アクィラ~情熱~
リーディエナの生花は日持ちがしないからと、ボスバ領を預かるマリス卿に教えられた。
あんなにも美しく薫り高い花なのに、どうして世に広めないのかと。私のような子供のたわいない質問にも、そう真摯に答えてくれる物静かな赤い髪の領主が、咲き誇るリーディエナを一花だけ摘み取り、小さな手帳のようなものの中に挟みこんだ。
『こうして押し花にしてもその形を保つのはせいぜい十日が限度です。色はもっと早い。ですからどうにか加工出来ないかと考えてはいるのですが、なにぶん田舎者ゆえ上手くいきません』
『だったら私がなんとかしよう。この美しい花を、どうにかして皆に見てもらいたい』
あまりにも繊細で儚いその花の加工が難しいと聞き、それならばと意気込む。
花として扱い辛くとも香料にすることが出来たのだから、何かしら方法があるはずだ。そうすれば、ボスバ領、ひいてはトラザイドの為にもなるはずなのだから。そう気持ちを込めて語れば、赤髪の領主が口元の皺を深めて私の手に手帳を載せる。
『それでは、殿下へ託します。私どもの未来と、リーディエナの花を』
その言葉に、任せておけと頷いたのは十年前のことだ。何の策もない子供の戯言も、熱意をもって継続すればなんとか形になるものだと自分でも感心する。
最初はなんとかリーディエナの花の形を活かしたものをと考え、ポプリのようなものを提案していたが、それがとてつもなく難しいことに気が付くのに時間はかからなかった。
とにかくリーディエナは乾燥するとその形が崩れてしまう。実際に十年前に貰った押し花は十日以上持ったが、少し眺めているだけであっさりと原型を留めることなく塵となってしまった。
それからは試行錯誤の連続だ。色々な提案を一つ一つ手探りで進めていく。
そうして今になってようやく形になったのが、リーディエナの花と葉を使ったお茶だ。これも案こそは初期からあったものだが、なかなか思うような味や香りが出ずに、商品としては至らなかったものだった。
それが茶葉の選別配合に、発酵時間の工夫を重ね、これぞリーディエナだと自信を持って言えるものが出来たのだから感慨深い。
あの日、彼女との約束がなかったのならばきっと私はここまでリーディエナの花に執着することはなかったかもしれない――
***
「そんなに素敵なお花なのね、そのリーディエナって」
「ああ、一面が青に染まり、甘いけど爽やかな香りが空気を吸うごとに胸に飛び込んでくるんだ」
「いいなー。私も見てみたい」
羨ましそうな顔をして目の前の草を見つめるリリー。
出会ったその日のお茶会は、二人して『たった今初めて会いました』というような顔をして挨拶を済ませ乗り切った。どうせ母上や他の人目があるところでは、トラザイドの王太子として相応しい態度でしか接することが出来ないのだからどうでもいいと話し合い、それよりも二人だけで会おうと、次の日同じ場所での約束を取り付けたのだ。
今日のリリーはピンクのドレスに身を包み、白いレースのリボンで髪の毛をまとめている。
昨日も可愛らしかったけど、今日はもっと可愛いと思ってしまったのは、きっと思い違いじゃない。私の話に食いつくように聞き入ってくれるリリーのことが、昨日よりもずっと好きだなと思うから。
「見せてあげたいけど、生花はすごく枯れやすいんだ。だから……あ、待って」
そういえばここへ来る直前に、手帳に挟んだリーディエナの押し花を一輪貰ったのだ。十日以上は過ぎているが、あれから一度も開いていないソレは、もしかしたら形だけでも残っているかもしれない。
ジャケットの胸ポケットに入れてあった手帳を、ゆっくりとリリーへと差し出す。
それを両手で受け取った彼女は、きらきらと目を輝かせながら私の座っていた切り株の横に腰を下ろした。そうして一緒に押し花のページを開いたのだ。
「うわぁ、可愛い!」
リリーはそのリーディエナの押し花を見てとても喜んだ。
生憎と濃い青空のような花の色はすっかりとくすんでしまって、枯れた葉っぱのような色になってしまっていたけれど、ハート型の花弁が柔らかな曲線を描き、その形を留めていた。
ゆっくりと花の形をなぞるように、リリーの指先が動くのをみているだけで胸がどきどきと高鳴るのがわかる。真剣な顔をしているリリーは、笑っている時と同じくらい可愛いと思う。
けれども彼女が何度かそうやって指を動かしているうちに、いたずらに吹いた風のせいで繊細なリーディエナの押し花はあっという間にその形を崩してしまった。
「あ……ごめんなさい」
まるで自分のせいだとばかりに謝るリリーの肩に手を置いて慰める。
「謝ることないよ。元々ここまで長持ちするものじゃなかったんだ。それよりも君に見せることが出来てよかった」
「本当に?」
勿論だと首を縦に振る。すると、両手をぐっと握りしめてリリーが私の方を向いた。
「じゃあ私、見せてもらったお礼にリーディエナの刺繍をするわ。もう花の形はしっかりと覚えたもの」
裁縫は得意なのよという、その言葉に心が震えた。
リリーが私のためにリーディエナの花の刺繍をしてくれるというのだ。ボスバ領でしか見ることの出来ないはずのリーディエナを。
色がよくわからないのが残念だけど、と続けて紡いだ言葉に即座に反応した。
「ならばいつか一緒に見に行こう。一面に咲き誇るリーディエナの花を」
「…………うんっ!」
白い頬を今日のドレスと同じピンクに染めて答えるリリー。私はそんな彼女の手を取り、指先に約束のキスをした。
明けましておめでとうございます。
今年も楽しく創作していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
しばらくの間、不定期更新となりますがご了承ください。




