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漆黒家族  作者: 無名のコビト
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あなたの家族は約束を守りますか?

騙す母と騙される息子。遺産相続で金に目が眩んだ母とどのように闘うか

これは現在進行形の実話です。

私達家族はこうして漆黒の闇に飲み込まれて行きました。

ある日、突然弁護士からの申し立てがきました。

内容は簡単に説明すると家を売りませんか?という内容でした。

家屋の名義は私、土地名義は住宅ローン借入時は祖母で現在遺産相続で母親名義の物件です。



表題 申立書

 現在の土地(大阪)に住むきっかけは、当時自宅兼、職場(大阪)で自営業をしていた祖父母が引退して、今後、老夫婦での生活に不安を抱えていることを遊びに行った時に祖母から直接聞き、少しの間でも祖父母の役に立てればと思い、仮に住むつもりで祖父母の家の裏にある空き家に引っ越しました。元々2軒縦並びの裏にあった祖父母が会社として使っていた戦後の古い建物の木造2階建て2階部分を私が住めるように私と友達とで改装している時期も色々援助してくれたり夕食を差し入れしてくれるような優しい祖父母でした。

その時期、私が考えていた思いは、毎日の通勤に祖父母の家から職場まで片道25km、時間でいうと片道約1時間を要し遠いため、少しの期間だけ祖父母の役に立てることができればと思い住んだのですが、一緒に住むようになり、今まで深い話をしたことがなかったのですが、色々昔戦後焼け野原の中で苦労した話や笑い話をしてくれました。いつしか優しい祖父母のために恩返しがしたくなりました。戦後に大変な思いをし祖父が築き上げた財産である、この土地を守る意味もあり建て替えることを、まだ話の出来た母と祖父母に相談しましたが、建設計画の途中で祖父は認知症になり、間もなく在宅介護の末に旧宅で亡くなりました。死因は老衰でした。

一人になってしまった祖母でしたが、新しい家で残りの人生を過ごすことを楽しみに考え設計計画に加わっていました。時には「静かで明るい部屋が良いなぁ。歩きやすい床が良いんじゃない?手すりは何処に付ける?1階からの階段は無いと仕方ないけど段差は低くするね」と私と楽しく話をしていた事を思い出します。


木造3階建て36坪で1階駐車場、2階祖母住居、3階建私の住居新築完成後、祖母は出来上がった2階の自分の部屋に「とても陽当たりが良いし涼しい、ありがとう」と喜んでいましたが住みはじめて数ヶ月で、祖母の面倒を見るために一時的に祖母の家に居ると言う話で一緒に住み込んでいた私の母親(祖母にとっては実の娘)が数ヶ月で面倒を見切れなくなり近隣病院に認知症が酷いと言う理由で祖母は入院させられました。元々母と祖母は仲良くありませんでした。祖母は、よく私に「あんなきつい言いかたされてまともな会話にならない辛いわ」とよく母の愚痴をこぼしていました。

祖母が入院してから私は毎日、仕事帰りに祖母のいる駅近くの病院に寄って話をして帰っていましたが1年程で認知症が酷くなったという理由で別施設(老人保健施設)に転居させられました。祖母の施設転居後は私の気持ちの整理がつかなくなり会いに行くことが無くなり祖母は入院したまま亡くなってしました。

病院にいた頃は、毎日夕方暗く狭い病室で私が撮った家の写真や近隣の様子を話していると「あの綺麗で陽当たりの良い家に早く帰りたいなぁ〜自分のベットで眠りたい」と呟く事もよくありました。

私が今の家の建て替えをしなければ、祖母のためにと設計した家を母の身勝手で無理やり追い出されることがなかったのでは無いかと考えます。また誰のために家の建て替えを考えたのか?今でも思い悩む事があります。当時、祖母の入院中は3階に私が1人暮らしで2階には自宅に帰らない母が居座っている状態でした。

祖母が入院したころから母が住み続けている事や人生の考え方の違いを感じ介護はとても辛いとは思いますが自分の事だけを突き通そうとする母との会話も無くなり私から家族との距離をとるようになりました。


