マインドレスゲーム
……は?いや、ちょっと待って。今、ノバリエス元外交官はなんて言ったの?
慌ててメリリッサへの様子をうかがうが、彼女自身も虚を突かれたように呆け固まっていた。
第一公女……リリコット……え、私、が、第一公女……本当、に?
頭の中がぐるぐる回る。
まさか、思いもよらなかったその台詞に思考が追い付かない。手も足も痺れているような感覚に、もしかしたらこの身体すらどこか遠くに置いてけぼりにされているのかもと思ってしまうほどだった。
ゆっくりと息を整えようと深呼吸をしたが、それも上手くいかずにえずいてしまう。
側に控えているファルシーファ様が手渡してくれたハンカチでそっと口元を押さえ、ようやく周りが見えるくらいには正気を取り戻す。
そうして正面に向かい合うはずのメリリッサを見やれば、今までに見たことがないほどの憤怒の表情をこちらに向けていた。
眉間の皺は深く刻まれ、美しいと言われ続けていた柳眉は逆立ち、ぎりりと限界まで上がっている。
歯ぎしりを隠すことのない口元が、忌々しさをあらわにした。
「っ、どう言うこと!?何故私を差し置いて、リリコットが、第一公女などと呼ばれなければならないの?」
「……あ、え?は……」
激高するメリリッサの声に、ノバリエス元外交官がきょろきょろと首を回す。
深紅のドレスの裾を強引につかんだメリリッサがカツカツと音を立て、その床に這いつくばる彼へと近づいた。条件反射のようにノバリエス元外交官が体をくねらせて、メリリッサの足元で顔を上げると、怒りに満ちた声で命じた。
「ノバリエス子爵、私の名を」
「え……なん、と?」
「私の名を呼びなさいと言っているのよ。早く!」
「は、い…………リリコット、第一公女殿下、んがっ……」
メリリッサに向かいノバリエス元外交官がそう答えた途端、彼の頭が大聖堂の床にがつんとぶつかる音が響く。
それはメリリッサがドレスと同じ深紅のハイヒールで、彼の頭を思い切り踏みつぶした音だった。
ひゃ、と声にならない音が漏れたのと同時に、メリリッサの足が上がり、二度三度となくがつがつと容赦なく踏みつぶす。
「何がっ、リリコット、ですって?誰が、誰が、誰がっ!」
あまりの出来事に固まってしまっていた私だけれども、びしゃっと何かが飛びちる音で我に返った。ノバリエス元外交官の顔の下あたりに血が溜まっている。
「や、やめなさい、メリリッサ!それ以上はやめて、死んでしまうわ!」
鼻血だけならともかく、このままヒールで頭を踏みつぶされ続けていればとんでもないことになる。
そう思い制止の声をかけたのだが、メリリッサは全く取り合わない。
「それがどうしたというの?第一公女の私にむかって、ありもしない虚偽をしたのよ。死んで詫びてもらっても足りないくらいだわ」
「っは、虚偽、など……、リリ……コット殿下が、第一公女……外務大じ、ヨクレア侯爵が、そう確かに……」
なんとか説明しようと途切れ途切れに声を出すが、話を聞く気もないメリリッサはまるでダンスでも踊るときのように優雅にドレスの裾を摘まみ、もう一度踏みつけるためにと足を上げた。
「そこまでにしなさい、メリリッサ」
落ち着いたその言葉が大聖堂に響くと、メリリッサの足は空を蹴り不自然に着地する。
よく見てみれば、お母様の護衛であるセルビオ元騎士副団長が、メリリッサの体を上手にずらしそれ以上の惨劇を防いでくれたのだ。
「けれどもお母様、このように侮辱されたままでは私の公女としての矜持に関わりますわ」
ツンと上を向いて憎々しげに答えるメリリッサ。
たとえ犯罪者とはいえ、ここまでの暴行を働いていておいて、公女としての矜持もないものだと開いた口が塞がらない。
いつの間にか私の隣に戻っていたアクィラ殿下も、私だけに聞こえるような声で「すごいな」と、唸っていた。
ふっと小さく息をはいたお母様が、大聖堂の祭壇近くに立つ国王陛下に向かい礼をする。
それからゆっくりと、けれども聖堂にいる人たち全員に聞こえるようにはっきりと、口を開きこう告げたのだった。
「第一公女はリリコット。あなたは正しくは第二公女になるの、メリリッサ」
まさかと思ったが、お母様の言葉で「リリコットが第一公女」だという話の真実味が一気に増した。
けれどもずっと、ものごころついた時からメリリッサが第一公女で私が第二公女だと言われ続けてきたのだ。そう、ずっとだ。思いだしてきた。幼い時からの記憶が、ゆっくりと百合香とリリコットを結んでいく。
だからこそ思う。そんな証拠もなにもない宣言だけでは納得いかない。
まさか私が、トラザイドの王太子と無事婚儀を挙げられるための方便ではないのか?
