あー無情
「あの……それは一体?」
「嫌、か?」
アクィラ殿下のその声に反応するように、ちらりとヨゼフの方を覗き見ると、それはそれは苦々しい顔をしていた。
私にはわかる。あれは発言出来る立場だったら絶対に『ノー』と噛みついているはずだ。
けれど最初にこの話は決定事項だと言われたのだから、否も応も無い。
一瞬だけ、たった一人の騎士を連れていかれるとかないわー。これって私への嫌がらせ?
そう思ってしまったが、アクィラ殿下のこちらの様子をうかがうような尋ね方をみていると、どうもそうではないらしい。
第一、一週間と期間も限定だし、殿下の従者であるカリーゴ様を代わりにと言ってくれたのだから、これが不当な話でもないのは一目瞭然だ。
ただそれでもヨゼフはモンシラ公国から付いてきてくれた、私の大事な騎士なのだ。
それを借り受けるといわれても、はいそうですか、どうぞどうぞと差し出すのも何か違う。だからせめて理由を聞きたいと思った。
「その……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?私にとってヨゼフは、ただの護衛騎士という訳でもありませんので」
ボスバ語の先生でもあるしね。まあ最終的には頷くしかないとは思っているけど、そこはきっちりと言っておくべきだ。
軽く頭を下げてお願いした後、アクィラ殿下の表情を窺えば、薄―い笑顔を浮かべているものの、眉間に皺が寄っている。
あれ、怒ってる?……何か間違えた?言葉遣いが悪いとは思わないんだけど、おかしいなあ。
殿下とカリーゴ様の向こう側で、片付けをほっぽり出してこっちを覗いているミヨと目が合う。
ちょっと、助けてくれないかなーと首を小さく傾げると、無情にも『ガンバッ!』とファイティングポーズの格好をとられた。
後で絶対にシメてやると心に決めてから、もう一度アクィラ殿下に向かい尋ねた。
「もし差し支えなければ教えていただけるとありがたいのですが」
私の二度目のお願いに、アクィラ殿下は椅子の背もたれに寄りかかると、仕方がないといった風情をばりばり醸しだしながら教えてくれた。
「大変急な話だが、私は今からでもすぐにボスバ領へいかねばならない用事が出来た。その随従をヨゼフに頼みたい」
「ボスバ領ですか……」
「そうだ。彼の故郷だろう?言葉もわかるし、領内も見知った者が多いはずだ」
確かにヨゼフはボスバ領の出身だし、しかもこの間聞いたところによると、元王族といった立場でもある。ボスバの民はよそ者を酷く嫌うらしいから、お供に連れて行くとなるとこれ以上の適任はいないはずだ。
それに私としてもヨゼフのそんな育ってきた環境を聞いてしまったら、せっかく縁あってトラザイドまで来たのだから、一度くらいボスバに戻ってみてもいいんじゃないかと考え始めていた。
けどなー、ヨゼフ自身が行きたくなさそうだったんだよね、ボスバ領。
彼はこの話を聞いてどう思っているだろうかと、もう一度私の後ろに立つヨゼフの方を振り返る。今度はきっちりと目を合わせて、と思ったが必要なかった。
眉間の皺がいつもの五倍増しで深く刻まれた上に、わざと開けてるだろうってくらい、ぎりぎりと歯ぎしりを見せつけている。てか、目が怖いぃっ!
ヤバいものを見てしまった。
慌ててアクィラ殿下の方へと視線を向けると、こっちはこっちでそれはそれは静かな冷気を発している。笑っているのに、笑顔が怖い。
いやぁああ!なにこれ、前門の虎後門の狼ってやつ!?待って、私、何にもしてないっ!
なのに何で、こんな地雷原の真ん中に立たされている状況なの?
泳ぎまくる目をなんとか溺れさせないようにと気持ちを落ち着かせて、ゆっくりとアクィラ殿下の後ろへと視線を移す。
ハンナの姿は、見えない。ミヨはー……ダメだあいつは、ファイティングポーズがシャドウボクシングに変わってる。
仕方がない、最後の希望にと、さっきから一言も発していないカリーゴ様に照準を合わせて、タ・ス・ケ・テのサインを送ってみた。けど、見て見ぬふりをされた。
ちょ、人でなしか、お前ら――っ!
ぷるぷると体が震え出したのは、恐怖なのか怒りなのかちょっとわからない。でもこれはもう自分で対処するしか道はないよね、そう諦めたところでなんか猛禽類の趾にがっつり掴まれた。
違う、アクィラ殿下の手の平が、私の左手を掴んだのだった。
えーと……すみませんが、これはどういった理由でしょう。
ヒクっと頬を引きつらせながらアクィラ殿下の顔色を窺う。すると意外にも怒りの色は見えなかった。
「最初にも言ったが、これは決定事項だ」
デスヨネー。わかってます、ですので手を……
「嫌なのはお互い様なのだから、少しは我慢をしろ。早く出発して用を済ませばそれだけ早く帰れる。一時間後に出発だ」
そうして射るような視線を向けてヨゼフへと言い放った。
あ、殿下の方も嫌なのか。それなのに連れて行くということは、よほど何か意図があるに違いない。なんて考えていると、めちゃくちゃ大きい舌打ちが後ろから聞こえた。一応それがヨゼフなりの返事なのだろう。
それを聞き取ったアクィラ殿下は、その指先で私の手を優しく撫でるようにしてから離れた。
その仕草に何故か心臓がとくんと跳ねた。
そうして、わかったなと一言伝えると、あっという間に部屋から立ち去っていく。
なんというか、こうしてみてみると本当は忙しい人なのだなあと思う。
私が覚醒してからというもの、二日に一度くらいの頻度で短い時間でも会っていたので、今までは感じたことはなかった。しかしよく考えればいつも移動中だったり、時間を見つけてだったりと、だいたいその登場は突然だったような気がする。
そうか、アクィラ殿下とは一週間は会えないのか。そうと思うと、不思議なくらい『淋しい』という感情の芽生えを覚えはじめた。




