リライト
私たちがお互いの意思を確認し合い前に向き直れば、ほんの少しだけ苛立ちを隠せないメリリッサが同じようにこちらを見据えている。
けれどもすぐにいつもの彼女らしさを取り戻したように、軽やかな笑い声とともにパンパンと手を叩いた。
「素敵!エスコートも待ちきれないで迎えに来られるなんて。お二人ともとても仲がよろしいのね」
「ええ、私にとってのたった一人の伴侶です。今日のこの日を待ち焦がれていましたので、大変失礼をいたしました」
アクィラ殿下の返す言葉に、ゆっくりと周りを見回すメリリッサ。軽く首を傾げる姿までもがいちいち絵になる。
「でも永遠の誓いを立てるには、少々お寂しいのではありませんか?もしかしなくても私たち、時間を間違えてしまったようですわね」
その言葉と共にメリリッサは来賓参列の場に一人立つロックス殿下へと向かい手を差し出す。
しかしロックス殿下はその場から動こうとはしない。
メリリッサの眉間に皺がきゅっと寄せられたその時、アクィラ殿下が聖堂中に響き渡る声で告げた。
「間違えてはおりませんよ、メリリッサ公女殿下。あなたと、あなたの婚約者殿には特別に時間を設けさせていただきました。どうぞ私と愛するリリコットのために祝福を与えて下さい」
はっきりと、私のことをリリコットと呼び、メリリッサに向かい本当の名前で呼ぶと、一瞬無音になった大聖堂の中、耳障りなほどに甲高い笑い声が反響した。
今まで一度も聞いたことがないようなその笑い声は、ひとしきりメリリッサの口から発作のように吐き出されると、今度はとても楽しそうに次の言葉をつむぎだす。
「ああ、おかしい。とても、ええ、とても堂々として素敵な人ね、アクィラ殿下って。まさかご自分からおっしゃり出すとは思いませんでしたわ。――そこに立つのが、第二公女のリリコットだなんて、ね」
私たち以外にも国王陛下夫妻の他にも最重鎮である貴族の方々がいるこの大聖堂という場で、アクィラ殿下が「愛するリリコット」と、覚悟を決めて言ってくれたのとは違い、メリリッサは彼らの前で侮蔑を込めて「第二公女リリコット」と私の名を呼んだのだ。
何度となくクスクスとあげつらうように笑うメリリッサの言葉に、カッと顔が熱くなった。
怒りで頭に血が上り、ぐっと拳を握りこみながら反論しようと口を開きかけると、隣のアクィラ殿下が私の腰をぽんぽんっと叩く。
落ち着けと言われたようでちょっと恥ずかしくなる。
そうだ。怒りのままに口汚くメリリッサを罵ったところでどうにもならない。
アクィラ殿下があの場で私の名前を呼んだことに意味があるのならば、それに歩調を合わせるのが私のすべきことだ。
息を一つ吐き、それからメリリッサと視線を合わせてから口の端を静かに上げていく。
メリリッサ、あなたが何と言おうと、私はここから逃げ出すことはないの。
あらためて気持ちを込めアクィラ殿下の横顔を見つめると、彼の隣に立つということの幸福が心の底から湧き出してくる。
そうして自然に込みあげる笑みのまま、もう一度メリリッサへと顔を向ければ、彼女の表情にはどことなく苛立ちの色がのっていた。
ん、どうしたのだろうか?と、もう一度しっかり見てみようとしたところ、するりと視線が外された。
「でも、よろしいの?この婚儀、スメリル鉱山の権利書が必要なのではありませんか?」
「心配はご無用です。ヨゼフ、こちらへ」
はっ、という短い返事とともに私の後ろに控えていたヨゼフが、剣の柄から権利書を取り出してアクィラ殿下へと手渡した。
「このように権利書も手元にございます」
畳まれた権利書を広げ、メリリッサへ見えるようにと広げる。
「まあ、どこかの奸物に持ち去られたと聞いておりましたが、ヨゼフが取り返してくれていたのですね。よかったわ」
そう言って一歩近づいたところで、アクィラ殿下は権利書をくるくると巻き、いつの間にか隣に立っていたカリーゴ様の持つ銀の四角いトレーの上に載せた。
「……私の権利ですわよ?アクィラ殿下」
「その件につきましては、一人証人を呼んでいますので、その者の話を聞いてみてからにいたしましょう」
証人……?いったい誰だろう。
この権利書をヨゼフに託したのはセルビオ元騎士副団長だけれども、まさか?
