カリーゴ~そして僕は思索に暮れる~
「なんだって?」
たった今伝えられた報告に僕は耳を疑った。
この度の結婚の儀における、メリリッサ第一公女殿下の居住区に関しては、入念に準備をしてきたのだ。
王宮の敷地は広い。その内とはいえ一番端であり、周りは林に囲まれ出入りはその林の中の獣道のような一本と、王都内をぐるりと迂回した場所にしか出入りする術がないそこは、まさしく陸の孤島と呼んでも差し支えの無い場所だった。
そもそもそんな場所に、王太子妃となる公女殿下の離宮を建てるということが間違っていると思うのだが、アクィラ殿下は散々忠告を受けつつも、この場所に建てるということ以外は頑として受け付けなかった。
一応最高級の素材を使い、一流の建築家が受け持ってくれはした。しかしこんな人目に触れない場所に建てられる離宮を不満に思っているのもわかっていたから、出来る限り顔を立てるように相当おべっかも使った。
それもこれも全てアクィラ殿下からの指示だったからだ。
しかし、それをその本人がぶち壊したというのだから、僕がこうして伝令に驚き疑いの言葉をかけても仕方がないだろう。
最終チェックの為に訪れていた離宮だが、先ほどの話が本当なら、これ以上僕がここでやるべきことはない。それでも一応ということがあるので他の者たちに後を頼む。
あの馬鹿野郎め!ことによってはぶん殴ってやる。
そうやって息巻く勢いのまま馬の腹を蹴飛ばさないように、一息ついてから愛馬にまたがった。
***
「帰ったか、カリーゴ」
僕がアクィラ殿下の執務室へとノックもそこそこに入り込むと、書類から顔を上げいつもと変わらない声で言い放つ。
一応周りに他の人間がいないことを確認してからそれに答えるように僕は馬上で考えた言葉を投げつけた。
「お前、いい加減にしろよ!あと半月だろうが、一体今になって何考えているんだ?」
あんな場所に王太子妃を住まわせる気かと、あれだけ周りから諫められた時には柳に風みたいに流しておいて、いざ婚約者であるメリリッサ公女殿下がやってくるまでに残り半月となったところでの、急な方向転換の真意が知りたい。
しかも、よりにもよって、何故今なんだ?
「何を?ああ、彼女の居住区のことか。先ほど連絡した通りだ。とりあえず離宮を使う予定はなくなった。あちらは放っておいていいから、こちらの仕事を優先させろ」
「どうして?お前、そんな説明だけで、『はいそうですか、殿下』なんて言えるかっ!離宮に、僕が、どれだけの時間と金と気苦労を費やしたと思ってるんだ。馬鹿なのか?馬鹿だな、お前は?」
一気に捲し立てて息が切れる。いや、切れたのはもっと他の何かかも知れない。
彼に近侍することになってから、ここ三年ほどアクィラには直接ぶつけなかった『お前』だの『馬鹿』だのをふんだんに盛り込んでいた。
「噂通り、悪公女だったんだろ?だったら丁度良かったじゃないか。儀式だけ済ませて後は放っておいても、モンシラだって何も言って来られない。それこそお前が望んで僕に頼んだ……」
「カリーゴ」
「なんだっ」
「お前、『私』が『僕』になっているぞ。直したんじゃなかったのか?」
んなこと、どうでもいいわーーっ!
大体、お前がふざけたことを言い出すから頭がこんがらがってんだよ。
それに、対外的には『私』を使っているが頭ん中じゃあ相変わらず『僕』だ、こん畜生!
