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淋しい深海魚

 王太子であるアクィラ殿下の隣に立つ私に向かい、あからさまに値踏みをするような視線を寄こす人間はそういない。

 少なくとも表面上は、私の美しさを褒めそやし、祝いの言葉を垂れ流していた。


 国王陛下夫妻の次に紹介されたのは、まずこの国の宰相、大臣、その他重鎮の人たちだ。

 私はどう相手をしたものか全くわからなかったが、リリコットの勉強の成果は大したもので、そのお偉いさんたちの名前も爵位も地位も全て理解し、よどみなく挨拶をする。

 たかが三ヶ月の準備期間でよくもまあここまで頭に入っているものだと感心した。お陰でお偉いさんたちからの評価は上々だ。


「いやあ、アクィラ殿下、素晴らしい婚約者ですな。メリリッサ公女殿下がこれほどまでに我が国のことをお調べになってきているとは思いませんでした」


 正装のボタンがはち切れそうな腹を、ゆっさゆっさと揺らしながら楽しそうに話すこのおっさんは、軍の将軍という話だった。

 この腹でどうやって軍に従事するのかはさておき、なかなかに力のありそうな人間に嫌われないだけでもよかった。


 地位の高い人間ほど他人も自分のことを知っていて当たり前だと、それはナチュラルに思っている節がある。

 だからこちらから先にそれを話題に出せば、大抵の場合は機嫌よく話が進む。

 施設や学校、小さなコミュニティーでさえそんなもの。国の大物にそれが通用するかどうかわからなかったが、意外とどうにかなるもんだ。

 それはどこの世界でも一緒だなあ。


「いえ、ヨーク将軍の武勇伝はかねがね伺っております」

「おおそうか!では、カイズの攻防戦のことも知っているかな?あれはのう」


 小さく口角を上げると、その腹たぷたぷのヨーク将軍は、にやけた顔で嬉しそうに話を続ける。私は黙って微笑みながら、後はそれを興味深そうに聞けばいいだけ。

 なんかリリコットの覚えた知識ががんがん頭の中に湧いてくるので、私はそれをあまり大げさになりすぎないように話していった。


 プライドをほんのちょっとくすぐるくらいのほうが、おっさんというのは喜ぶ。

 それは百合香が施設にいたころ、妙に大人に好かれるひまちゃんという女の子がいたのだが、その子に教えてもらったテクニックだ。


『百合香ちゃん、褒めすぎてもダメだよ。みんな自分で喋りたいんだからね。気持ちよく喋らせてあげて、それに頷くだけでいいの。そうしたらみんな優しくしてくれるよ』


 ひまちゃんがそう教えてくれた時は、私も相当ひねくれていた時期だったので、誰が他人なんて褒めてやるもんかと、まずそこから拒否していた。

 人の自慢話も聞きたくもなかったから、そんなものを聞く、ひまちゃんのことを物好きだと思って呆れていたのだ。


 あの頃私は頑なに拒否していたけども、今になってみると本当に彼女の言う通りだったなと思う。

 そばかすいっぱいで明るいひまわりちゃんは、新しい家族が出来てさっさといなくなってしまった。

 一度だけ新しい家族と一緒に車に乗っているところを見かけたが、とても幸せそうだったのを覚えている。

 悔しいからそう思いたくなかったけれど、私は彼女のことが本当に羨ましくて、そして自分が可哀想に感じて淋しくて仕方がなかったのだ。


 ヨーク将軍が息をついたその時に、もう一度にこりと笑顔を見せてみる。そうすると、彼は破顔しさらに興が乗り出す。

 あの頃出来なかったことが、時や場所を超えて、今になってこんなに自然にできるだなんて自分でも思わなかった。


 もしも、その言葉は大嫌いだ。でも、もしも、あの頃そうして多くの人と接していたら何かが変わっていたのだろうか?


 いや、そんな過去のことはどうでもいい。それよりも――


「ヨーク将軍、そろそろ私の婚約者を返していただけますか?」

「おお、アクィラ殿下!申し訳ない。メリリッサ公女殿下が随分と聞き上手故、つい長々と話し込んでしまった」

「ええ、とても楽しそうでしたので、私も声を掛けそびれてしまいましたよ」


 返すとは言っても、今まで隣にいて、他の貴族と話していたアクィラ殿下だ。本当に楽しそうに見えたのかは知らないけど、声を掛けそびれたなんてことは無いはず。

 言葉も丁寧だし、エスコートも完璧なこの王子様は何一つ失敗をしないように見える。

 きっと、今が頃合いだと思って声を掛けたに違いない。挨拶もそろそろ終わりだという合図だろう。


 だから後は私は彼に従えばいい。ただ笑って、静かに話を聞けばいいのだ。


 そうすれば、ひまちゃんのようにそうしていれば、もしかしたらアクィラ殿下も私に優しくなるのだろうか?


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 そうして、じっと、アクィラ殿下の顔を見つめていると、私にだけ聞こえるように顔を近づけ、嫌みな口調で言い放った。


「随分と年寄りを手玉に取るのが上手いな。記憶がないとは思えないほどだ」


 瞬間、頭が沸騰するかと思った。

 ギリッと歯を食いしばり睨みつけてやったが、アクィラ殿下は全く気にした様子はない。

 そうして、階段の踊り場で見せたような微笑みではなく、明らかに取ってつけたような笑顔を貼り付けて私をダンスに誘い出したのだ。


 その顔を見て、周りの招待客たちはざわめく。

 あれほど結婚に興味がないと言っていた殿下が?まさか女性に微笑むとは!

 などと、端々から漏れ聞こえるが、大きな声で言ってやりたい。王様の耳はロバの耳。


 こんなのどう見ても、嫌みまじりの嘲笑だろうがっ!


 けれど、結局私は黙ってアクィラ殿下に従うことにした。

 これは決してひまちゃんに倣ったわけではない。優しくして欲しいからするわけじゃない。


 私が、自分の地位を確立するために、自分で決めたのだ!


 アクィラ殿下とダンスを踊り、王太子妃となるのはこの私だと、知らしめるために従う。


 静かに微笑みをお返しして、ゆっくりとフロアの中央に立つ。

 私たちの周りには色とりどりの熱帯魚のような令嬢たちが、思い思いの表情で泳ぎ回っていた。

 こちらをちらちらと興味津々とする者、悔しさを滲ませる者、無いものとして全くこちらを見ようとしない者と、様々。


 けれども、私にとっては誰も彼もみんな一緒だ。

 彼女たちは、ゆらゆらと光の中で泳ぎ回る可愛い魚の群れの様だと思った。美しく装い、私を見てと、踊る熱帯魚。


 私ひとりが、この広いフロアで深海魚のように深く深く海の底でもがき泳いでいるようだった。

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