建築解体前、私と母と当時元気であった祖母との話し合いの中で今後、私も結婚する事も考えると「35年の住宅ローンを目いっぱい払うのは苦しい。今後、私も結婚をして母との同居は難しい」と言ったところ、金銭面については、その当時祖父母の自営業をひきついでいた母が、建て替えた2階の一部で祖母ついてくれていたヘルパーと在宅介護をしながら一時的に自営業すると言っていた事もあり、祖父母の経営時から会社が今まで身内従業員(母の義理の兄)にかけていた月数万円の保険料を解約し解約金と、これからも保険料に支払う予定だった分より少なめに設定した毎月5万円を家のローンの支払いに当ててくれる事を条件に当時、母の言う通り私の借りれる限度額いっぱいの銀行ローンを4050万円で組みました。祖母の話では「保険料は私が払ってるんよ」母は会社を引き継いでからも従業員の保険料を一度も支払っていなかったようです。

このような人格の母は、設計計画中や建築中も次々と内容変更をし建築業者に対して金銭的に無茶を言う親に対し嫌な思いをしていましたが、とうとう私にも飛び火し3階の予算が取れず実際に建設会社の現場監督から言われた言葉が、「無名さん(私)!3階部分ですが、床と壁紙と3部屋の扉の予算が出ません!」と言われた事もありました。見積もりの段階で2階部分も高級では有りませんが普通に生活できるように予算を組んでいました。よくよく現場監督から話を聞くと母が予算以上の事(店舗内装)を私の住宅ローンの中でやりくりするように要求していたようでした。実際に4050万の住宅ローン組んでいる私の住む3階フロアは床、壁紙、扉が無い?契約した予算を誰がみても一目瞭然でした。普通に予算を組んでいる中でも約300万ほど2階部分内装がが3階内装より多くかかっていまた。

この事(300万ほど多く予算を取っている)もあり祖母のためと思い、2階部分に多く予算を取り契約も済ませているので私は、追加で払うお金は有りませんと現場監督に伝え建築中の変更や足りない所の追加は、お互い現金を出し合うように伝えて欲しいと現場監督から母に伝えてもらうように依頼しました。

なぜかこの事に母はかなり怒っていたようですが、私には理解できませんでした。

私が母と一緒に住むことは難しいと言った事については、その当時母はここに(大阪市) 住むつもりは無いと言ってましたが、祖母を施設に追い出し、いつしか自宅(吹田)に帰ることが無くなり会社としてでは無く自宅のように住むようになりました。

本来の母自宅である吹田の府営団地は母の娘に又貸しています。母本人の住所が吹田市にある事で北摂の環境の良い老後希望する施設に入りやすいとの事でした。


今現在の、母が私に家の売却について申し立てをしている時期は以前、妹が話ししていた時期が一致しています。施設入所などの内容は他人を無視した母の思い通りな意見に変わっていますが。「住むつもりはない!」と言っていたことは下記の事に繋がっているのかもしれません。北摂の老後施設に入るため住所変更しないという事?だとしたらこの事も騙された事になります。

1度目にもめてから私は妹に何度か相談はしてみました。その際、妹が言っていた言葉を思い出しました。「もう少しで70歳になるが、70歳で仕事を辞めて自分から施設に入ると母が言っている。そのために自分で貯金している。だから今は5万の支払いを我慢して一緒に住んで。」最終的にお兄ちゃんの土地になるのだからと言われたことを。


今回、私は母からの家の売却申し立てを受け取りましたが、家を建てる際に、毎月5万円を支払うという約束を一度も果たされていません。それどころか建設中の仮住まいの家賃も全てはもらっていません。「仮住まいの家賃も何故住宅ローンに組み込まなかったのか!」と言われたくらいです。なのに約束を一度も果たすことなく、自由に、仕事や妹(次女)との海外旅行(フランス旅行、スペイン旅行)、国内旅行をしてきた中で退職を機に「もう必要なくなったから家を売りたい!土地は私の物なのだから!お金にする!あんたら出て行け。」とこのような形で訴えを起こし直接言われた私、妻、子はどうしたら良いのでしょうか?家は私個人の名義です。

10年以上母とは色々有りました、この事についてよく妻と喧嘩もしました。我慢して払い続けた住宅ローンや固定資産税は?結果資産にならないとわかっていたら職場近くの賃貸で良かったと妻にも思われ。当然の意見だと思います。追い出されて土地を守る事もできないのであれば私も10年以上実の親に騙され人生無駄に生きてきたような気になりました。亡くなった祖父母に対して申し訳ありません。

