戦意途絶えることなく、その姿鬼神のごとし 2-4
「撃てぇぇぇ!!!」
中隊長の一言で中隊所属の全小銃手、約130名が一斉に引き金を引く。38式歩兵小銃から6.5mm口径弾が放たれ、硝煙の匂いが辺り一面に広がるのを実体験する。
38式小銃は第1次世界大戦を始め日本が経験したすべての戦いを知る銃であり、明治38年(1905年)の採用から既に40年も経過している。
今、朝鮮の地でそれを握る兵士のほとんどは38式の歴史よりも短い年齢だ。
この火薬の匂いが嗅覚を覆い、一斉射撃による銃撃が聴覚を狂わせるのを感じない兵士はこの地にいないだろう。それほどまでに激しい防戦状態が第1方面軍隷下の第3軍の現状であった。
第1方面軍は半島東部の清津から長白山に沿って大栗子までの防衛線を担当し、その東側、つまり日本海側を第3軍が担っていた。その第3軍ではもはやソ連軍に対する攻勢は不可能と判断し、大規模な攻勢編成を廃止、中隊規模の防衛戦力を多数配置していた。
部隊の配置は、縦深防御戦略を行うために他ならない。
これは敵の前進速度を遅らせるための戦略で、日本軍としては北緯38度以南へのソ連侵攻を確実に防ぐべく行動していた。そのため、38度線を永久陣地とすべく防衛陣地の構築が行われている。
もはや数により戦いの結果が決まるのだから、中隊司令部など意味を成さない。中隊長たる大尉は今や戦線に並ぶ一兵士だ。
号令による統制された1個中隊の一斉射撃は凄まじく、突撃する最前線の敵兵士がまるで人形かのように後ろへ倒れていく。
38式がボルトアクションにより次弾を装填する中、敵兵を怯ますのは96式軽機関銃による射撃だ。歩兵銃の約2倍近い射程を有する96式軽機は30発入りの箱型マガジンが使われ、連続射撃が可能だった。どちらも6.5mm口径38式実包を採用している事から、たとえ根こそぎ動員で徴兵された者でも弾に迷うことは無い。このため、空になったマガジンに弾を込めるのは彼らが担当していた。
「上等兵!」
キーンという甲高い音がなおも耳に響いている。一斉射撃の後は各々自己の判断で発砲し、小銃からは断続的に薬莢が吐き出されていた。それでもまだ外の音が聞こえるのだから、人の体は予想以上に丈夫なのだと尾久利は改めて感じる。
「尾久利上等兵!!」
上官が突然自分を呼び、それに対し喉が嗄れるかのような声音の返事をする。
どちらも機関銃が吐き出す騒音にかき消されないようにそれ以上の大きさで話すのだから、ほとんど怒声である。
「2名を連れて敵兵の小銃を奪ってこい!」
いま彼らは草葉生い茂る深い森の中でうつ伏せ、銃を構えていた。ソ連軍の斥候と思わしき部隊が近づいたので発砲したのが先の一斉射撃の始まりだった。
ソ連軍は数で日本軍を圧倒しており、複数小隊で斥候に出してきたと判断できる。事実、短機関銃を構え前進していたソ連軍は60名にも上る。しかし、彼らは何処から撃たれているのかもわからず、ひたすら弾をばらまいていた。一種の錯乱状態だといっても過言ではないほどだ。
尾久利の眼には、彼らが森林戦というよりも実戦経験そのものがあまりないように見えた。だからこそ、一人一人確実に狙撃しているのだ。その時に敵の銃を奪いに行けと命令されたのだから、なぜわざわざ危険地帯に行かねばならないのかと心の底で強く反撃したのだった。
――頼むから俺を撃つなよ。
そう願い、低姿勢で素早く前進し、他2名が後に続いた。