アクィラ~初戀~
とても大きな船に乗ることが出来るのよ、などという母上の甘言にのせられた。
船は確かに大きく立派なものだったが、私の身分的に簡単には船室から出られる訳もなく、そのほとんどの時間を豪華ではあるが退屈な船室で過ごすこととなった。これは実に業腹だ。
従者として一緒に付いて来たカリーゴは、時間を見つけては甲板から操縦室まで、それこそ船内を隅から隅まで見学していただけに、余計に腹が立つ。それとなく愚痴を吐き出せば、
「殿下のお立場的に仕方がないでしょう。代わりに僕が色々見て回り、話をしてあげているじゃないですか」
などと偉そうに言い放った。
思いっきり楽しんでいる癖によくも言ったな、とつい不満を本気でぶつけてしまって、その後はもうお互い必要なこと以外は口もきかなくなってしまった。
私の喧嘩腰の言葉に反論したと言うことは、カリーゴにとって図星だったということだ。船に乗る前に、二人で本を見ながら船について話していただけに、一人楽しんでしまったことを認めたくなかったのだろう。
自分でも言い過ぎたし子どもっぽいとは思ったが、船内を楽しみにしていただけに、そこは我慢ができなかった。
だから今回の目的地であるトラザイドの友好国へ到着してからも、しばらくの間カリーゴとぎくしゃくしてしまう。
王太子という立場で国外に出てしまえば、自国にいるよりも更に制約がかかるのは当たり前で、ただ一人年が近く気の置けないカリーゴとろくに話せないとなると、それはもう退屈な毎日を過ごすしかなかった。
そんなある朝、母上からお茶会への強制参加を言い渡された。トラザイドの王太子への招待だと言われれば嫌だと言う言葉は飲み込むしかない。
どこかの着飾った子女とのお茶会など、まだまだ私には退屈なだけ。それなら木陰で本でも読んでいた方がマシだが、そうはいかない。
それでも出来るだけギリギリまで隠れていようと、滞在先の離宮裏庭の生け垣の陰で、ふてくされていた。
そこで、彼女たちを見つけたのだ。
全く同じ顔、同じ髪、同じドレスの女の子が二人、向かい合っている。
つぶらな青い瞳に金色の髪がさらさらとなびく。白い肌にぷっくりとしたピンクの唇が可愛らしいと思った。
そんなまるで一対の人形の様な彼女たちだが、薄い黄色のドレスの足下だけが違っている。
そうしてその内の一人がとても楽しげに笑いながら白い何かをもう一人へと投げつけた。
靴……?
確かに笑っていない方の子は靴を履いていないように見えるけど、まさかそんな?という気持ちもあって、黙ったままその場で息を呑んだ。
つま先が潰され汚れたその靴は投げつけられた子の目の前で痛々しげに転がっていた。
投げつけた方は相変わらず可愛らしい顔をニコニコとさせて目の前の子を見ている。
ここだけ切り取れば、なくした靴を見つけてあげた女の子と助けられた女の子に見えるかもしれない。
けれども私は知っている。無邪気に笑うその女の子の瞳の中に垣間見えた愉悦の光を。
そして歪めた唇をキッと引き締め、泣き出しそうになるのを一瞬で切り替えたその力強い瞳を持つ女の子の姿を。
靴を履いていない女の子が、それ以上何も言わないことに面白くないとでも思ったかのように、もう一人はドレスの裾を翻して去っていった。
軽やかに、見る者全てを惹きつけるような笑顔をたたえながら。
その姿が見えなくなるまで待って生け垣から這いだすと、その女の子は靴を手に取り、一生懸命なんとか履こうとしていたところだった。
「ねえ、大丈夫?」
「うん。気にしないで」
突然声をかけた私に驚くこともなく、いつものことだからと言わんばかりに答えながら、靴のリボンと格闘している。