指摘された孤独死や脅迫で怖いのであれば本来の自宅である災害被害の及びにくい北摂の吹田市府営住宅に帰れるはずなのです。それに近隣3分圏内に毎日夕食を持って通って仲良くしている次女宅マンションも高層階にあります。

私に恐怖を感じているわりには、2階玄関には自分で考えた結果、古木製(蔵扉)の格子扉で鍵が無い状態です。鍵に関しては設計当初から、こちら側から祖母の安全のために鍵を付けてくれと頼んでいたのですが、「私のスタイルに合わない絶対に付けない!」という母独自の理由で付けなかったくらいです。夏場などは風通しを良くするためか玄関木製扉すら開けた状態です。見たくなくても階段通路上に2階玄関があるため中が目に入るくらいで料理やお香の臭いも階段に充満してこちらが迷惑なくらいです。

私は脅迫ではなく下記のような相談をしに行きましたが話にならず親子ゲンカは一度しました。


妻のおかげもあり少し母と会話が出来た頃、結婚するにあたり一緒に高額の住宅ローンを支払う立場である妻と御両親に私が安心して欲しく、平成25年に土地の権利を明確にするため母親に相談したところ遺言書(公正証書)を作ってもらう事になりました。しかし、今になって思えば公正証書は遺言書と同じで効力が法律上きかなくなる事を母親は知っていたようです。祖父や祖母の時に遺言について調べていたようです。そう言えば当時「認知症になった後に書いた遺言書は無効だ」と言っていましたから。祖母に早く遺言書を書くように行っていた事を覚えています。


この時の母の書いた遺言書公正証書に記載がある(家族の集まる場所)とありましたが、結婚後数年は妻のおかげで話もするようになっていましたし、お正月やお盆に家族親戚集まって食事をしていました。お墓参りも行っていました。


ですが下記のことから私たち家族が離れていきました。


 経済的に本当に私達夫婦が本当に苦しい時、子供ができず不妊治療に通っている時に相談に行きましたが母は当然のように自分たちで何とかしなさいと言い経済的支援なく、1度目の家賃等の相談の時は隣で私の話に涙を浮かべ悲痛な思いでうなずいている嫁に向かい「アンタにはこの家の金銭トラブルにについて関わる立場ではない!」(この事とは、結婚前に交わした私と母と祖母との約束です。)と罵倒されました。私は結婚している以上共有財産であると考えていましたが、私と二人の給料の中で一緒に生計を立てている妻の事を母の考えはまったくの他人扱い、なのにお金に関しては私の土地に住まわせてやっているのだからアナタも住宅ローンを払って当たり前!との認識でした。

1度目の相談後に次女(妹)の妊娠があり毎日朝から夜まで私の家2Fに来る事が数ヶ月続きました。2F母の玄関は鍵も無く扉が木製の格子状になっている部分があり扉が完全に閉まっていても中が嫌でも見える状態であることから毎日私たち夫婦が仕事から帰ると目に付き、母の薦めで子供が欲しくて不妊治療に通っている妻も私も精神的に参っているので私が母親に、まどかの家が近くなのだから、妹の家に行ってくれないか?と当たり障りなく、やさしく相談するが「家族やねんからまず喜べ!家には来させる!何で私の家に来させたらあかんのや!ここは実家や!」とこちらの精神状態(私たち夫婦にすれば毎日帰って来る場所はここしか無いのに癒される場所のはずが…)という気持ちは母に無視され、罵倒され、母には話しても伝わらないと思い私が妹まどかの旦那に電話番号がわからなかったのでFacebookから下記のような相談メールをしてみました(申し訳ないのですが、不妊治療に通っていて精神状態があまり良くないので家にあまり来ないでもらえないでしょうか?妹と母親にも話したのですが分かってもらえませんよろしくお願いします。)とメールしましたが返事は無く後日(2度目の母に対しての相談時)、母親曰く妹の旦那さんはこの事にかなり怒っていたと言われまた傷つき。


母はこの事を脅迫と取られたのでしょうか?

