ハッピーエンド?
厳かな大聖堂に華やかな正装姿の来賓や貴族たちが並び終わると、聖司教様が聖杖と聖杯を手に祭壇へと現れる。
すでに今日の主役である私たち二人が祭壇の前に立っているのだけれども、聖司教様は全く気にした素振りもせずに、にこやかな笑顔を浮かべて儀式を執り行い始めた。
案の定、私の名前が告げられた時ざわめきが起こりかけたが、聖司教様の深く響き通る声で祝福を伝えられると、次第にそれは治まっていった。
大聖堂での誓いの儀が一つ、また一つと進められていく。胸の奥がじわりじわりと熱くなり、目頭までその熱が上がってきてしまう。
まだ泣いてはダメ。きちんとしなければと拳をぎゅっと握って耐えていると、隣に立つアクィラ殿下から、力を抜いてと優しく囁かれた。
大丈夫、わかっている。でも、どうしてもダメ。
込みあげるこの想いが一つでも零れ落ちてしまったら、この幸せ全てが泡になって消えてしまいそうで怖いから。だから儀式の最後までは絶対に我慢するの。
きゅっと唇を引き結び、聖司教様の言葉に耳を傾ける。いよいよ最後の署名になり、銀のトレーに載せられた婚姻の宣誓書とスメリル鉱山の権利書、そしてアクィラ殿下の出生証明書が現れた。
「君の証明書もここへ」
「……あ、え?待って、私……」
メリリッサの出生証明書はお母様が引き裂いてしまった。
けれども私のそれはどこにあるのか全く知らない。てっきりお母様が持ってきてくれたのだと思っていたのだけれども、まさかメリリッサのものしかなかったのだろうか?
「リリー、君に確かに預けた、と。昨夜の会見で、コザック男爵がそう言っていたが?」
コザック男爵……ミヨ……ファルシーファ様、あ!順ぐりに頭の中で思い浮かべ、今私がここに持ってきているものといえば、あれしかないと気がつく。
懐剣を支えるベルトに装飾品のようにつけられた織物の中にある、あのラゼロ辺境伯の秘術というお守りだ。
急ぎ手に取ってみてから、はて?と一瞬考える。
いやあれ全く読むことの出来ない文字で書いてあったような気がするけど大丈夫なの?少し心配になりながら、そののし袋に手を入れた、が――
「…………ない」
え、嘘っ!?入っていない……確かに、あの暗号のような紙をのし袋にいれたところを見たはずなのに……
まさかこの最後の最後まできて、こんなどんでん返しのような出来事が起こるとは思わなかった。
いやいや、ダメだ。こんなことありえない。もう一度、きっちりと確かめようとのし袋の中を覗き込む。けれどもやはり中は空っぽだ。
どうしよう……頭がパニックになる一歩手前で、のし袋のその内側に何か文字が書かれている。
ええと、こののし袋は、私が作ってミヨにあげたものをベースに作ってルカリーオ商会で売り出そうとしていると聞いたっけ。だとしたら、私が作ったものと同じ様に、紙一枚を折って作っているはず。
そう思い、丁寧に折を戻していくとそこには、『モンシラ公国 第一公女 リリコット・カシュケール』の文字が間違いなく記帳されていた。
「よかった……」
無意識の内に安堵の声を漏らし、アクィラ殿下へと顔を向ける。するとなぜか殿下は眉間に皺を寄せていた。なんだろう?
「アクィラ殿下?あの、ありましたが……」
「あ、ああ。ではその上に置いて、婚姻証明書へサインをしよう」
私の疑問はさらっとかわされて、いつもの笑顔に戻る。
まず先にアクィラ殿下がペンを持ち、一文字ずつその名前が綴られていく。次に私がその横へ、リリコット・カシュケールの名前を書き込んでいった。
最後の一文字が宣誓書の上に写しとられると、聖司教様が婚姻の成立を高らかに宣言し、あらためて祝福の言葉を下さった。
とうとう、この時がきたのだ。
リリコットとして目覚め、じょじょに戻る記憶とともに、昔よりもずっとずっと好きになっていたアクィラ殿下との結婚の儀……
嬉しい、と。心が、体が、私の全てが震えている。ああ、もうこれで我慢なんてしなくてもいい。
ぽろりと目頭から零れた涙が頬を伝う。そういえば、記憶を戻してから涙を流すことなどなかったのに、今日だけでも数えることが出来ないくらいに込みあげてくるものを我慢し、そして結局二回も泣いてしまった。
けれどもこんな嬉し涙なら、何度あってもいい。
涙が流れ落ちる両頬に、ふわっとした優しい温かさを感じた。アクィラ殿下の両手が私の頬を包み込んでいる。
「リリー、これで君は私と一生離れられないな」
「離れるつもりなんてありません。ずっと、一緒にいてくれるのでしょう?」
もちろん、と唇が形作るのを見届けてから軽く目を閉じた。
そうしてアクィラ殿下が私に誓いのキスを落とすと、大聖堂の美しいステンドグラスが震えるほどの歓声に包まれた。
そのままたくさんの祝福の声を浴びながら王都へのパレードへと出発する。大聖堂の扉の前に止められていたゴージャスな馬車に、アクィラ殿下のエスコートのもとに乗り込むと、木々が生い茂る日陰の下に見覚えのある侍女服が見てとれた。
あれは……ハンナとミヨ。
本来儀式に参加できない二人だけれども、こっそりと私たちを覗きにきてくれたようだ。
モンシラから私に付いてきてくれて、ずっと面倒を見続けてくれていたにも関わらず、この姿を見せることができないことを残念に思っていたが、少しでも見てもらえてよかった。
そんな私の視線に気がついたハンナが静かに頭を下げる。ミヨはグッと親指を立て笑っている。
その瞬間、なぜか言い表しようのない違和感が頭の隅っこを走り抜けた。なんだろう、この落ち着かない気持ちは……もぞもぞとし出した私の肩にアクィラ殿下がそっと手を置いた。
「さあ、にこやかに笑って、リリー。新しい王太子妃をトラザイドの民に見せびらかしてやろう」
「まあ、アクィラ殿下!見せびらかす、だなんて」
アクィラ殿下のその声に、すっかりと意識がパレードへと移ってしまう。
気が付けば馬に乗ったたくさんの騎士が私たちの馬車の周りを固めている。
彼らの片手に持ったラッパが高らかに鳴り響くと、豪奢な幌のない馬車が音もなく滑り出し王宮の門をくぐった。
初めて体験するパレードに浮かれる私は、ついついその違和感を胸の奥に仕舞いこみ、何もなかったように笑顔で沿道に立って待つ国民へ手を振り出した。




