戦意途絶えることなく、その姿鬼神のごとし 2-1
もし地獄があるとしても、それはこの地よりも幾分マシなのかもしれない。いや、そもそもここは現世なのか。それさえも疑わざるを得ないのがこの朝鮮の地だった。
8月8日からのソ連参戦に伴う満州の戦いは、悲惨極まりない状況に置かれている。これは、本土決戦の為にかなりの戦力が本土に向った後に侵攻されたこと、11日の日本国無条件降伏によるものが大きい。そして、ポツダム宣言受託無視という凶行に出たソ連はなおも侵攻を続け、関東軍司令部は満州と朝鮮の国境付近たる通化へ後退し、そして今は朝鮮半島の平壌にまで至っていた。
戦線は大きく縮小され、日本本土の約3倍もの面積を持つ満州国の姿はもう存在しないといっても過言ではない。満州を守る陸軍は第4軍、第1方面軍、第3方面軍から構成されるが、武器弾薬や医療品はどの部隊も満足ではなかった。
満州北部を守る第4軍は東・西・南3方面と離反した一部の満州国軍から攻撃を受け徐々に後退、ハルビンの地で壊滅した。第3方面軍隷下の第44軍は新京―奉天―大石橋ラインの防衛に移り、朝鮮半島へ漸次後退中だ。なお、壊滅し撤退中の第4軍は新京にて第44軍と合流していた。
一方で、ソ連軍海軍拠点たるウラジオストク港に近い東方面には第1方面軍が防衛の任に当たっていた。隷下の第3軍、第5軍、その他複数の師団が要塞や都市で防衛戦を行ったが、今となってはどの要塞とも連絡がつかない。牡丹江―琿春ラインの維持が困難となった第1方面軍は新京―琿春ラインを新たな戦線としたが、崩壊は時間の問題だった。また、ソ連と朝鮮半島の国境とも言える雄基と咸鏡北道には第34軍が張り付いていたが、海岸線からの強襲上陸に対応するために分散していた。
戦線は主に満州に敷かれた鉄道に沿って構築されていた。そのため、戦線の流れをまとめると、8月15日時点における戦線は牡江丹―琿春―ハルビン―新京―奉天―大石橋というものだった。それが、8月20日には琿春―新京―奉天―大石橋に縮小された。
8月末日、満州に戦線はもう存在しない。