなそんな世界に俺自身がいる。人語を話し変身能力まである鞭が存在している時点で俺自身はこの話を疑えない。
「ところで特約はつければつけるほど保険料が上がるのか?」
「特約での保障に回数制限をつけることでいくつ特約を選択しても定額になるプランがあります。保障回数制限のない特約ですと赤井様がおっしゃる通り保険料は特約の数に応じて高くなります」
「身バレ防止特約の回数制限無しで一月でいくらになる?」
「基本の保険料が、月々1240円、身バレ防止特約無制限版は月々750円ですので、お支払いいただく保険料は月々1990円になります」
思ったより安い。報酬を得られるわけではないヒーローでも払いやすい月2000円弱に心が揺れる。
長い目で見れば絶対に正体がバレないという保障はとてもありがたい。正体がバレることによって失われるものの大きさを考えればむしろ良い話だ。
「例えばヒーローではなくなったときに解約手続きはすぐにできるんだろうか?」
「解約自体は即日できますが掛け捨てとなりますので保険料をお返しすることはできません。月のどこで解約しましても当月分の保険料のお支払いは必要となります」
参ったな。今もう頭では勧誘員を追い返すことよりも加入の検討を始めてしまっている。最初に持っていた強い心はどこへ行ってしまったのか。
「そろそろ赤井様とお約束した15分ですね」
しばらく悩んでいると勧誘員から時間を教えられた。
「そうか……これから資料を見て加入を検討するので、決めたら名刺の連絡先に電話します」
「ありがとうございます。資料を用意しますので少々お待ちください」
引き延ばすようなことを言ってみたが、半分以上心は決まっている。もう一押しあれば即断するかもしれない。
「赤井様、本日は話をお聞きになっていただきありがとうございました。ご加入の際は保険契約という形にはなりますが私どもサポートサイキックチームが赤井様の仲間となり、赤井様のヒーロー活動を支えることができたら大変嬉しく思います。またいつまでも赤井様に頼っていただける組織でありたいと思っております。どうかご検討よろしくお願いします」
その一押しは剛速球だ。スピードを落とすことなく心に突き刺さってしまった。
そうか俺、仲間が欲しかったのかもしれない。
喋る鞭がいるとは言え、一人で恥ずかしい姿になって戦って、誰にも悩みをこぼすことができないのは辛かった。
テレビで組織的に活動する子供向けヒーロー番組を見て羨ましく思っていた気もする。
「……待ってください。やっぱり、今日加入します!」
「ありがとうございます。お約束の時間をオーバーしますが、詳しい説明と契約書の作成に入らせていただいてもよろしいですか?」
「お願いします」
決めてしまえば清々しい気持ちだ。俺は今日から一人じゃない。
手続きが終われば仲間が増える。あんなに忌々しかった名刺も輝いて宝物のように見えてきた。
トゲトゲした気分が消えたと思ったら、なんだか急に口の中がカラカラに感じる。そうだ秋保さんにもお茶を出そう。彼女も喉が渇いているかもしれない。
台所へ行こうと立ち上がると、急にぐらりと視界が揺れ、膝から床に崩れ落ちた。
「あれ?」
座っていたから踏ん張りがきかなかったのだろうか。
もう一度立ち上がろうとするが、うまく体に力が入らない。
「なんだこれ」
「赤井様、どうなさりました?」
秋保さんも立ち上がり俺に近寄ってくる。どうやら体の異常は俺だけらしい。
差し出された救いの手に必死になりながら手を伸ばす。まだ契約はしてないがきっと彼女が俺を助けてくれる。
やっとの思いで彼女の手を握った瞬間だった。
電流が走るような強い衝撃に意識が遠のいていく。
これは敵の攻撃かもしれない。
戦闘能力はないと言っていた秋保さんを逃がさなければ。
意識が途切れる前に逃げろと言うつもりで彼女を見上げる。
ブラックアウトする世界で最後に見た秋保さんの表情は、保険の勧誘員とは思えないほど……とても冷たいものだった。
バタバタと同僚たちがワンルームになだれ込んできた。
いつもながらこの瞬間は大層賑やかだ。
「秋保先輩、ヒーローアーティファクトの回収完了しました!」
「気を付けてね。そいつはヘクセンフェアフォルグン、女嫌いの魔女狩りの鞭だから」
見たところ回収担当はしっかり空間ごと切り取ったキューブに鞭を封じ込めているから心配ないだろう。
「赤井ジンの身柄を確保しました」
15分間少しずつ催眠状態にもっていったから彼はしばらく目覚めない。先程の救われたような表情を思い出すと多少胸が痛むがこちらも仕事だ。彼をヒーローアーティファクトから引き離すことで本当の救いにはなるはずだから許して欲しい。
「彼はこのまま警察病院に移送して、これからヒーローアーティファクトに関する治療を行うわ」
「複数件の暴行容疑に関しては?」
「今回はかなりヒーローアーティファクトに精神を浸食されていたから、重要参考人として取り調べは行うけれど……まずは本人が回復してからね」
全く、巨悪も脅威も存在しない現代に、ヒーローを作る遺物だけが残っているというのも面倒な話。
まだちゃぶ台に置いてあった保険勧誘員の名刺を回収して警察手帳に挟む。
強硬手段をとって変身されたら手に負えないからこうやって身分を偽って懐に入り込まなくちゃいけないし。
今が平和じゃない時代ならきっとヒーローも罪になんてならなかったでしょうね。
「今日はまだ一件『勧誘』しなきゃいけないのか。遺物のくせに世の中に溢れすぎよ」
警察も本当にテレポーター遣いが荒いこと。いつになるかはわからないけれど善良な市民を惑わすヒーローアーティファクトを全て回収したら溜まった有休も消化したいわ。
散らばったヒーロー保険の資料を整えながらため息をつく。
虚構の保険はいつ見ても魅力的なエサだ。
「どこか、サイキック保険なんて作ってくれないかしら」