約半年後2度目に住宅ローンの借り換えや少しの援助を母に相談に行ったところ、また来たかと言われ、過去同様に「土地を使わしてやってるのでありがたいと思え」と言われ私も妻もこれは話にならない住宅ローンの借り換えも考えていましたがどうしようもないと落胆し帰ろうとした時、扉を閉めながら母がとんでもない罵声を浴びせてきました


「あんたら!こんな事言いにくるのは妊娠できない腹いせに言いに来てるんやろ!」


と怒鳴られ諦めて帰ろうと数段上がった階段で夫婦で泣き傷つきそして私は怒りました。この時のことを恐怖に感じているのでしょうか?心に対する言葉の暴力を振るった母に言葉で怒りをぶつけてしまったことは反省するところではあります。

その後、直ぐ母の薦めであった事に腹が立ち不妊治療の予約を全てキャンセルし治療に通う事を止めました。

不妊治療に通いだしたのも、まだ話が出来ていた頃の母親の勧めで通っていたのにも関わらず、あの酷い言葉は自分の母親から言われたとは思えなく失望と絶望と闇をかんじました。

決して消えることの無い夫婦の心の傷です。


その後、妻は子宮筋腫の切除手術を経て、長女を妊娠しました。母とは同じ家屋にいながら顔を合わせないようにしていたので、妊娠も伝えませんでした。妊娠中は、妻の妊娠高血圧や突然の出血もあり、緊急帝王切開で長女は34週、H30年に未熟児で産まれました。未熟児で産まれたため、2ヶ月NICUで発達や発育のフォローも産まれた総合病院でみてもらっていました。長女が退院後は、育児や通院などで、とても忙しくしておりました。そんな中で、長女の鼠径ヘルニアがみつかり、手術をしなければいけないため不安に思う毎日が続き、あの様な罵声を浴びせられた事が心に有る私達夫婦は私の母には産まれた事も伝える事はできませんでした。

そうこうしていると、母の雇った弁護士からのいきなり、電話で

相手弁護士:

「お母さんからの依頼です。無名さんは経済的に苦しいとお聞きしましたが家を売りませんか?

私:

確かに数年前は不妊治療にお金がかかるから援助してほしいと伝えた事はありますが。

相手弁護士:

住宅ローンはこちらでは負担するとおっしゃっています」。「子供産まれたんですか?知らせていますか?合わす気は有るんですか?」とこちらの事を何知らない第三者から心無い連絡がきました。「普通ならね合わせますよね」とも言われました。

今になって一方的に家を追い出されるのは何故?実際、私たちが苦しかった時は何も援助をせず好きなだけ職場として使っていたのに、仕事を引退するから出て行け!は、おかしいと思いました

(お孫を合わせる気があるです?)

と相手弁護士に言われたが、どう答えるべきか正直悩む。この家の事と何か関係あるのでしょうか?

しかも、嫌でしたが妻の両親に促されメールですが出産報告をしています。母の携帯宛。返事無し


そして2度目の相手弁護士からの電話があり「支払に困っているのであれば売りませんか?」と相手弁護士からの申し出に「私たちの今の現状は数年前とは違い妻も正規職員になり経済的にも安定しているので売らなくても良いので売るつもりは無い子供の将来や病院などの事も話し売りません」とはっきり言ったところ相手弁護士からの威圧(では1ヶ月以内に法的手続きをする)と言われ私達は法的な事を何も知らずに恐怖を感じていました。

私達が何か悪いのでしょうか?

今でも

2階に住んでいる母に外出先で出会うと挨拶をするどころか私たち家族に対し何も喋らず睨みつけられたため私たちは目をそらし1階玄関は共有玄関になるのですが、そこで妻が子供を抱いた状態ですれ違うと母は怒りを態度で表したいのか自宅1階共同玄関のスライドドアを壊す勢いで強く閉められたりする事も有り、こちらから普通に声を掛けることは怖くて出来ませんでした。このような事があり私も日々、色々考えストレスから左突発性難聴のになり病院に緊急入院をしました。未だに左の聴覚は元に戻っていません。

今更35年の住宅ローンを新たに組む体力は残っていませんし、今まで夫婦で節約してきた人生を取り戻すこたもできません。今後の事も考えると不安なので住宅ローンを組んだ時のことを思うと母の書いた遺言書通り祖父母の大切にしていた土地の権利を私たちお金は妹たち家族に譲って頂けるようお願いいたします。

子供のためにもこのまま住み続けたいと思っています。

2018年某日、以前とは違う母の雇い直した弁護士事務所から、土地の使用料の支払い命令が届きました。

しかし、10年以上支払いをしていないのは、建物を店舗使用している母も同じです。

さあ!

これから、母との戦いが始まります。

応援していただけると嬉しいです。

次回、裁判か示談か



次回!裁判か示談か!

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