1/2の純情な感情
魔法の言葉。そんなものが初めからあれば、今こうして私は頭を抱えてはいないだろう。
メリリッサとリリコットの婚約者入れ替わりの顛末など、どう考えても軋轢を起こすことなく弁明できる自信など全くない。いや本当に。
だってさー、普通百合香の世界だったらあり得ないことだもの。
いくら双子だって、流石に婚約者がわからないなんてことないでしょ?そもそも婚約したからといって、ほとんど会うことがありませんだなんて状況になんかならない。つまりはそういったことがありえるこの世界の王族や貴族の常識が悪いのだ。
うーん、そういうことには……ならないわよね、当然。
朝の寝台の上で、はあ、と小さくため息を吐く。
またそれを耳聡くハンナが聞きつけて、いかがなされましたか、といかにも心配そうに声をかけてきた。カリーゴ様からあと三日待てと言われてからずっと、昨日も丸一日こんなことばかり考えていれば、もうため息も打ち止めしそうなものだけれども、こればかりは無尽蔵に湧き出てくる。
そのくせいい考えは全くといって浮かばない。本当に困ったものである。
そう、丸一日以上費やしたということは、あれからはすでに二日目。
ということは、もう明日にはアクィラ殿下が、貸し出したヨゼフと共にボスバ領からこの王宮へと帰ってくるのだ。畜生、早いな。ボスバ領へは馬で急いでも片道三日かかるっていう話なのに、出発日を含めて七日で帰ってくるとか、どんなとんぼ返りだ。
ほぼ休めることも出来ない日程に、少しはゆっくりしてこいよー、と心配しないでもない。こっちももっと時間が欲しかったしね。
しかしそれでもいつかはタイムリミットが来る。
そうしたらどうしたってこの不本意な入れ替わりを説明しなければいけない。
ふははは、もう土下座して謝っちゃおうかなー。
リリコットとしての記憶も、まだまだ思い出せないことがほとんどだけれども、それでも一応は一国の公女には間違いはない。
モンシラ公国とトラザイド王国は隣国でもあるし、スメリル鉱山の融資と利権の関係もあるのだから、いきなり死刑とかはないだろう。
うん、自殺未遂の後の初対面の時ならいざ知らず、それ以降は驚くほどアクィラ殿下は私に対する態度がぐっと柔らかくなっていた。
それに、……リーディエナの花のこともある。
そう考えると、少し顔に熱が集まってきてしまう。そうだ、それもあったのだ。
まずは下手な出方をせずに、アクィラ殿下の話を聞こう。そうすれば、今のこのおかしな状況も解決に向かうかもしれない。
そうと決まれば残る一日を有効に使おう。せめて、今まで思い出せなかった記憶の一部でも思い出しておきたい。
出来ればそれが、十年ほど前のアクィラ殿下との思い出ならばなおいいのだが、それは少し図々しいかな?
そんなふうに考えていると、自然と笑いが込みあげてきた。ふふっと、声を漏らせば、洗顔の準備を整えたハンナがたらいを持って近づいてきた。
「リリー様?」
「ああ、ハンナ。今日は……いいえ、今日からは洗顔は浴室で、自分でするわ」
「っ、そんな……リリー様のような御身分の方が御自分でなどと……」
「今日はミヨがお休みの日でしょう。ただでさえ人がいないのだから、出来ることくらい自分でします」
そう告げて、ハンナの手からたらいを受け取った。
一瞬その手に力が入ったのがわかったが、ここで取り合いをしてしまえば、かえって中の水を零してしまうとおもったのだろう。渋々私の手に渡すと、眉を寄せてじっとこっちを見続けていた。
一昨日ハンナに休みを取ってもらったので、今日はミヨに休んでもらう日になっていた。
丁度いい、人手が足らないというのを免罪符にして、少しでも自分でやれることを増やしていこう。小さな頃から面倒を見てくれているというハンナからしたら、中々受け入れがたいことかもしれない。
けれど私だってこれからどうなるのかわからないのだ。だったらそれくらい好きにさせて欲しいと、もの言いたげなハンナの視線を振り切って浴室へと向かった。
そうして自分で歯磨きと洗顔を済ませて寝室へと戻れば、今日着るドレスの候補を何着か並べているハンナと、メイド服ではないお出かけ用のワンピースを着たミヨが待っていた。
「ハンナ、ありがとう。その……いいえ、レモンイエローのドレスにします。それからミヨ、今日は楽しんでいらっしゃい。これは少ないけれどもお小遣いとして持っていってちょうだい」
ドレッサーの引き出しから、便せんを折り紙に見立てて作ったのし袋を出してミヨへと手渡す。
いつも世話になっているからほんのお小遣いのつもりで、一昨日ハンナにも同様のものを渡したのだが、ミヨは中身よりものし袋の方に興奮している。
「え、え、これどうやって作ってるんですか?紙を折るだけで?うわー、姫様作り方教えてくださいよぉ!」
施設に居た時、ボランティアの人たちから教わった折り紙がこんなに受けるとは思わなかった。
こんなものくらいならいつでも教えるからと約束してミヨを押し出すように送り出す。放っておいたらいつまでも部屋に居座ってしまい、せっかくのお休みなのに時間だけが過ぎていって勿体ない。
なんとかミヨが部屋を出ていくのを見届け、ようやく着替えをすませた。レモンイエローのドレスは襟元まで生地で覆われていてとても清楚なデザインだ。
胸回りも緩くはないし、きっとこれはリリコットの為に作られた数少ないドレスの内の一つなのだろう。
リリコットらしいドレスの裾をつまみ、足もとの白い靴を覗き見る。普段はそんなことしたこともないのに、何故だか今日はそうしたくなってしまった。
すると胸の奥から静かに波立つものを感じてしまう。
ああ、昔こんなふうに、何度も足の先を覗いていた日があった。
あれは確か、アクィラ殿下と初めて会った日のお茶会だ。メリリッサには内緒にしようと二人口裏を合わせて初対面の振りをした。
それでも時々口元が緩むのを抑えるのに、こうやって足もとの靴を覗き込んだのだ。あの日と似た装いに、懐かしい思い出がリンクする。
レモンイエローのドレスと白い靴の取り合わせ、じんわりと甘酸っぱい感情が染み出してくる、幸せのひと時に酔いしれた。
けれどもそれを許さないといわんばかりに黒い靄がそれを覆い被せる勢いで追いかけてきたようだ。
私は近づいていたそれに気が付かず、いつの間にか振りほどくことも出来ないまま飲み込まれた。