大聖堂に入ってからというもの、一言も発せずただ私たちのことを眺めているだけのお母様の後ろで立つ彼は、アクィラ殿下の言葉にも微動だにしない。
他に誰か証人になりえる人物がいるのだろうか?
頭の中で何人かの顔を浮かべては消していく作業を繰り返している内に、一番奥に設えてある小さな扉からパッサー第二騎士団長に連れられてきたその人物は、
「ノバリエス元外交官……?」
目の前に連れて来られたのは、私が持っていると決めつけたスメリル鉱山の権利書を手に入れようと必死に画策し、侯爵令嬢ナターリエ様を騙して、私たちに危害を加えたあのノバリエス元外交官だった。
あの後牢に入れられてからほとんど口を開くこともなく、尋問も苦労していると聞いていたが、何か話をしたのだろうか?
そのノバリエス元外交官は、かなりやつれた頬に簡素なシャツとズボンだけの服を身に着けてはいるが、その見た目はずっと牢に入っていたわりにはこざっぱりしていた。
うつむいたままだが不精髭も見えず、髪も短く刈られている。
「顔をあげろ」
アクィラ殿下の言葉に、びくんと弾かれたように顔を上げると、じょじょに虚ろだった目の焦点が合っていく。
そうして、アクィラ殿下に腰を抱かれた私の姿を通り過ぎ、メリリッサの姿を見つけたところで一気にその身体が震え出した。
それと同時に、メリリッサの元へ駆け寄ろうとするが、両手に枷、腰に鎖を付けられていたノバリエス元外交官はその場につんのめって両手をつく。
往生際悪くそのままずりばいで近づこうとするも、強く握られた鎖のお陰でそれ以上は動けない。
床に這いつくばったまま、嗚咽のような声を漏らすノバリエス元外交官を、メリリッサは白けた目で見つめていた。
「これが証人ですの?」
「ええ。この者が、ガランドーダへ向かわれたあなたへ手紙を送った者です」
「あら、ではあなたがノバリエス子爵ね。ヨクレア外務大臣の親戚筋だという」
ほとんど物のように扱っていたメリリッサだったが、スメリル鉱山の話を伝えてきた本人だと知り、一応は人として話しかけることにしたようだ。
そのノバリエス元外交官といえば、メリリッサにかけられた言葉がまるで女神の天恵とでもいうように顔を上げ、頬を染めながら必死になって頷いている。
「あなたが送ってくださった手紙で真実を知ることができました。お礼を言わせていただくわ、ノバリエス子爵」
「おおお、第一公女殿下……滅相もございません。貴女様のお役に立てたことこそが、我が幸せでございます」
牢生活のせいで、かなりしゃがれた声ではあるけれど、メリリッサの言葉をもらった途端、生き生きと語り出した。
私にはどうみても、メリリッサに傾倒している崇拝者にしか見えない。
こんな人物が何の証人になりえるのだろうか?むしろ、逆効果なのではないか?
それは当然メリリッサにも伝わっている訳で、さっきまでちょろちょろとはみ出しかけていた本性が鳴りを潜め、その笑みを深くする。
「ふふ。彼がいったい何を証言してくれると言うのかしら?私の権利?どちらにしてもあの娘には何一つ……」
「黙れ!貴様のような女狐に、私の花嫁のものはもう一つも奪わせない!」
突然、メリリッサの言葉を強く遮るアクィラ殿下。
ここまで声を荒らげたのを聞いたのは初めてだ。けれども私のためにメリリッサと対抗してくれる殿下のことを少しも怖いとは思わない。
胸にぎゅっとつかまり、そう伝えようとすると、突然床に伏していたはずのノバリエス元外交官が立ちあがった。
「な、なにを。貴様、貴様こそっ、我が、第一公女殿下に向かい、なんという侮蔑……ふざけるなぁああ」
すかさずパッサー第二騎士団長が、私たちに向かい襲いかかろうとするノバリエス元外交官の首根っこを掴み、床に叩きつける。
うげっと小さく唸ったが、その怒りは収まらず、バタバタと手足を動かしながら抵抗している。
「貴様なんぞ……悪公女の伴侶など、同罪だ……我が、第一公女殿下を馬鹿になど……くそ、くそっ」
私から手を離したアクィラ殿下が、未だ床に押さえつけられたまま興奮中のノバリエス元外交官の前に立つ。
「私が、いったい誰を侮辱した?言ってみろ、貴様に頭と口が付いているのならば」
そう先ほどまでとはうって変わり静かに尋ねると、ノバリエス元外交官はギリっとアクィラ殿下を睨みつけ、怒鳴りつけるように叫んだのだった。
「我が、モンシラ公国、第一公女、リリコット殿下をだっ!」




