君と共に
私たちの前をファルシーファ様がピリピリとした空気を発しながら先導する。
メリリッサはそんな彼女のことなどお構いなしに、今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気だ。
大聖堂までの道筋は長い。そのために正面の入り口からは馬車で移動となるのだが、当然のようにメリリッサが私の隣の席を陣取った。
それによって、ファルシーファ様は後ろにもう一台用意されているお母様の為の馬車へと押し出されることとなる。
けれどもここならば小さな声で話せばほとんど他に漏れることもなく、御者にも聞こえることはないだろう。そう考えて声を抑えてメリリッサへと声をかけた。
「メリリッサ……あなたのこと、ロックス殿下は知っていらっしゃるの?」
私のその質問に、極々当たり前の顔をする。
「知っているわよ。ここへ来る途中の馬車の中でお話ししたの」
「……まさか、そこで初めて話をしたの?ガランドーダに居るうちではなくて?」
「別に。十分間に合ったでしょう?」
そのせいか。……あのお茶会での妙な空気といい、その後の言い争いをしていたという噂は。
ほとんど騙し討ちのような形でこのトラザイドへ連れて来られた上に聞かされた、メリリッサと私の入れ替わりにロックス殿下は相当苛立ちを隠せなかったらしい。
それはそうだ、婚約者が自分の知らないところで父親と勝手に交渉し、名前を入れ替えているなど誰が信じられるか。
「そんなにロックス様のことが気になる?」
「いいえ。そんなことはないわ」
いい面の皮だと、少し可哀想には思うけれども気になりはしない。私にとっては、もうとっくに記憶の向こう側の人だ。
そう思っていると、なぜかメリリッサはくすくすと含み笑いをする。
「ああ、それからロックス様にはワクウェル四世陛下の名代として結婚の儀に参加してもらっているの。私的な晩餐会はともかく、ガランドーダ王国からの親書を持ってきたのだから断れないでしょ」
「……はあ?」
「だから、間違っても私のことを傷つけてなかったことにしようだなんて思ったらダメよ。さっきからずっと、その懐剣ばっかり気にしているみたいだから教えてあげる。ふふ、全部ガランドーダに筒抜けになっちゃうからね」
しまった、見透かされていた!
そういえば昔から人の考えを先読みすることに、とてつもなく長けていたのだ。
しかも、ロックス殿下が結婚の儀に来賓として参加するなどとは聞いてもいなかった。二重の意味で驚きすぎて、声も出ない。
きっとロックス殿下の儀式への参列については、私が気にしすぎることを慮って、アクィラ殿下が黙っているようにしてくれたのだろう。
まさか、メリリッサがすでにガランドーダと入れ替わりの話をつけていたとは予想もしていなかったのだ。
だったらどうすればいいのか、自分に出来ることをこの大聖堂へ向かう道の中で必死に考える。
私がこの身を盾にしてメリリッサを道連れにしても、ガランドーダがトラザイドへ攻め入る理由を与えるだけとなるのならば、何が出来るのかと。
私を唯一だと言ってくれたアクィラ殿下の為に、私に何が出来る?頭の中、それだけを考えながらうつむくと、胸元の懐剣が目に入った。
大空を自由に飛ぶ王者の紋章、アクィラ殿下と同じ紋章、それを見た瞬間殿下の声が響いた――
『例え死の螺旋を描きながら私の空から落ちようとも、絶対にきみと離れない』
そうだ、あの日アクィラ殿下は私に向かいそう言ってくれた。何があろうとも一緒にと。
勘違いしていた自分の頭を殴りたくなった。私はメリリッサの毒気にあてられて、何が何でも自分で彼女を何とかしなければいけないと思い上がっていたのだ。
私は一人じゃない。自分だけで対処できないことでも、アクィラ殿下がいる。
「メリリッサ、あなたはガランドーダを取ると言ったわね。私は、トラザイドを……いいえ、アクィラ殿下と生きるの」
一瞬だけ目を見開いたメリリッサがたしなめるようにうたう。
「リリコットはそんなこと考えなくても大丈夫、あなたは、」
「今日は同じことを二回も言ったわ。でもあなたが覚えていられないほど頭が悪いのなら、何度でも教えてあげる」
いつも私がそうされていたように、背筋を伸ばして上から伝える。
突然の私の反撃に、メリリッサが呆気に取られている内に何事もなかったように前を向く。むっとしたような彼女の姿を見て、ほんの少しだけ溜飲が下がった。
けれども本番はこれからだと気を引き締め直す。馬車がアクィラ殿下の待つ大聖堂の前にたどり着くと、扉の前には私の護衛騎士ヨゼフとお母様の護衛騎士であるセルビオ元騎士副団長が待ち構えていた。
私たちの姿が見えると胸に手を置き、簡単な騎士の礼を見せる。
こうして師弟二人でこの場に立つ時間が取れて、果たしてヨゼフは自分の師匠に話を聞くことが出来たのだろうか?
