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アリララ~完璧の母~

 今しがたまで読んでいた手紙にもう一度だけ目を落とすと、わたくしは静かに息を吐いた。それから小さく畳んだそれを、陶器で出来た灰皿の中に落とす。

 ゆっくりとマッチに火をつけてから、テーブルの上に置いてあった煙管を手に取りその火皿を炙る。そうして一瞬だけ戸惑ったが、やはりそうすべきだなのだと、その火のついたままのマッチを灰皿の上に置いた。


 瞬間、その紙からじわっと青い炎がたったかと思うと、オレンジがそれを侵食しやがて黒く染めていく。

 白から黒に変わっていく様は見ていてあまり気持ちのいいものではない。まるで自分の身の内の様だと思った。


 その手紙を書いて送って来たのは第二公女。

 そして、それを受け取ったわたくしこそ、彼女の母親であるモンシラ公国大公妃、アリララだ。


 優美な曲線を描くが、大して座り心地もよくない椅子に座り、手の中の煙管の吸い口を寄せる。

 これもこの国へ嫁いでから夫である大公に教えてもらったものだった。彼から教えてもらい、たった一つだけ気に入ったもの。


 遊興を好む、モンシラ公国大公バリオ三世殿下は、正妃であるわたくしにも自分と同じように興じることを好んだ。最初の頃こそ、それも妻の務めと思い彼に従い、楽しんでいるフリもした。

 だがそれも、どうにも性に合わなく次第に遠のいていく。それと同時に大公殿下のわたくしへの興味も薄れていくのがわかったが仕方がないであろう。

 今彼には公邸外に三人の愛人がおり、わたくしに隠しているつもりなのだろうけれども、その内の一人には六歳になる男子も生まれているのを知っている。


 元々何もかもが大公殿下とわたくしとでは違い過ぎたのだ。

 あっていたのは国の規模としてだけで、その成り立ちから、在り方まで、何一つ重なることがなかった。


 商人国家と揶揄されるほどの国、ユレイシア王国の王女であったわたくしを正妃にと望んだのは、今は亡き先の大公殿下であった。

 百八十年ほど前とある王国の一公爵領から偶然独立したこの国は、今もなお偶々国としての体を成しているに過ぎない。

 それに若き頃から警鐘を鳴らし続けはしたが、生来の貴族的考えから抜け出せなかった先代大公が、最後の一手として打ったのが王太子殿下とわたくしとの婚姻だったのだ。


 あれから二十三年。最近になって色々あったなと振り返る時間がとても増えたことに気が付く。

 たった今もそうだ。この手紙を読んでつい昔を思い出してしまった。


 まだわたくしも若く、この国を当時は公太子であった殿下を支え発展させていくのだという希望に満ち溢れていた。

 ユレイシアより連れてきた供の者にも無理のない範囲でそれなりの地位に付け、ゆっくりでもいいから国力を上げていくのだと――


『見て!ほらあんなに美しい国なのよ。わたくし、きっと、もっと、素晴らしい国にしてみせるわ』

姫様(ひいさま)、もう少し大人しくなさいませ。我がユレイシアとは違い、貴族的作法には大層うるさいお国柄なのですから』

『はっ!気にすんな、ルーク。姫様(ひいさま)はそれでこそ姫様(ひいさま)だ。いちいち染まる必要はないじゃねえか』


 結婚のための移動中での休憩時、モンシラの国境近くの丘で、わたくしの従者と騎士に力いっぱい語ったことを思い出す。

 生真面目なルークは、私がモンシラでの生活に慣れることができるのだろうか、経済の立て直しをどうすべきか、ともかくその二つで頭がいっぱいだったのだろう。何を言っても、小言が出てきて少し鬱陶しかった。

 それとは反対に、小さな頃からわたくしをけしかける騎士のセルビオはなんでもかんでも適当過ぎて、それはそれで腹も立った。


 だが、やはり二人ともわたくしの大事な従者と騎士だったのだ。モンシラの公太子妃となる前の、ユレイシア王女アリララ最後の思い出として、あの日のことはいつまでも色あせることはないだろう。


 そうして結婚後すぐに亡くなってしまった先代大公に変わり、大公になられた殿下の元で、少なくとも最初の危機であった二十年前も、トラザイドとの共通貨幣実施とスメリル鉱山の発掘作業提携という名の資金援助で乗り切った。

 八年前の鉱山発掘中の大規模な崩落事故という絶望的状況からも、それまでの海外投資が実を結んだお陰で新たなる有用な鉱山資源の発掘に至った。

 それもこれも、わたくしとの結婚後からきっちりと整え直した国内の銀行業務と経済改革が上手くいったからだ。騎士の統率がとれ、対外的にも牽制が出来ているのも大きかった。


 けれども、それと同時にそんなわたくしたちの血の滲むような努力など、全く意に介さない、旨い汁だけを吸い続ける寄生虫もぶくぶくと太り続ける。

 自分の足で歩くわけでもなく、ただただ権利を寄こせとわめきたてるだけの虫たち。


「大公妃殿下、晩餐のお時間でございます」

「そう、では着替えの用意を」


 ノックの音に入室を許可すれば、侍女頭のレイサが恭しくわたくしへと礼をする。

 一瞬灰皿へ目をやるが、先ほどの手紙は既に燃え尽きてしまったから何があったのかはわからないだろう。せいぜい、煙管の吸い過ぎだと思われる程度だ。

 背中に立ち、ドレスのホックを外し始めたレイサへと声をかけた。


「先ほどリリコット(・・・・・)から手紙が届いたわ。ガランドーダで肩身が狭いらしいのよ。あちらは大国ですからね、色々とかかる費用も大きいらしいわ。早速お金を送る手配をしないとね」


 レイサはメリリッサとリリコットの乳母であり、二人の娘もまた彼女たちの侍女としてそれぞれ付いていっているから、心配は心配なのだと思う。わたくしのその言葉に、少しほっとしたような顔で「承知いたしました。ではのちほど外務大臣をお呼びいたします」と口にした。


 何故、財務大臣ではなく、外務大臣なのか。そんなことはわかりきっている、虫のせいだ。

 しかし敢えてそこは口にしない。後もう少し、もう少し待たなければならない。


 わたくしは全てを払いきれない虫ならば、せめてあの可愛い娘にまでその毒牙が及ばないようにと祈り、晩餐用のドレスに身を包み自室を後にした。

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