ハネコンマライダー
運動神経がいいという自己申告通り、ミヨは初めての自転車でも転ぶような真似はしなかった。
それでもやっぱりバランスはとり辛いようで、ペダルに足をかけては、おっとっとと慌てて地面に着き直すといったことを繰り返している。
「このスカートがまずいんでしょうかぁ?」
何度目かの失敗の後で、カリーゴ様の長ズボンをじっと物欲しげに見つめながら嫌な台詞を口にした。
なんだか恐ろしい予感がするんですけど、やめてよ。絶対に私の考えていることを言わないでよ。
「そう思いません?カリーゴ様ぁ……」
流石のミヨも、今ここでそれを貸してくれとは言わなかったけれど、絶対に考えたよね。カリーゴ様がその視線にちょっとひいていたのは見逃がさなかった。
王太子の従者のズボンを、王太子の婚約者の侍女がはぎ取るだなんて醜聞は勘弁してほしい。大体、そんなことをしでかして、それが私の指図だとかいう噂が広まったらどうすんの?
それでは悪公女をすっ飛ばして、ただの変態だ。
悪だけならまだしも変態は絶対に勘弁してほしい。なので、カリーゴ様の心の平穏さと、私の噂の平坦化のために、ミヨへちょっとだけアドバイスをした。
「スカートが問題なんかではなくて、きっとバランスが問題なのだと思うわよ」
「それはわかってるんですけどぉ」
もう一回、ペダルに足を引っかけて、それでも失敗をしたミヨが口を尖らせながら不満を口にする。なので、一度ペダルに足を置かずに、両足で地面を蹴って進んでみなさいと声をかけた。
「そうやって、バランスをとって……そうそう。上手よ」
「おーっ、おー……あー、はい、はい」
バランスのとり方を教えると、ミヨは言う通りに地面を蹴り出した。最初は短い間隔だったのが、何回か繰り返すことで少しずつ足が離れる間隔が長くなっている。
施設時代に何人もこうやって下の子に自転車の乗り方を教えてきたのだが、その中でもミヨはトップクラスで優秀な子だ。やる気もあるが、バランス感覚がいい。やっぱり自分で言うだけのことはあるな、と感心をした。
ミヨが自分で言っていた通り、彼女は男爵家の娘ではあるが田舎暮らしが長かったという証拠だろう。公国の首都育ちの爵位ある娘ならば、そもそもこんな見たこともない乗り物など乗ろうとも思わないだろうしね。
さて、なんとなくバランスのとり方がわかってきたいうところで、ミヨがキラキラしい顔を私の方に向けた。
あー、続きを教えろって顔だわ。うん、どうせ乗り掛かった舟だね、と次のアドバイスを伝えようとしたところで、無情にも時間切れの声がかかった。
「公女殿下、申し訳ありませんが、そろそろお帰りのお時間です」
「ええーーっ!」
カリーゴ様は思いっきり被せられたその声にもめげずに、私を離宮裏から壁伝いに正面扉の方へと誘導する。
「まだいいじゃないですかあ、どうせ姫様あっちに戻ってもやることないんですしー」
失礼だな、確かに今日はやることないけど。
「帰りの予定時間は伝えてきていますから。それよりも遅くなるようですと、警備上の問題も出てきてしまいますので、ご了承ください」
後ろの方で、ミヨのえー、えーと言う不満がひたすら続いているが、カリーゴ様も全く負けていない。「さあお早く」と言って、私をずいずいと前へ向かわせる。
さっきはズボンが取られるかもなんてしり込みしていたくせに、いつの間にか立ち直っていたようだ。
まあ、ミヨと面と向かっているとどうにも調子が狂わせられるのだからそこは仕方がない。むしろ、これだけ早く自分を取り戻せられる方が立派だね。
そうして正面の開けたスペースが見えたところで、後ろからガタッという音が響いた。振り返ればそこには、頬を引きつらせるカリーゴ様とちゃっかりと自転車を引きずってきていたミヨの姿が……
「詰めたら入りませんかね?これ」
ミヨぉおお……返してこい。ホント、お願い。
すったもんだの挙句、後日練習時間をつくるからと言われ、なんとか自転車を手放させるのに成功をした。
……あれが成功というかは人によるが、どうでしょう。
少なくともそこまで時間に遅れることなく馬車に乗り込むことは出来た。しかし、馬車に乗り込んでもまだぶつくさ言っているミヨは、自転車に未練たらたらのようだ。
「でもね、あれ本当にすごいですよー。絶対に売れそうなんだけどなぁ……仕組みってどうなってます?」
「教えませんよ。開発にはそれなりの時間もお金もかかっていますので」
開発ときたか。ということは、あれはトラザイドの王家だけにしかないものなのだろう。
どんな人のアイデアなのかわからないが、あそこまで私の知っている自転車に似ていると、なんとなく自分と同じような人間がいるのかもしれないと疑いたくなる。
一体何なんだろうなーなどと頭を下げて考えていると、ふっと意味ありげな視線を感じた。
狭い馬車の中だから誰の視線だなんてすぐにわかる。
「何かありまして?カリーゴ様」
「いえ。公女殿下はあの二輪馬の乗り方がわかっていらっしゃるのかと」
「ええと、なんとなく……ああした方がいいかと、思ったので……間違っていましたか?」
慌ててごまかすと、カリーゴ様は首を横に振った。
「むしろ、適切な教え方だと思いました。次からは公女殿下の真似をさせていただきたいと思います」
うん、それはなんでもいいよ。
しかし、あれは二輪馬というのか。馬の代わりになるものって感じなのだろうか。確かに餌はいらないし、そうなれば面白いかもしれない。なんて考えていると、カリーゴ様は笑いながら話を続けた。
「ああやって慣れていけば、殿下方も転んだ回数が随分減ったのでしょうが」
「え、転んだ……アクィラ殿下も、あれに乗られるんでしょうか?」
「はい。アウローラ殿下以外は、皆様熱心に練習されました。特にアクィラ殿下は試作品の頃から試し乗りをしていましたから、転んだ回数は一番多いでしょう」
つい十年前のアクィラ殿下の顔を思い出す。そうか、いっぱい転んだのか。転びながらも頑張って練習する少年のアクィラ殿下を想像する。
不謹慎かな……でもちょっとだけ、見てみたかった。