もうすでにメリリッサに全てを知られている今となってはどうでもいいことかもしれないが、少しだけ気になった。
ヨゼフが私の後ろに、セルビオ元騎士副団長がお母様の後ろに立ったところで、大聖堂の大きく荘厳な扉が開かれた。
いよいよ、結婚の儀だ。
しかも隣にはメリリッサが蛇の鎌首をもたげるようにしてぴったりとくっついている。それでも儀式に参列する国内の貴族や来賓たちの前で無様な真似はできない。
アクィラ殿下と生きていくと決めたのならば、共に飛ぶのも私。
大きく息を吸いこんで開かれたその大聖堂の先を見つめれば――
「どういう、こと……?」
本来ならば目の前には、伯爵家以上の高位貴族と近隣の国々からの来賓が一堂に集まり並んでいるはずだった。
それが、全くガラガラといっていいほどの空きようなのだ。リハーサルで訪れた時と同じように人気がない。
まさか……メリリッサがスメリル鉱山の権利書の所有者だということが知られてしまい、結婚の儀自体が取りやめになってしまったの……?
体の芯から一気に体温が下がり、足もとから力が抜け落ちそうになる。
メリリッサはそんな私の腕を突き放すように離した。ダメだ、このままではこの場にへたり込んでしまう。
そう思ったその時、メリリッサに取られていなかった反対の腕を、ぐっと持ち上げられた。
「リリー、気を付けて」
「アクィラ殿下……」
この結婚の儀に相応しく、真っ白なジャケットとマント、そして赤のサッシュといった凛々しい姿のアクィラ殿下。
けれども私にはそんな殿下の姿に見とれる余裕さえなかったのだ。
「あ、殿下。誰も、誰もいないの。大聖堂に……いないの」
うわごとのように口を動かす私の腕と腰を支え、いつの間にかアクィラ殿下はメリリッサから距離を取っていた。
「よく見ろ、リリー。ここにいる。私も、そしてお前の味方も」
その言葉に弾かれるように周りを見回せば、確かに少数だけれどもきちんと正装に身を包んだ人たちが国王陛下夫妻の周りに控えていた。
あれは、王弟ハトラー公爵にファルシーファ様の父親であるラゼロ辺境伯、そしてパーティーの席でも話したことのある宰相、大臣たち、それにお腹のでっぷりとしたヨーク将軍もいる。
貴族の中でも高位中の高位、その上この国の重鎮だけが揃っている。
そうしてそこから少し離れたところにポツンと立つロックス殿下。
どうして?驚きで声も出ない私は、視線だけでアクィラ殿下へと尋ねる。すると私の髪をそっとひと撫でした。
「一時間半ばかり、時間を巻かせてもらった。だからまだ他のものたちは準備中だ」
全く気が付かなかった。
やることが多いからこそ絶対に遅れてはいけないと思い、逐一時計はチェックしていたはずだったのに、いつの間に……
驚きのあまりに口をパクパクと動かす私の唇に、アクィラ殿下はそっと指をくっつけた。
「さあ、儀式前の最後の大片づけだ。リリー、私と共に飛べるな?」
力強いその言葉に、答える言葉はたった一つ。
「もちろんです、アクィラ殿下」
ありったけの気持ちを込めて頷いた。




