花
メリリッサの声が枯れ、ただの人形のよう動かなくなると、パッサー騎士の指示により数名の騎士が大聖堂の中へと入室して来た。
それと同時に顔を腫らしたノバリエス元外交官が強引に立たされ、気が付けば床に溜まった鼻血もきれいさっぱりと拭いとられている。
騎士の内の一人がメリリッサの腕を取ろうとしたところ、側にいたロックス殿下がそれを制し自らの手で彼女を立たせた。
焦点の合わない目でふらふらと揺れるメリリッサの肩を抱き、ゆっくりと騎士の後をついて歩くロックス様。こぢんまりと設えられた裏口のような扉をくぐる前に、一度だけ私の方へ振り返り小さく礼をするとそのまま黙って出て行ってしまわれた。
これから公女としての身分をなくしたメリリッサが、ガランドーダへと向かったとしてもどうなるのかは私にはわからない。
ロックス様はなんとかメリリッサを受け入れてくれるような様子を見せてはくれたものの、大国の王は、立場も、金の生る権利もなくした小さな公国の元公女の価値をどうとるか……
「リリー」
立ち尽くしながら考え込んでいた私の横から、アクィラ殿下が私の顔を心配そうに覗きこんでいる。大丈夫か?そう瞳でうかがっているのがわかる。
お父様が亡くなったと聞いた時はとても驚いたし、胸も痛んだ。
お母様は、お父様が私とメリリッサの区別がつかなくなっていたと言っていたけれども、確かに娘としての愛情を感じていた記憶が、ちゃんとリリコットの中にも存在していた。
しかし、あのままでは私だけが泥を被って済むということにはならずに、近いうちに必ずトラザイドに大きな爪痕を残すことになっただろう。
お母様が決断しなければ、モンシラすらこの世界の地図から消えてなくなっていてもおかしくなかったのだ。
こくんと、一つ頷いてから顔を上げる。
「アクィラ殿下は、先ほどの……お父様の話は、すでにお聞き及びでしたのでしょうか?」
あの場では私たち姉妹だけが目を見開き驚いていた。けれども、この大聖堂にいた他の方々には全くといっていいほど驚きの表情が見られなかったのを思い出す。
「ああ、昨日になってノバリエスが、君の姉のことをリリーだと信じていることを知らされた。更にモンシラに探りを入れている間者から、大公殿下が崩御したらしいとの連絡がこちらにも入った為、その話を土産にして夜のうちに大公妃との会談を調えることができたよ」
「そう、なのですね」
「そこでようやく一連の話を聞かせてもらった。その上で国王、宰相、他そこにいる重鎮たちに慌てて話をつけに行き、今日にこの場をなんとか作った。リリーの正当性を証明するためには、彼らの証言があれば完璧だろう」
そう言うアクィラ殿下の目元をよく見れば、少しだけれどもクマがうっすらとのっている。緊張しすぎていたせいか、ちゃんと彼を見ていなかった自分が嫌になる。
アクィラ殿下は私がメリリッサやお母様と本音で対決する場を作るために、寝る間を惜しんで調整してくれたのだ。
手のひらをアクィラ殿下の頬に添える。
「ありがとうございます、アクィラ殿下。随分と無理をなされたのでしょう?」
「は、大したことはない。それに……」
「それに?」
急にいたずら顔になったアクィラ殿下が、頬に置いた私の手の上に自分の手をのせて掴み、額をこつんと合わせて呟いた。
「全てが終われば、夜には離宮で温泉だ。ゆっくり休むのはそれからでいい」
「な……な、アクィラ殿下っ!」
その言葉の深い意味に気がつき、慌てて離れようとしたけれども、手の平だけでなく知らない間にがっちりと腰も掴まれていたために、全く逃れることが出来ない。
笑うアクィラ殿下から視線だけでも外そうとすると、側に近づいてきていた国王陛下やお母様の姿を見つけた。
「へ、陛下……!ちょっと、殿下、離して、くださいっ」
押しのけるように力を込めてなんとかアクィラ殿下を引き離し、国王陛下夫妻、お母様、そして居並ぶ重鎮の方々へと深々と頭を下げた。
淑女として相応しくはないのかもしれないけれど、私たち姉妹の非礼をどうしても謝罪したかったのだ。
「この度は……」
背筋を伸ばし、そう謝罪の言葉を口にした時、国王陛下からストップがかかった。
「ああ、構わん。予定通り、スメリル鉱山の権利書を有したモンシラの第一公女が我が国の王太子の下に嫁ぎ、両国の友好関係は保たれる。害なす虫どもは駆除されたよし、なんら問題はない。なあ、そうであろう?モンシラの新摂政殿よ」
「ええ、その通りでございます。この婚儀の成立により、さらなる関係の発展を進めることをお約束いたしますわ」
「ならば早く婚儀を進めることとしよう。そこの我が息子も、随分と焦れているようだ」
両国のトップが、さらりと交わし合う約束が耳に届く。
国王陛下の態度は初めて会ったパーティーの時と同様に鷹揚なものだが、その声は思っていたよりも優しく私に向けてくれた。周りに立つ重鎮の方々も皆、陛下の言葉に賛同の意をしめしてくれている。
「だから言っただろう?絶対に大丈夫だと。なあ、私のリリー」
隣に立つアクィラ殿下が私の肩に手を置いてぐっと自分の方へと抱き寄せた。
メリリッサやお父様のことを考えると、完全に気持ちが晴れたわけではない。
それでもこうして私にとって全てが良い方にまわり出し、アクィラ殿下と祝福されて夫婦になれるということを思うと胸が熱くなる。
「はい」
そう素直に返事をすると、国王陛下の隣、お母様と話をしていた王妃殿下がにこやかに笑いかけてきた。
「本当によかったこと。アクィラの初恋がめでたく叶ったようで安心したわ」
ぐっ。いや、いくら義母になる人でも、面と向かってそう言われてしまうと少し恥ずかしい。
確かにアクィラ殿下からも、あの日からずっと好きだったと告白はしてもらっていたけれども、それって王妃殿下にもバレていたのね。なんとなくいたたまれない気分だ。
「十年前、あれだけ脅した張本人が何を言っているんですか」
少し憮然とした表情のアクィラ殿下が王妃殿下へとそう言い返す。
……ええと、十年前?そういえば、ウエディングドレスの試着の時に王妃殿下が何か言っていた覚えがあるような?
