魔法のオコトバ
あのテーブルクロスの刺繍がリーディエナの花だということを知り、その後アウローラ殿下の部屋ではずっとのぼせたような感覚で過ごしてしまった。途中でアウローラ殿下が何かを言ってきたような気がしたけれど、何も覚えていない。
なぜなら私はその間たった一つのことだけを考えていたのだ。
お茶会と刺繍の練習という建前の時間を過ごし、ミヨとカリーゴ様に付き添われて自室へと帰ってきた。ミヨが部屋に入るなり刺繍箱や化粧箱を片付け始め、それを機にカリーゴ様は退出の挨拶をする。
ヨゼフの代わりにと、アクィラ殿下から言いつかったカリーゴ様は、こうして部屋の外へ出る時は必ずついてきてくれるけれど、いつも私が部屋に入ったのを確認するとすぐに部屋から出ていく。いくら護衛対象とはいえ、女性の私室にとどまるのは確かに外聞がよろしくないだろうから、それは当然の対応だ。
けれども今日はそれを押しとどめ、私の向かいのソファーに座るようにとカリーゴ様へ声をかけた。どうしても彼には確認しなければならないことがある。
そう、さっきからずっと考えていたそのことを、絶対に今すぐに、だ。
渋々といった体で足を止めたカリーゴ様だが、ソファーに座ることは拒否された。立ったままでいたいというのならそれでいい。問題はそんなことではないのだからと、私も意を決して彼に問いかける。
「あ、のね。あの……テーブルクロスの刺繍なのだけれど……あれは、その……リーディエナの花、なのかしら?」
自分で刺繍しておいて何を言っているのかと言われればそれまでだが、仕方がない。実際私には直接それを見た覚えがないのだ。
これは今のところイービス殿下の申告だけでしかない。けれどもアクィラ殿下の従者で、おそらく何度も彼に付き従いボスバ領へ足を運んだことのあるカリーゴ様ならば、その真偽も絶対に判断できるはずだ。
そして、あの刺繍のデザインが本当にリーディエナの花なのだとしたならば……
「……はい。私が見たところ、確かにリーディエナの花のようでした」
やっぱりぃいい!
何の表情ものせず淡々と答えるカリーゴ様。絶対に今、私は彼とは真反対の顔をしているはずだ。梅干を三つくらい口の中に突っ込んだくらいの渋面だという自覚がある。
つまり、あれだよね。直接ボスバ領へ行ったことのある人しか見ることの出来ないリーディエナの花を知っているということは、つまり私にそれを教えた人がいるという訳で……
それが、リリコットとしてあの十年くらい前に会ったことのあるアクィラ殿下だとしたら、当然殿下もわかっている訳だ、うん。
私がメリリッサでなく、リリコットだということを――
うわあああ、ダメだ。これ、めちゃくちゃダメなやつだ。やーやー、絶対に、バレてるよね!婚約者の入れ替え!!
頭を抱えるようにして両手を顔に当てる。そうしてそこからチラリとカリーゴ様の様子を窺うが、相変わらず彼の表情は変わらない。けれどもかえってそれが、自分の考えを肯定しているようで、ものすごくいたたまれない。
そういえば、さっきアウローラ殿下の部屋に行く前の、私の性格が変わっただのなんだのと言う辺りでの、カリーゴ様の突っ込みはキツイものがあった。あれももしかしたらそういった疑念が元々あったからこその、問いただしだったのかもしれない。
なんといってもこの結婚は国家間の問題でもあるのだ。それがたとえ双子の姉妹だとしても、入れ代わりが行われたとなればこれはとてつもない大問題になる。
ああ、ソファーに座っているのにも関わらず、足もとがぐらぐらと揺れている気がする。
それでも何か言わなければと唾を飲み込もうとした。けれども渇ききった喉の奥には水分のすの字もなく、ちりちりと耳もとで音が鳴っただけだった。
「あの、カリーゴ様……」
「公女殿下」
ようやく絞り出した声が、カリーゴ様の私を呼ぶ声で遮られる。そういえば、いつの間にかカリーゴ様からは公女殿下という肩書だけで、名前をつけて呼ばれることはなくなっていたことに気がついた。
いや違う。カリーゴ様だけではない。
アクィラ殿下こそ、もっと早く呼ばなくなったのではないか?私のことを、メリリッサと――
ん、んんんー!?あれ?結構前から呼ばれてないよね。
もしかして、ほとんど君とか婚約者殿とか、そんな呼び方しかされて……いないっ!
抱えた両手を勢いよく放してカリーゴ様の顔をじっと見つめる。そうすると真面目くさった地味顔が、なんともいえない表情に変わっていった。
「とりあえず、今はまだ私からは何も話せません」
その台詞に肩透かしをくらったようにガクっと落ちる。まあ、確かに勝手に話せることではないと思うけれども、ねえそれはないんじゃないだろうか。
「あと三日もすれば殿下もお戻りになられます。直接お話が出来ますよう取り計らいますので、それまでお待ちください」
ぐぐぐ。何という針の筵。いや逆に猶予と言うべきか。
私はあと三日で、この状況を説明できる魔法の言葉をどうにか探すしかないようだ。