王太子として育ってきた私は、こんなふうに扱われることは慣れていなかったから、あまりの無視っぷりに少しムッとした。
それでもやっぱり、彼女の気をなんとか引きたくて続けて声をかけた。
「あの子、酷いね」
「見てたの?」
関心を引こうとして逆効果だったのに気がつく。
彼女の何気ない一言に、自分が何もせずにただ傍観していただけだったと思い知らされたのだ。「ゴメンね」と、素直に謝る。
「なんとなく声をかけれなくって、その……二人とも同じ顔してるから、どっちがどっちなのかなって」
「ああ、そうね」
全然変わることのない抑揚のない返事にうなだれそうになる。
どうしたら、さっきのような強く光る瞳を見ることが出来るのだろうか?深い青の中に輝くような瞳は、本当に綺麗でとてもドキドキした。
そんなことを考えている間にも、彼女はずっと汚れた靴をなんとかしようとしている。頑張ってリボンを結ぼうとしているようだったが、明らかに長さが足りていない。
だったら私が彼女に出来ることがあるじゃないかと、胸元のリボンタイを急いで外した。
「少しだけ足触るけど、許して」
そう言葉をかけてから、彼女の足下に屈みこみ壊れた靴を引っ掛けた足にリボンタイを巻き付ける。
「え……あの?」
私のその行動に驚いた彼女が何かを伝えようとしたところを押し通してそのまま続けた。
彼女も恥ずかしいと思うが、このままでは歩くにも大変だろうし、綺麗な足がこれ以上汚れるのも面白くない。
靴の踵とくるぶしに通してリボンを結べばどうにか形になったようだ。
「どうかな?」
そう尋ねれば、つま先をとんとんと軽く叩いて確認した。その様子に、なんとかさっきの失言は挽回出来ただろうかと思い、頭をあげたところで初めて彼女と目があった。
私のことを誰だろうと、じっと見つめてきたが、値踏みされているような嫌な感じはしない。
「よかった、大丈夫そうで」
にやけそうになる口元を引き締め、出来るだけ自然になるようにと声をかける。
すると彼女は私の胸元を見てその足下を縛るリボンが何か察したようだ。
「その、もしかして、そこに?」
「気にしないでいい。私が勝手にしたことだから」
「でも……」
申し訳なさそうにもじもじとする彼女も可愛らしい。いじめられていた時に見せた強い光も良かったが、こんなふうに少し頼りなさそうな感じもいいと思う。
このままで離れたくないと、つい強引に彼女の手首を掴んだ。
「じゃあ、内緒で新しいタイを取りに戻ろう」
「えっ!?」
そうして着替えのある離宮の方へと向かう。
途中、あの、と戸惑う声が聞こえたが、止まりたくはなかった。足を止めてしまったら、彼女が離れて行ってしまうかと思って怖かったのだ。
もう少し、もう少しだけでも一緒にいたい。出来れば私のことを知って欲しいと考えていると、そんな図々しい願いが天に届いた。
「あのっ、お名前は?」
後ろからよく通る声が聞こえたのだ。
思わず足を止めて振り向けば、頬を軽く赤らめた彼女の姿が見てとれた。可愛い。
でも、多分私の方がもっと赤く熱を持っているだろう。なにせ彼女が私の名前を尋ねてくれた、その事実だけで舞い上がってしまったのだ。
「アクィラ、そう呼んで」
目一杯格好をつけて、でも自分でも呆れるほど胸をドキドキとさせながら伝える。
「アクィラ……様?」
オウム返しのように呼ばれただけでも胸がぎゅっと掴まれた。
うん、と答えてから、掴んでいた彼女の手首を離し、その代わりに両手をまとめてぎゅっと握り直した。
「君の名前も教えて欲しい」
ゆっくりと、そう伝えると、彼女は微笑んだ。
そうして、ほんの少しだけイタズラそうに目を輝かせると、そのピンクの唇を動かして、言った--




