to湯
「姫様ってば、本当にお風呂好きですよねえ。なんなら住んじゃいます?ここ」
ふぐっ。半分呆れたようなミヨの視線が痛い。
カリーゴ様の、温泉あるよ、のその台詞に激しく食いついてしまった私も悪いけど、今ここでそんなこと言わなくてもいいんじゃないかな。ほら、カリーゴ様だってなんとも言えない顔をして笑っている。
けどね、だって温泉よ。源泉が近いって、もうなんのご褒美かと思うじゃない。
そうでなくてもこの世界は、毎日お風呂に入る習慣がないせいなのか、モンシラにいた頃では浴槽にお湯を溜めて欲しいとお願いするのさえためらわれていた。
それでもやっぱり入浴したくて、リリコットの部屋とメリリッサの部屋から入れるように繋がれた浴室に毎日お湯を運ぶようにしてもらった。それだけがリリコットのわがままと言っていい。
それが、手配すればいいの一言で、毎日温泉に入れることができるだなんて、凄い、ぶっちゃけ羨ましい。
湯治場、いいなあ……
指をくわえそうなくらいの気持ちでそんなことを考えていると、さらにミヨが追い打ちをかける。
「まー、私はこっちでもいいですけどぉ。王宮よりは静かそうですしー」
「えっ、いや、それは勘弁してください。それに、浴槽ならば公女殿下のお部屋にも設置してありますよね?」
はい、あるね、あります。
ちょっと古めかしい棟の割には、そこだけ新しくしたばかりのような浴室に、綺麗な飾りのついたレトロな感じの浴槽が。
その上、浴室の外にはボイラーのようなものも設置してあって、焚いたお湯を溜めて置くためのタンクがあるということ。大体夕方過ぎからお湯を焚いてそこに溜め置きしているから、私がお風呂に入りたいと言えばすぐに対応できるのだとハンナに教えてもらった。もしお湯を溜める前でも、すぐに焚くことができるから、いつでも言ってくださいねとも言われている。
だからお風呂に入るという点では全く不便に感じていない。それどころかモンシラに居た頃に比べれば夢のような状況なんだけども……温泉はそれとは違うんだよね。
どんな効能があるのかなあ、泉質によっても結構分かれるから入ってみたい。うーん、温泉。
そう惜しむ私の表情を見て、何故かカリーゴ様は少し焦ったように、余計なことをしたか?と小さく呟いた。
しかし、温泉といいボイラーといい、ここまで出来るということは、モンシラよりもトラザイドの方が、入浴文化が根付いているということだろう。
だとしたら、入浴の大切さや温泉の効能もちゃんと理解しているのかもしれない。
「あの、カリーゴ様。もしかして、この離宮を静養所に推薦したのも、ビューゼル宮廷医なのでしょうか?」
「ええ。といいますか、ビューゼル宮廷医の要望に沿った場所を探してみたところ、この離宮が一番適していたと言った方がよろしいでしょうね」
清潔で広いリハビリの出来る、そして何より簡単に入浴の出来る場所だもんね。それが温泉付きならなお良しということだろう。
なんとなく、ビューゼル先生に上手く使われているような気がするけど、まあいいか。こっちも看護師の普及には先生の手助けが必要なのだから、そこはウィンウィンということで。
そもそも私だって医療関係の充実をさせたいと決めたのだ。リハビリも含めた静養所というのもいいんじゃないかな。そうすれば、医師以外の医療従事者ももっと増やすことが出来る。では、その為にも先行投資だと思って、この温泉は彼らの為に使ってもらおう。
「わかりました。それではこちらの方にも専属のお手伝いを置けるようにお願いしますね」
「その旨、確かに承りました」
温泉と聞いて、私がちょっと譲り渡すのを渋ったせいか、ここで再度了解を出したことでようやくホッとしたようなカリーゴ様。余計な仕事を増やすところだったね、本当にゴメン。
そんな訳で離宮の視察が終わり、一応使用権利のある私がオッケーをだしたわけだけれども、静養所として使うと言ってもまだまだ色々と問題はありそうだ。
なんといってもこれだけの広さの建物を管理するだけでも大変そうに思える。看護師だけじゃあ無理でしょう、これ?
そんな疑問をカリーゴ様へ振ってみると、今は王宮から週二日掃除のために人を寄こしているとのことだった。
「それでは、移動だけでも大変ではありませんか?」
イービス殿下から聞いた話によると、この離宮と王宮からは人が通れるくらいの小道を通って、片道一時間半くらいかかるという。
今日私たちがここへ来た時のように馬車を使ったとしても大体四十分。しかもそれには一度王宮を出てからの時間なので、馬車の用意から王宮を出る手続きなどしていたらもっと無駄に時間がかかるだろう。
それにそもそも掃除などの手伝いの者が馬車に乗って離宮に来るのかと考えても、まあ無理だと思う。すると、一時間半かけて歩くのかー、なんかそれは仕事とはいえ大変だ。せめてもう少しなんとかならないのだろうか?
合わせてそう希望を口にすると、カリーゴ様は「ああ」と一声出したかと思うと、私とミヨを馬車が止められている正面の扉ではなく、裏口の少し小さめの扉へと誘った。
広く明るいスペースの取られている正面とは違い、木々に囲まれている裏口だが、綺麗に整えられていて中々気持ちのいい空間だった。
これはこれで暑い時期など気持ちが良さそうだなんて思っていると、カリーゴ様が木の陰に置いてあったある物を引っ張り出してきた。
「う、わーっ!何ですか、それ!?すごい、すごーい!」
ミヨが目をキラキラ輝かせながらカリーゴ様の持ってきたソレに飛びつく。
どうやら新しいものなんでも手に入るルカリーオ商会にもなく、ミヨも初めて見たもののようだ。
鉄製?そこは何だかよくわからないが金属なのは確かだろう。
しかし、大きな輪っかが二つ、その間にそれを動かすためのペダルと、座るためのサドルが付き、カリーゴ様の手が置かれているところは紛れもなくハンドルだ。そこにブレーキがあるのかはわからないけれども、私はこの形のソレをよく知っている。
「え、動きます、コレ?ええっ、どうやって動かすんですか!?」
動くよ、ソレ。だって乗るものだからね。
「ちょっと、カリーゴ様、教えてくださいよ!早くっ!ねえ、姫様も見てます?コレ、凄い!」
見てまーす。っていうか、それどうみてもアレだ。
――自転車、だよねえ。
しかもどう見てもママチャリ仕様。籠も荷台もちゃんとついている。




