ホントのきもち
「ごめんなさいね。あなたたちにとっては、むごいことをしていると恨まれても仕方がないことだわ」
私の瞳を覗き込んだ後、誰にも聞こえないようにと耳もとにそっと声をかけられた。
静かに慰めるような口調で、けれどもはっきりとした決定事項を告げるその高貴な女性は、柔らかな手のひらを、そっと私の頭にのせてから優しくもう一度謝罪の言葉を続けてきた。
「本当にごめんなさい。それでもこれがモンシラとトラザイドの方針なの。……あなたも公女ならば、わかるでしょう?」
決して覆ることは無いと言外に伝えられたその言葉に、ただ頷くことしかできなかった私は大きく鼻をすすった。
そのせいで鼻の奥がツンっと刺激されて、止めようとした涙がどんどんと目に溜まり出す。
でも絶対にここで泣くことはできないし、したくない。メリリッサの前で泣きたくなんかない。
居並ぶ貴族たちからの祝いの言葉を一身に集める彼女。その作り上げられた美しい笑顔を覗き見しながら、私はぐっと唇を噛みしめた。
先ほど大公殿下から下された勅命により、トラザイド王国の王太子とモンシラ公国の第一公女との婚約が正式に伝えられた。
スメリル鉱山発掘の為の融資にあたり、水面下で話し合われていた婚約話が調ったのだ。
モンシラ公国第一公女が、トラザイド王国王太子と成婚ということになれば、両国の結びつきはより強固になると声高に喜びを上げる者、ボスバのようにその一部に取り込まれるのではと訝しがる者、様々な思惑が淀んだ滓のように公邸内にこびりついていくように思えた。
けれども私にとってはそんなことどうでもよかった。私にとって大事なのはそんなことじゃなかった。
私の髪を、大公妃であるお母様の手が労わるように撫でる。皆の注目を浴びているメリーはとてもご機嫌なようで、私のことなどちっとも目に入っている様子などない。だからその隙にと、私はお母様に向かって小さく声をかけた。
「…………アクィラ様は?」
それ以上の言葉は出てこなかったけれども、それだけで十分だった。お母様は私とアクィラ殿下が、外遊先で人目を忍びながらも仲良くしていたのをちゃんと知っていたのだ。
「アクィラ殿下は王太子としての自覚をきちんと持たれている素晴らしい方よ」
その一言で、アクィラ様がメリリッサとの婚約を了承したことを理解した。
当たり前のことだ。一国の長の子として生まれた彼や私の結婚は、個人の感情で左右されるべきものでないのなんてわかっている。
私が今ここで「そんなの嫌だと」泣き喚くことが出来ないのと同じで、アクィラ様が断ることなど出来はしない。これは最重要事項であって、子どものたわいない約束など出る幕はない。
『いつか一緒に見に行こう。一面に咲き誇るリーディエナの花を』
その約束に胸を弾ませ、騎士副団長に頼んでボスバ領の言葉を教えてくれる者を探してもらい、ぶっきらぼうな少年に少しずつ慣れるように、その言葉も覚えてきた。
今まで以上に刺繍にも力を入れ、どうやってデザインすればあのリーディエナの花が一番素敵に見えるのかと考えた。けれども全部その意味をなくしてしまった。
「そう、ですか……」
ようやく絞り出したその声が震えるのがわかる。まだ見たことのないその青の色を、アクィラ様がメリーと一緒に見るのかと思うと悲しくなった。
ああ、ダメ。下を向けば止めたつもりの涙がまた零れだしてしまう。目に力を入れて真正面を見据える。
そうすれば人波の向こう側に立ち誇らしげに笑うメリーと目が合った。大事に育ててきたアクィラ様へのこの思いを、メリーになんかいじられたくない。
そう思ったから私らしく、少し無作法だけれども大きな声で「おめでとう、メリー!」と声を上げた。
心の中では張り裂けそうな痛みに耐えながら、でも笑顔の仮面を貼りつかせながら精一杯の強がりをのせて――
***
目が開いたその時、頭の中が混乱して、私はどこにいるのか、今がいつなのか全くわからなかった。
いつもよりも少し硬い寝具に寝かされていて、真上に見える天井のクロスも自室のしゃれたものとは違って、とてもシンプルなものだったから。
横になったまま手を目の前にかざせば、今の私、リリコットの白く長い指が見える。だとしたら、さっきまで見ていたものはやはりリリコットの記憶の一部なのだろうか。
首を少しだけ傾ければ、目元からつうっとつたい落ちる雫。私は驚き、そしてその瞬間に全て納得もした。
そうか、そうだったんだ。私がどうしてボスバ領の言葉を習っていたのか、そしてどうして知るはずのないリーディエナの花を知っていて刺繍のデザインにまで起こしていたのか。
それは全部、リリコットとアクィラ殿下との約束の為だったのだ――
子どもの戯言だと言ってしまえばそれまでのことだった。でも、私はずっとずっと本気で彼との約束を夢みていた。
……あの日の、メリリッサと殿下の婚約が正式に決定されたと伝えられるまで、ずっと。
「参ったな、本当に」
記憶が少しでも戻ればいいと思っていた。けれども無くしていた記憶の中に、これほど悲しいものがあるとは思ってもいなかった。
あの婚約者であったガランドーダの王太子殿下に糾弾された時とは比べ物にならないほど胸が痛んで、何度も心の中で叫んでいた。
ああ、本当に参ってしまう。これは本物だ。顔に熱が集まるのを止めることが出来ない。
私はずっと、アクィラ殿下のことだけを好きだったのだと、思い出してしまった。