戦意途絶えることなく、その姿鬼神のごとし 2-5
身を低くして、しかし素早く前進する尾久利は、自分たちがもう10分以上も進んでいる
のではないかと感じていた。深い森林という環境は昼夜を問わず暗い。彼らはまだ前進して5分にも満たないのだが、それほど精神を削る状態だった。
いくら味方の援護射撃があるとしても、単発ボルトアクション式の小銃で前進するのは危険極まりない。もし排莢を手間取ると、間違いなく死亡する未来しか見えないのだ。
一方、ソ連軍は連発式の短機関銃をひたすらばら撒いている。日本軍に気付いていないのだから、当然どこから撃たれているのかもわからない。とにかくばら撒いているのだ。
その状況は、後方でただ狙って引き金を引く中隊にとっては最高なのだが、前進している尾久利達にはむしろ大問題だった。敵の射線が予測できないのだ。だから、今も近くの地面から土が舞い上がっていた。
――危ねえじゃねぇか!
ソ連軍兵士が景気良くばら撒いているのは、PPSh-41という軽機関銃だ。この銃にはドラム型のマガジンが付けられており、71発もの7.62×25mm トカレフ弾を吐き出していた。なお、この銃の有効射程は150mである。
一見しただけで60名程度いた斥候であったが、今では20名以上が地面に伏せていた。数十名は逃げ出していたが、それでもまだ2分の1の数が存在することに違いはない。
――やはり奴らは素人なのか?
どこの国でもであるが、奇襲を受けた場合まず初めに行うのは姿勢を低くし、敵の射線から身を避けることだ。しかし、敵兵士はその様なそぶりを見せずひたすらあたり一面を銃で耕し、更に別兵士は銃を捨て頭部を守るかのように両手でヘルメットの上から覆っていた。
尾久利たちにとって幸いだったのは、ソ連軍が徐々に後退を始めたことだ。武器を手放し背中を向けて全力で走る姿は、いったいどちらが攻撃側なのかと疑問に思う。
銃を拾うが、マガジン内の弾はほとんど空だった。それでも武器の全てが不足している日本軍にとっては非常にありがたい存在に他ならないのだから、改めて戦力の差を見せつけられた。
尾久利が銃を拾う中、少し離れた場所にいる2名の兵士もまた死亡した敵兵士から武器や弾薬、更には水筒などといった物資を奪っていく。まだ息があるのに見捨てられた敵兵も勿論存在したが、彼らを救うだけの余裕がない。結局武器を奪い放置するのだが…。
「上等兵殿!」
その味方兵士は撤退中に撃たれ倒れた敵兵士から装備をはぎ取っている。恐らく尾久利の2倍ほどの年齢であろうから、根こそぎ動員で招集されたのだろう。
その年齢差であっても階級が絶対の軍組織なら当然、上等兵である尾久利の方が立場が上だ。
「どうした?」
「何か音がします!」
――音?
耳を澄ませる。
先ほどまでの銃撃音が止んだためある程度は遠くまで聞こえるかもしれないが、銃撃戦による残響がまだ耳を支配している。
尾久利よりも前方にいる彼はもう耳が治っているのだろうか。そう考える中で確かに徐々に音が響いているのを感じてきていた。
――これは……、エンジンの音だ!
「戦車だ!急いで戻れ!!」