カルマ
その言葉にはさすがにショックを受けた。
いくら見た目が瓜二つでメリリッサの擬態が上手いからといって、まさかお父様も私たちの区別がついていなかったなんて……呆ける私をアクィラ殿下が助けるように支えてくれる。
そんな私とは対照的に、一人で立ち続けているメリリッサが発作を起こしたように笑い出した。
「……お待ちください、お母様。それでは私がまるでモンシラの捨て駒のようではありませんか。いやだわ、まさか……ふ、はっ、ほほほ」
口では冗談を楽しむような言葉を吐き出しているが、その目は全く笑っていない。むしろ怒りに満ち溢れていた。
その怒りを隠すことなく笑い声にのせると、ようやく少しだけ落ち着いたようにドレスの裾を叩く。
「まあいいわ。お父様に命じられた『メリリッサの出生証明書』を持ってこられたのでしたら、どうぞそちらを提出なさって、お母様。それでこの婚姻は不成立。全ては解決するのでしょう?」
……メリリッサは何を言っているのだろうか。
この、トラザイドの大聖堂で、国王陛下夫妻や重鎮たち、その上婚約者であるアクィラ殿下の目の前で、自分はメリリッサだと大口を叩いたその口で、私をメリリッサに仕立て上げろだなんて。
あまりにも考えなしのその言い分に、抜け落ちそうになるあごを、根性でつなぎとめる。
ふざけるな。
私は……なぜか違う世界の百合香としての記憶を思い出してはいるが、確かにリリコットなのだ。
このトラザイドへ来た経緯はともかく、二度と自分を偽ることはしない。
横に立つアクィラ殿下の表情を窺えば、口を引き締め強い視線を私に送り、こくんと小さく頷いてくれた。
大丈夫、大丈夫だ。私には、アクィラ殿下が、ヨゼフが、そして優しくしてくれたみんながついている。
その気持ちに押し出されるように一歩、二歩と前にでる。そうしてゆっくりと正面へと立ち、ついにメリリッサと対峙した。
「……メリリッサ、私は今日これから、モンシラ公国第一公女、リリコット・カシュケールとしてアクィラ殿下と結婚の儀をおこないます」
「あっは、はは、バカね。今さらあなたが第一公女だからといって、このままトラザイドの王太子と無事に結婚なんて出来るとでも思っているの?」
忌々しいといった感情を全身でまとうメリリッサが悪態をつく。
「モンシラはトラザイドに対して契約を履行させるつもりがないどころか、一方的に泥を投げつけたのよ。そんな友好の意の欠片もない国の公女との婚姻など、なんの役に立つというのかしら」
だから、自分の言うことを聞きなさい。
そう吐き捨てて、祭壇の方からこちらの様子を見ている国王陛下夫妻に向かい、わざとらしく大げさに礼をしてみせた。
そうね、メリリッサ。あなたが言いたいことはわかっている。
確かにトラザイド王国を裏切ったモンシラ公国の公女との婚姻を、全て知ってしまったこの国のトップたちは許すことは出来ないだろう。
けれども――
ゆっくりと振り返れば、私の視線の先にはアクィラ殿下がいる。
美しく輝く碧眼を、優しく細めて私を待ってくれているのだ。
胸の下の懐剣に手を置いて、もう一度メリリッサへと向き直った。
「それでも、私はアクィラ殿下を信じているわ。ただのリリコットだとしても、一緒に飛ぶのだと彼と約束したの」
それが私の選んだ道だ。
そうして精一杯の笑顔をメリリッサに向けた。
一瞬、唖然とした表情に染められたメリリッサの顔色が、私の宣言が頭の中に染み入っていくと、まるで真っ白な雪に血溜まりが落ちるように赤黒く変色していく。
「ふざけるな。ふざけるな……リリコットが……私に、逆らうなんて……」
ギリギリと歯ぎしりを立て、ぶつぶつと呟くメリリッサの元に、いつの間にか近づいてきたロックス殿下が静かに声をかけた。
「もう行こう。元々我々は招かれざる客だ。君に関してはすでに父王の許しがあるのだから、悪いようにはしな……」
「うるさいっ!何が、王だ。王などが、私のために何が出来る……ああ、そうね……いいわ」
ロックス殿下の言葉を遮るように激高したかと思えば、突然にたりと笑う。
「私はこのままリリコットとしてモンシラに戻ることにします。そうしたら、すぐにトラザイドへ兵を送るわ」
「リリッ……いや、メリリッサ!君は、何を……」
「だって、そうでしょう?私の鉱山の権利書を勝手に持っていったのですもの。お父様だって、ヨクレア外務大臣だって、それにガランドーダの国王陛下も、きっとわかってくださるわ。ほほっ……うふふ」
メリリッサの肩を押さえながら、ロックス殿下が必死で止めるが、半分目がいってしまっている彼女には届かない。
まさか、私たちを騙してき続けたお父様や外務大臣の手のひらの上にのってまでして、私とアクィラ殿下の邪魔をすると言い出すだなんて。
これはもう宣戦布告と同じことだ。
流石に私たちの結婚が引き金になって戦争が起こるなど言われてしまえば、このままではいられない。
どうしたら……足もとがふらつきそうになったその時、お母様の甲高い笑い声が大聖堂中に響き渡った。
「ごめんなさいね、リリコット、メリリッサ。慶事の前だからと控えていたのだけれども、実は昨晩モンシラから早馬が届いたの」
「……はあ?」
取り繕う気もないメリリッサの声が驚くほど低く這う。
公国から早馬とはいったいなんなのだろうか。胸によぎる嫌な予感を抑えつつ、お母様の言葉を待てば、予想を大きく上回る話にとても驚かされた。
「三日前の晩餐会で、あの人……大公が、ヨクレア侯爵によって毒殺されたわ」
え?嘘……で、しょ。お父様が……外務大臣に……殺され、た?
