戦意途絶えることなく、その姿鬼神のごとし 2-3
その竹川にはある種の後悔があった。
――もし在留邦人を放棄していたらもう少し戦線を維持できたというのに。
満州における最初期の戦線は対ソ戦には長すぎたのだ。本土決戦の為に兵数が定量を満たしている部隊は無く、更にその装備についてもまた同じだった。そもそも、日ソ開戦前に大規模なソ連軍の極東移動を確認したにも拘らず見て見ぬふりをしていたのが間違いなのだ。結局数合わせの為に在留邦人を動員に掛け、そして玉砕した。
もっとも、圧倒的戦力差の前に撤退することなくソ連軍を引きつけたために、満州に住む多くの非戦闘員が避難することができていた。彼らの犠牲なしには得られなかった結果に違いはない。
しかし、在留邦人を無視し早々に戦線を縮小、各部隊を正規兵で充足させ再編していれば満州の崩壊を防げたのではないか。それでもし満州戦線を防衛しきれば、さすがのソ連も疲弊し停戦に持っていけたのではないか。
これが彼を悩ます原因だった。
なお、彼は知らぬことだが、ヤルタ会談により満州と朝鮮半島北部はソ連に譲渡されることが決められており、彼の働きの結果を問わず満州は消滅する未来しか選択肢を与えられていなかった。そのため、変わるのは在留邦人と両国軍人の犠牲者数程度であった。
「失礼します!」
会議が行われている部屋の扉が勢いよく開けられる。まだ20歳にも満たないであろうその男性を見ると、竹川はつくづく現状の厳しさを思う。恐らく彼は根こそぎ動員の一環でここに来たのだろう。
「第1方面軍より入電!ソ連軍の大規模侵攻、戦線維持困難!!」
「なんだと!?」
朝鮮半島まで後退した日本軍は方面軍を再編し、第1方面軍を半島東部の清津から長白山に沿って大栗子までの防衛線を、第3方面軍を大栗子から鴨緑江を沿って黄海までの防衛を担当した。
このため、鴨緑江を挟んで防衛できる第3方面軍はソ連軍の渡河を防ぐことが目的となる。一方、第1方面軍にはそのような河川が存在せず、森林と山脈が連なる厳しい環境にあった。ここで、一時的にではあるが戦線が膠着することとなった。
防戦一方の関東軍と異なり、攻勢を掛けなければならないソ連軍は防衛線の突破を図る必要が生じた。そこで次のような選択肢が参謀より提示された。
①約5,000機近い航空機をすべて支援に就かせ、渡河作戦を実行する。
②同数以上の陸軍規模でもって森林地帯を突破する。
③正面突破ではなく、朝鮮半島南部などに強襲上陸する。
この中で③の選択肢は真っ先に外された。なぜなら、黄海と対馬―釜山の海上では日本海軍が依然として活動しているからだ。もっとも、海防艦や掃海艇がほとんどであるが、ソ連太平洋軍より戦力は上であるのだから、指揮官オストロフスキー元帥は改めて日本海軍の強大さを思い知ることとなった。
一方、①と②では関東軍に対する最大の優位点である機甲師団を有効活用するのが困難であった。しかし、森林突破の方がまだ機甲師団を活用できると考え、彼は②の森林地帯突破を選択したのだった。
なお、戦後直後のソ連において精神障害をきたした元軍人のほとんどは、この森林戦が原因となった。彼らは皆震えながら頭を押さえ、こう言う。“そこに、そこにも、あそこにも奴らがいる。俺は見たんだ”と。