シルクのハンカチーフ
その後は約束通り、アウローラ殿下の部屋へとカリーゴ様とミヨを連れてお邪魔した。私は前回と同じようにアウローラ殿下の刺繍の様子をうかがい、ミヨはイービス殿下に変装術を教える。
先ほどは随分と怒らせたようだったが、カリーゴ様もミヨのあれだけの腕前は相当気になったようで、二人の授業を食い入るように見入っていた。そして、私の方の生徒であるアウローラ殿下も、そっちばかりが気になる様で全く手元の刺繍は進まなかったのだ。
この間書いてくれと言われた頭文字や態度からしても、わかっていたことなので黙って見守っておくことにする。
考えなしで動くタイプかと思えば、なかなか恋心だけはそこまで猪突猛進という訳ではないらしい。
しかしこの調子ではしばらく手は止まったままだろうから、自分の刺繍でも進めておこう。そうして順調に針を入れたおかげで、この間から刺していた鷲の図柄の刺繍が完成した。
両羽根を大きく広げ、立派な嘴も目立つように顔を少し斜めにしたデザインのそれは自画自賛するようでなんだけれどもとても格好いい。
金糸をふんだんに使ったため、なんだかアクィラ殿下に似ているような気がする。
うーん、これならばこの糸切り指輪のお返しだと言って渡せば受け取ってくれるかな?
もしかしたら、さっきの話を聞いた後で思いっきり叩き返されるかもしれないが、それでもいいから渡してみよう。
少なくとも、この鷲の刺繍をしたハンカチーフは他の誰にも使ってもらうことは出来ないし、アクィラ殿下以外に渡すつもりもない。
そうして最後にアクィラ殿下の名前の頭文字を刺繍する。
そこでようやくカリーゴ様へと目が移っていたアウローラ殿下の意識がこちらの方へと戻っていたことに気がついた。私の手元を見て感嘆の声をあげる。
「メリリッサ公女殿下……すごい!とてもお上手だわ」
「ありがとうございます、アウローラ殿下」
自分でも上手く出来たとは思っているが、やはり人から褒められるのは気分がいい。調子に乗って、最後の処理をしてから刺繍枠を外した。
そうしてハンカチーフをアウローラ殿下の前に広げてもっとよく見えるようにする。
「まあ、アクィラお兄様にですのね」
「……わかりますか?」
一発だったわ。あ、名前の頭文字も刺繍してあるし当然か。
そんなふうに思っていると、アウローラ殿下の指先が、鷲の羽をすっとなぞる。
「ええ、この鳥。お兄様のお名前、トラザイドの古い言葉で『強き者』と。まさに象徴といっていい図柄です」
うわっ、それは知らなかった。
だから?だから、アクィラ殿下は私にと、この糸切り指輪を選んでくれたのか。
自分の名の由来である鷲の指輪……どうしよう、顔がにやけるし、熱い。ものすごく熱い。
気を落ち着かせるためにも、手を擦り合わせてみたが、そうすればするほど左の人差し指に着けてある糸切り指輪の存在が気になって仕方がなくなる。
そうして余計に体が熱くなった。
せめて顔の火照りだけでも抑えようと、ハンカチチーフを探したがどこに置いたのかわからない。
それでも刺繍箱の中には、まだこれから刺繍予定の無地のハンカチもいくつか入れてあるので、それを使ってもいいだろう。
目についたハンカチチーフを手に取り頬を抑えると、少しは落ち着いたような気がする。ほうっと一息ついていると、アウローラ殿下から「あ」という可愛らしい声が聞こえた。
「今これがそちらから飛んできたのですが、メリリッサ公女殿下の持ち物でしょうか?」
そう言って渡されたものは、前回練習に使った布だった。
そこにはアクィラ殿下に担保だと言って持っていかれたテーブルクロスのものと同じ花の刺繍が刺してある。
「そのお花の刺繍、とても可愛らしいですね」
「ああ、これですか。私の部屋にあったテーブルクロスのものと同じ図柄なのですが……覚えていらっしゃいますでしょうか?」
一度私の部屋に来たことはあるが、果たして覚えているかしらね?
なにせあの時は……まあ、心の中だけでツンデレごちそうさまでしたとだけ言っておこう。
「ええと、あの時はそんな余裕が全くなくて。本当に申し訳ございません。とても恥ずかしいことをしてしまいました」
顔を真っ赤にして恥じらうあたりが、やっぱり育ちが良く素直なのだなあと感じる。多少癖の強いところもあるが、アクィラ殿下の兄弟妹は皆とても真っすぐだ。
微笑ましい気持ちで見ていると、ちょこんと首を傾げながらもう一度私の手の中の花の刺繍を覗き込んだ。
「でも……私の知らないお花のようですね。こんなに可愛らしいお花、もし見たことがあったのなら、絶対に覚えていると思います」
さらりとした肌ざわりのシルクの布の上に、ハートの花びらが七枚重なりあっていて、ふんわりとした花の形を作り上げられている。
うーん、アウローラ殿下もわからないか。
自分で刺繍しているにも関わらず、リリコットの勉強の記憶を遡ってみても全然知らない花なのよね。
ということは、私が作った想像の花なのかな。
刺繍の腕前といい、デザインの出来といい、なかなかにクリエイティブな素質があるんだね、リリコットは。
さらなる自画自賛にちょっとだけ笑ってしまった。すると変装指南を終えたらしいイービス殿下が今日の成果を見せるために、私の側へと楽しそうに寄ってくる。
「メリリッサ公女殿下、いかがですか?」
「今日のテーマは、なんでしょうか?随分と特徴がないお顔のようですが」
金髪に緑の瞳というイービス殿下持っている外見なのだが、全体的に印象が薄い。
これではまるでカリーゴ様のような感じだ。そう感想を伝えると、喜びを隠せない表情で私の両手を取った。やっぱりそれでも顔が薄い。
「そうなんです!今日は、目立たないための顔作りを習ったんです。いやー、わかってもらえて嬉しいな」
「ま、まあ……それは、よろしかったですね。あの、イービス殿下お手を、よろしいでしょうか?」
嬉しいのはわかるが、まだ糸切り指輪をつけたままだし、手の中には花の刺繍が握られている。
「あっ、申し訳ありません」
私の言葉にイービス殿下は慌てて手を離す。
「いいえ、糸切り指輪でケガをされてはいけませんから」
それほど尖っている訳ではないが、当たる場所によっては傷がついてしまうかもしれない。にっこりと笑って離れると花の刺繍の布がひらりとひるがえった。
「……その刺繍は?とても上手ですね」
「ただの練習用ですよ」
興味深々といった様子で尋ねるイービス殿下に向かい謙遜すると、代わりにアウローラ殿下が意気揚々と答えた。
「綺麗でしょう?メリリッサ公女殿下が刺繍されたのよ」
いやー、そこまで言われると照れちゃうな。
ほほほ、と笑顔を振りまいていると、妹の言葉に頷きながらイービス殿下はとんでもない言葉を口にした。
「リーディエナ花の刺繍だろう?本当によくできているよね」
ん、んんんんんっ?今なんて言ったのぉおおお!?