そんなうがった考えまで頭に浮かんだ。それはメリリッサも同じようで、憮然とした表情で問う。
「お母様のおっしゃることを鵜呑みにはできませんわ。だとしたら、どうして最初からリリコットを第一公女としてトラザイドと婚約を結ばせなかったのかしら?」
重箱の隅をつつくようなものの言い方だけれども、確かにこれはメリリッサの言うことが正しい。
お母様の言うことが本当なのならば、私たちの両親はずっと、スメリル鉱山の権利を持たない第二公女をアクィラ殿下の婚約者にと立てていたのだ。これは明らかにトラザイドとの契約違反になる。
「そうね、それはあなたたちが生まれた日……大公とその取り巻きに指示されたのが始まりだったわ」
ひゅっ、と息を呑む音がした。それは私だけでなくメリリッサが同時に漏らした音だ。
「発掘作業の始まった鉱山の権利を、生まれたばかりの第一公女のものと書き換えた彼らは、その上でリリコットとメリリッサの継承順を偽って公表した」
「なぜ……そんなことを」
「彼ら、いいえ首謀者であるヨクレア外務大臣は、仮初めの第一公女・メリリッサに全てを押し付けるつもりだったのよ。私がそれに気がついた時には、もう簡単には取り返しがつかなくなっていたわ」
「え……」
「鉱山など失敗で構わないし、なんなら八年前の落盤事故も彼の手によるもの。その上で必要のなかった追加融資の見返りに、権利を持つはずのメリリッサとの婚姻を結ばせた。そうしておいて何一つ持つべきものを持たさないまま送り込んで無視を決め込んだ。そうすればトラザイドとの関係も破綻し、契約違反のメリリッサはよくて追放、悪ければ二度とモンシラの土は踏めなくなっていたでしょう。でもヨクレア外務大臣はね、初めからトラザイドとの友好関係など望んではいなかった。欲していたのはただ一つ」
そこまで一気に話すと、一息ついてロックス殿下の方を見やる。
「ガランドーダ王国に与して、自分こそがモンシラ公国の大公となる。それだけだわ」
なんということだろう。あの持参金の一つも持たせようとしなかった外務大臣が、そこまで卑劣なことを考えていたなんて私には全く思いもよらなかった。
唖然とする私の腰に手を置き、アクィラ殿下がお母様へ続きを促した。
「ガランドーダのロックス殿下からリリーへと婚約の申し出があった時はチャンスだと思ったでしょうね。間違いなく契約不履行となるメリリッサは死んだも同然、そしてリリーが他国へ嫁げば、これで正当な後継者がモンシラにいなくなる、と」
「ええ、大公は権利を持つリリコットを嫁すことについては渋ったけれども、隠し子である男子を後継者にと唆されればあっさりと承諾したの。黙っていれば、鉱山の権利を手放すこともないと、高をくくって」
――本当に、馬鹿な人。
どこか遠くを見つめながら続けて呟いたそれは、とても小さな声だったけれども、今までで最もお母様の感情が露になった言葉だった。
「そんなことをして取り繕ったところで、もうご自分の玉座がただの石に変わり果てているのに気が付かなかったのよ」
……今の言葉はいったいどういった意味なのだろうか?
まるで、お父様がもう大公でないかのような言いぶりに首を捻る。
「だから大公妃殿下がヨゼフを通じて、リリーへとスメリル鉱山の権利書を託したのですね」
「そうよ。この娘たちが結婚を前にして入れ替わったのならば、全てを正しい方向へと向け直そうとしたの……それが、それだけが、私が母親として最後にしてあげられることだから」
お母様の告白を聞き、駆け寄ろうとしたがアクィラ殿下の腕が私を掴み離さない。
「そうして権利書がなくなっていることに気がついた外務大臣側が、そのノバリエスという者を使いリリーに探りを入れた。しかもそれだけではなくヤツは、ガランドーダのメリリッサ公女をリリーだと信じ、その存在を教えた」
「ええ。でもそれほど彼らは焦ってはいなかったの。だって、そこのノバリエス子爵はもちろんのこと、ヨクレア外務大臣も、そして大公すらも、この娘たちの入れ替わりを知らなかったから。出生証明書を提出すれば、結婚が無効になると信じていたわ」
「え……お母様?」
「……ふふ、おかしいでしょう?あの人は、自分の娘がどちらかだなんて、もうとっくに区別がついていなかったのよ」




