戦意途絶えることなく、その姿鬼神のごとし 2-2
「非戦闘員の退避はどうなっている?」
平壌の地下に置かれた関東軍司令部内では、戦線維持についての戦略と非戦闘員の本土輸送に対する会議が行われていた。満州の在留邦人約155万人、ソ連による満州侵攻当初は男性に限られていた動員も今や若ければ誰でも対象となっている。
「南浦までの輸送路はまだ保っておりますが、敵機からの攻撃と線路修復でかなり遅れが生じています。」
満州の在留邦人は当初大連まで鉄道輸送され、大連港から船で本土へ向かっていた。しかし大連が敵軍の手に落ちた今となっては新たに別の避難港を選定しなければならない。それで選ばれたのが平安南道の港町、南浦だった。
この南浦は平壌から西へ約60キロの地点にあり、また朝鮮半島の重要港湾でもある事から鉄道も通っていた。
日本本土が降伏した今でも、掃海艇や輸送艦、海防艦のほか商船、更には漁船などが引っ切り無しに航海している。全て在留邦人救出のためだ。ポツダム宣言受託前は黄海や日本海にも多数の米軍潜水艦が通商破壊を行っていたが、連合国の停戦によりその心配はなくなった。もっとも、連合国の代わりにソ連軍の潜水艦が攻撃を行っているのであるが。
「昨日も3隻轟沈しました。予想死者は約3,000名です」
司令部内の空気が一気に重くなる。沈められた商船は各1千総トン程度であったが、在留邦人を満載していたため、死者数は莫大な数であった。さらに、その3隻は日本の降伏後すぐに船体を白色に塗装し、緑十字まで書き入れていた船であった。
「奴らを同じ人間だと思うな。もはや国際法はこの地にないと思え!」
これがソ連という国なのか!奴らの神はそれを許すというのか!!
関東軍総司令官が怒りを込めて強く発す。
現状の関東軍司令部は人手不足が際立っていた。まず関東軍総司令官であった山田陸軍大将はもういない。まだ司令部が通化に置かれていた時、離反した満州軍による司令部攻撃により戦死したからだ。
さらに、同奇襲により参謀長であった秦陸軍中将もまた戦死し、歴戦の関東軍トップ2人が同時に亡くなった。既に降伏した本土から新たに指揮官が来ることは無く、臨時的に総参謀副長であった竹川陸軍少将が関東軍を指揮している。なお、竹川はかつて参謀本部においてロシア課長に就任しており、ロシア通であった。