イチレンタクショウ
一体このメリリッサの独白の間にどれくらいの時間が経ったのだろうか。あまりにも衝撃的な話だったために体感的にはすごく長くも感じたが、一瞬だったのかもしれない。
何と言えばいいのか、さっきから口を開こうとしてもなかなか言葉が出てこないのがもどかしく感じる。
スメリル鉱山の権利書のことなんて、知らないと、わからないと突っぱねるか?
いいえ、メリリッサのこの様子では、結婚の儀で権利書が必要になるということは、きっと知っている。
今言いつくろったところで結婚の儀が済んだ後、正当な権利者が本物のメリリッサにあると言われてしまえば元も子もない。
なんとかごまかすことができないかと、ようやく声を出そうとしたところでお母様が沈黙を破った。
「メリリッサ、あなたが欲しがっているものは何かしら。トラザイド?それともガランドーダ?」
凛としたお母様の問いが部屋の中に響くと、さすがのメリリッサも虚をつかれたように目を見張った。
この控室に入室してからと言うもの、座りなさいと言うだけで、私たちの会話に入り込んでこなかったお母様が自ら口を開いたのだ。てっきりこのままメリリッサの好きなようにさせるのかと思っていたから、正直私も驚いた。
トラザイドとガランドーダのどちらを選ぶのかという問いの真意は一体なんなのだろう。首を捻る私を一瞥し、メリリッサはお母様に反論する。
「嫌だわ、お母様。欲しいものだなんて……私は」
「正直におっしゃいなさい。スメリル鉱山の権利書を欲するのならば、ガランドーダは望めないわ。話を全て聞いたというのならば、それくらいはわかっているのでしょう?」
その通りだ。第一公女の持つスメリル鉱山の権利書とトラザイドへの嫁入りは切っても切れない契約になっている。
もしメリリッサがこの結婚の儀の場で、リリコットとの入れ替わりを公言し自分こそが正当な権利者であると表明したとするのならば、王太子の婚約者になり替わりガランドーダを謀ったことになる。
つまりスメリル鉱山を自分のものにするのならば、二度とガランドーダ王国の土を踏むことも出来ないどころか、良くてもメリリッサ個人が罪に問われ、最悪ならば国家間の紛争ものだろう。
「答えなさい、メリリッサ」
再度、言葉をかけられたメリリッサの口元がゆっくりと弧を描くように上がる。そうして鈴の鳴るような声で歌うように話し出した。
「勿論、ガランドーダですわ。私、ロックス様に不満などありませんもの」
「だったら……」
言い返そうとした私に向かい手を挙げ制止するメリリッサ。その姿があまりにも優雅で、思わず見とれてしまった。しかし彼女は、その美しい蝶のような羽ばたきで、毒蛾のような鱗粉をまき散らす。
「なので、その手紙を持参してロックス様のお父様、ガランドーダ国王ワクウェル四世陛下へとご相談させていただいたの。ロックス様の婚約者として、メリリッサ・カシュケールを認めてはくださいませんか?って」
「……は?」
「陛下は喜んでお認めくださったわ。ロックス様のわがままで組んだ婚約だったけれども、まさかモンシラの新素材鉱石の鉱山を持参金とするなどとは思わなかったと、大層褒めていただいたの」
「メリリッサ……あなた、まさか」
「ええ、そうよ。私は鉱山の権利書を持って、ガランドーダへと嫁ぐつもりよ。モンシラ公国公女、メリリッサ・カシュケールとしてね。ちゃんと婚約証明書にもそう書いていただいたわ。だからリリコットも身替りで結婚なんてしなくてもいいの」
そう言い切って、メリリッサは満面の笑みをたたえた。
「そう……メリリッサとしてガランドーダへ行くのね」
お母様が小さく呟くその声が耳に届かないほど楽しげにメリリッサは笑う。
ああ、この女は、トラザイドとモンシラを売ったのだ。
隣国であるトラザイドとの火種を作り、モンシラの国力を削ぎ、そうして金の卵を産む鉱山の権利書を手土産に大国ガランドーダへ逃げようと言う。
私はその私と同じ顔で笑うメリリッサを生まれて初めてぶん殴ってやりたいと思った。いや、殴って済む問題はとうに過ぎている。
ガランドーダは常に領土を広げようと欲しているからこそ、これはとてもいい大義名分になる。
ガランドーダ国王の野心と、メリリッサの悪巧みが結託した結果が、この襲来になったのだ。
私は、私の愛している人たちに向かって大きくえぐるように傷をつけていこうとする、メリリッサのことは絶対に許すことは出来ない。
私の一歩前で盾となっているファルシーファ様の右手が、何かを取り出そうとしているのを見て、慌てて叩いてしまった。ファルシーファ様は驚き振り返ったが、ダメだと目で訴えた。
メリリッサを止めること。それは私がやらなければいけないことだ。
他人にやらせてしまって責を負わすわけにはいけない。そうでなくても、今のメリリッサの立場は、大国ガランドーダの王太子の婚約者。
だからこそ私は今からなんとしてでも結婚の儀を執り行わなければならない。
無理にでも強行して儀式を済ませてしまえば、その時点でトラザイドにもスメリル鉱山権利が発生するだろう。なんとしてでもガランドーダへ渡すことを阻止してみせる。渡してたまるもんか。
そのためにも、メリリッサとリリコットの二人がいなくなってしまいさえすれば――
胸の下に帯剣した私の懐剣をぎゅっと握りしめる。
まさかこの剣がそんなふうに使われるだろうなんてアクィラ殿下も思わなかっただろうな。それでもきっと、全て終わった最期には正しく私の胸に吸い込まれることになる。
ふっと自虐的な笑いが漏れた。
もしかしたら、私が前世の記憶を思い出したのも、このためだったのかとまで考えてしまった。
ヨゼフやハンナたちも口をそろえて言うように、十歳くらいまでの私ならともかく、それ以降の私は気が小さくメリリッサの言いなりになっていた。
入れ替わりもバカみたいに受け入れて、きっとそのままのリリコットならば今日のメリリッサの言葉にも黙って頷いたのかもしれない。
けれども、今のリリコットは違う。
アクィラ殿下やアウローラ殿下、トラザイドでお世話になった人たちへ、紛争の火種を残していく訳にはいかない。
今の季節は使われていない暖炉の上に置かれた飾り時計に目をやると、そろそろ大聖堂へ向かわなければならない時刻になってきていた。
そのことに気がついたファルシーファ様がお母様へそう告げると、深紅のドレスの裾を波立たせたメリリッサが跳ねるように私の横へきて腕を取った。
「私にエスコートさせてね。最後だもの、いいでしょう?」
何が最後だといいたいのだろうか。しかし、この方が私にとって都合がいいのも確かだから、黙ってメリリッサの好きなようにさせた。
いざというときはそのまま私が身を捨ててでもメリリッサの全てを止める。
本来エスコートするはずのお母様も、何も言わずに私たちの後ろについた。相変わらず何をしたいのか、私たちに何をさせたいのかはわからない。
けれども今だけはそんなお母様の行動も好都合だと思い、メリリッサをエスコートにして大聖堂への道を一歩踏み出した。