息ができないほどの驚きに、一瞬目の前の全てが止まってしまったような錯覚に陥る。
「ヨクレア侯爵はその場で切り捨てられ、大公毒殺に関わったとされた騎士団長他、数名の貴族はそのまま牢に、そして係累貴族は全て屋敷に蟄居の上、騎士団長代理の監視下に置かれています」
お父様だけでなく、外務大臣までもがもう亡くなっているだなんて……しかも、犯人?
そんな都合の良すぎることがあるのだろうか。
まるで決められていたことのように、国王夫妻や重鎮の方々にも聞かせるようにと、淡々と説明するお母様に、ほんの少したじろぐ。
「現在は財務大臣を筆頭に国内の貴族をまとめてもらい、騎士団が治安の維持を、コザック家には民衆の様子をみてもらっています。公式には晩餐会で饗された茸毒での集団食中毒という触れを出したところ、今のところ全くといっていいほど、争いも暴動も起きていないとの報告ですわ」
「つまり、速やかな大公位の継承を行えば、なんら問題がないということでしょうか?」
アクィラ殿下がお母様の言葉を補足すると、口の端を小さく上げ頷いた。
「ええ。この後すぐにも帰国の途につき、私が摂政として……大公とテレンス伯爵家預かりの未亡人との間に産まれた公子を立てようと考えております」
……これは、間違いなく計画的なクーデターだ。
そうでなければ大公であるお父様が、その側近であるヨクレア外務大臣に毒殺されるというのがまずおかしい。
いくら大公になり替わろうという企みがあるとはいえ、それは今ではないはず。
私が両手で口を隠し、その事実に震える歯の根を抑えていると、メリリッサがふんわりとドレスの裾をひるがえし、お母様のところまで駆け寄り新たな毒を吐き出した。
「お母様!そんなどこの骨ともわからない子どもよりも、神の御心の下、正式に認められた娘である私の方が大公に相応しいでしょう?」
この期に及んで、いまだにそんなことを考え、なおかつ口に出せるメリリッサのことが真剣にわからない。
お父様がなくなったと聞き、自分が大公になれるという喜びに頬をほころばせながら笑う姿は恐ろしいほど滑稽だ。けれどもお母様はそんなメリリッサに向かいにっこりと笑顔を見せた。
「本当に?そう思う、メリリッサ?」
「勿論よ。私ならばすでに成人を迎えているのだから、摂政としてお母様にお手を煩わすようなこともしないわ」
お母様の柔らかい声に気分を良くし、私へと振り向いた。その表情は先ほどまでの憤怒は綺麗さっぱりと消え去っていた。
「ええ、いいわ。リリコットがこのままトラザイドにと言うのならば許可してあげる。だって、私はモンシラの女大公になる……え?」
トン、とお母様の手で押されたメリリッサが、足をふらつかせてぺしゃんと床に尻もちをついた。
それを見下ろすお母様が、極寒の、触れるだけでも肌が切れてしまいそうなほど冷気を纏った怒気を吐き出した。
「メリリッサ・カシュケールは、これよりモンシラ公国とは一切の関係が否定されます」
その宣言と同時に、セルビオ元騎士副団長から一つの用紙を受け取り、勢いよく両手で切り裂いていく。
バラバラにされたその紙が、大きな雪の塊のようにメリリッサに降りかかると、呆然としていたメリリッサの瞳が大きく零れ落ちそうなほどに広がった。
「あ……わ、たしの……出生、しょうめい、しょ……?」
「ガランドーダへでも、どこへでも行きなさい、ただのメリリッサ・カシュケールとして。あなたにはもう、モンシラ公国の公女として証明されるものは何一つないのよ」
お母様の無情な言葉に、声にならない悲鳴が覆いかぶさる。
尻もちをついたまま床に広がる深紅のドレスのメリリッサは、まるで血の池の中に沈み込むようにも見える。
そしてそれは、これから公女としての地位も立場も、庇護者だと思って疑わなかった両親も、なにもかも無くした彼女の、これからの行く末を暗示しているようだった。