「仕方がないでしょう?あの時はアリララから、詳しくは話せないけれどもリリコットがあなたの正妃になれるかどうかわからないと言われていたのだから、下手に期待を持たせることがないようにと、少しだけ念を押しただけじゃない」
そんなこと言われたっけ?
十年前の記憶をゆっくりと掘り下げる。今ではリリコットと百合香のほとんどがリンクしてきたから、じっくりと落ち着いて考えれば大丈夫だ。
あー……と、そういえば、正妃となるには立ち振る舞いから勉強、社交、全てを完璧にこなせなければダメだというようなことをきつく言われた気がする。
それとあと一つ……そうだ!王太子妃は王妃へ、自分一人で刺繍をしたテーブルクロスを贈るのが習わしだとも。
そう、王妃殿下はとても刺繍が得意だから、よほど出来が良くなければ絶対に受け取らないとも言われた覚えがある。
けれども、私が何度メリリッサに伝えても、そんなことは聞いたことがないからと言って刺繍を始めようとはしなかった。
だから私とロックス殿下の婚約が決まった時、もうこれを最後にアクィラ殿下のことを忘れようとして、そしてメリリッサが王妃殿下より不興を買わないようにと、あの刺繍を……リーディエナの花の刺繍の入ったテーブルクロスを作り始めたのだった。
そうか。あれはミヨが言ったようにガランドーダの王妃に贈るためのものじゃない。
元々トラザイドの王妃殿下へと贈るためのものだったのだ。
「王妃殿下、アクィラ殿下……」
勢いよく顔を動かして、順番に二人へ視線を合わせると、アクィラ殿下によく似た美しい笑顔の王妃殿下と、少し苦笑いのアクィラ殿下。
「リリコット、素晴らしい刺繍だったわ。ありがとう」
本来のあるべきところに届いたリーディエナの花が、かわりに私へ幸せを運んでくれた。
ありがとう。ありがとう。それは私の言葉です。
皆に許されて祝福され、感激のあまりに涙が勝手に頬を伝う。それをそっと指先でアクィラ殿下が拭ってくれた。
「さあ、これ以上待たせれば、アクィラが勝手に誓いのキスをしてしまいそうだ。扉を開け放て。結婚の儀を執り行えよ」
国王陛下のその宣言がかかるやいなや、大聖堂の扉が全て開かれた。
すでに大聖堂の中で寄り添い合っているアクィラ殿下と私を、入室してくる国外からの来賓や国内の貴族たちが、不思議そうな顔で見ている。
予定とは違う段取りで申し訳ないとは思うけれども、仕方がない。どうせこの後、新婦の名前が変わっていることにもっと驚くだろうから、こんなことは些細なことだ。
「そういえば、さっきの話で思ったのだけれども、もしかして……王妃殿下は初めから私がリリコットだと気がついていたのかしら?」
十年前にリリコットにだけ忠告したことを、ドレスの試着の時に謝られたのだ。多分それで間違いはないだろうと、こっそりとアクィラ殿下の耳にだけに聞こえるように囁く。
「そのようだ」
「十年前に一度会っただけなのに?」
入室してくる貴族たちに愛想笑いで応えていたはずのアクィラ殿下が、くるりと私へと向きを変えた。
「最初の会見の場、私があまりにも君に釘付けだったせいで、すぐにバレた。母親と言うものは侮れないな」
そう言って、アクィラ殿下は私の頬にキスをした。
どよめく大聖堂の中、恥ずかしさよりもまさる喜びに、私はそのキスを喜んで受け入れた。