こめかみに血管が浮き出しているのがわかったが、表情は極めて平静を保ち、あらためてアクィラ殿下へと向かい合った。
「申し訳ありません、殿下。それでは、離宮は当分使用しないということでよろしいのですね。では、メリリッサ公女殿下には一番西の棟を使っていただくようにいたしましょう」
西棟は、王宮の中でも少し老朽化が進んでいるため、今は特に使用されていない。あそこならば、他のものをいちいち動かす必要もないだろう。
「そうだな。……それと念のため、一番端の部屋に浴槽を設置してやってくれ」
「わかりました。他に何かございますか?」
浴槽はともかく、お湯が届くように配管の設置はすぐにでも手配しなければならない。ここから出てすぐにやることリストを頭に書き込んだ。
「いや、それだけだ。頼むぞ、カリーゴ」
「それでは失礼します……じゃねえよ!で?僕が手配に出る前に、今すぐ答えろ。何で、気が変わったんだ?」
意地でも聞き出してやると、素に戻って尋ねると、アクィラ殿下は諦めたように両手を上に上げた。そうして何かをかみしめるように呟いた。
「他人から見ると可哀想に見える方が私だから」
「は?」
「そう言った彼女の言葉を思い出した」
「いや、しかしそれは、自業自得ってやつじゃ……」
メリリッサ公女殿下の悪評は、悪因悪果だ。伝え聞いた話では、そもそもが身から出た錆のようなものじゃなかったかと言い返す。しかし、アクィラ殿下も黙ってはいなかった。
「客観的に見て、今、不幸に見えるのはどっちだ?」
縋るような瞳に何も言うことができない。
初恋の相手を虐めていた姉の方を婚約者にと決められて、それでも国の為だと黙って受け入れた彼だけに、拗らせぶりは半端なかった。
敢えて言葉にしたことはなかったが、第三王子までいるのだから後継者は自分の子でなくてもいいとまで思っている節がある。
けれど、万が一アクィラ殿下の言う通りだとしたら?ふっと希望が胸を素通りする。
それはもしかして……口から零れ落ちそうになった言葉を飲み込んだ。
ありえない期待を言葉にして叶わなかった場合、期待する前よりもずっとずっと悲しい思いをするものだから。
だから僕は考える。
僕の主でありながら、友人でもある彼の為に何が出来るのか。そうしてようやく一言だけ絞り出した言葉は、なんてことないとても普通のありふれた言葉。
「だったら、いいな」
「ああ、そうなら、な」
***
その時のアクィラ殿下の表情はとても複雑なものだったのを覚えている。しかしそれ以降、見事に王太子の仮面を被りきった彼の表情はいつもと変わることはなかった。
公女殿下がトラザイドにやってきた対面の時も、自殺未遂の報の時も。だからきっと違ったのだ。彼の勘違いだったのだと。
だからこそあの歓迎のパーティーの後、メリリッサ公女殿下の部屋へ訪問した帰り、彼が落とした爆弾の威力はとてつもなかった。
「彼女だ」
そう、目元を緩ませ、歌うように語る友人の顔を初めて見た僕は、逆に妙に冷静になった。
「それは殿下の印象だけでしょう?」
大体、メリリッサ公女殿下は自殺未遂の前の記憶がないと、教えてくれたのは殿下ではないか。公女殿下自身が知らないことを、何故アクィラ殿下がわかるのかと鼻白んだ。
「証拠を見つけた。間違いないよ、彼女は、私の――」
なるほど、どうりであっさりとリーディエナの香水を渡した訳だ。それだけアクィラ殿下の喜びが大きいのだろう。
嬉しそうに笑う顔を久々に見たなと思うよりも、職業柄今後のことが色々と大変そうだと考えてしまった。
何せ、初めから政略結婚の意味合いが深く、アクィラ殿下がメリリッサ公女殿下を形だけの正妃にするつもりなのが目に見えていたから、愛妾候補が軒に並んで待っている状態だったのだ。勿論アクィラ殿下にその気はなかったが、そんなもの順番待ちの輩には関係ない。
あれを全部断りいれるのか、面倒くせぇー……そう明日の仕事のことを考えぐったりする。
初恋の人と添い遂げられると、目に見えて浮つくアクィラ殿下の頭をひっぱたきたくなる衝動に駆られながら、真夜中に僕はゆっくりと思索を巡らせた。




