油断大敵
それから引き渡しの儀、そして懐剣の儀の部屋へと渡り歩いていく途中でも、王宮で働く人たちから温かな眼差しとささやかなお祝いの言葉を沢山受け取った。
勿論、引き渡しの儀の部屋で待つアウローラ殿下とイービス殿下たちからも熱烈な祝福をいただく。
明るいレモンイエロー色のドレスを身に付けたアウローラ殿下の隣に立つ今日のイービス殿下は、濃いグリーンのジャケットに腰までのマント、赤いサッシュ、そして長剣を腰に携えた、正しい王族の正装姿で現れたので少しほっとした。
どうせここでは本来の用途通りに使われる訳ではないので、女性王族に限ることもないのだ。流石に大聖堂で参列予定の王族が女装姿でこの場に居たら、時間に間に合うのかという以前に私がいたたまれない。
ここで少し話をしてから次の部屋で絹の装飾を身に付ける。
事前に話していた通りのし袋が入るくらいの小さな袋状の絹織物が足されていたが、綺麗な刺繍が施されているそれは、最初から装飾の一つに思えるくらい自然なものだった。
その中にファルシーファ様があのお守りをさっとしまい込む。そうして懐剣の儀の部屋へと移ると、リハーサルと同様に待っていた正装のオルロ殿下が懐剣の入った箱をちょうど私の肘の高さのところに持ち上げ差し出した。
「この度の結婚の儀、大変御目出度きことと存じます。今日の良き日、我らトラザイド王国王族の一員になられます公女殿下へ、猛き大空の王者の紋を捧げます。どうぞお受け取り下さいませ」
「謹んでお受けいたします」
仰々しい挨拶とともに差し出された懐剣は、この間見せてもらった鷲の紋章の入ったものだ。
両手でそれをしっかりと持ち上げると、懐剣そのものの重さよりもこれから先、トラザイドの王太子妃となるべく重さが肩にのってきたような気がした。
いよいよだ。気を引き締めファルシーファ様に手伝ってもらいながら、先ほど身に付けた装飾にきっちりと結び付けていく。
その中で急遽増えた絹織物の袋を少し横にのけつつする作業に、オルロ殿下が目ざとくそれを指摘した。
「公女殿下の懐剣用のベルトですが、先日のものとは少し装飾が増えているようです。いつ変更がありましたか?」
いや、これっぽっちの装飾はスルーしてよ。
そう言いたかったけれども、こんななんでもない装飾に気がつくくらいなのだから、どうごまかそうとしても簡単には騙されてはくれないだろう。仕方がなしに、正直に答えることにした。
「ええ、ファルシーファ様にお守りをいただいたのです。ラゼロ辺境伯家に伝わる秘術で、それはもう効果覿面のお守りだそうですから肌身離さず持とうと思い、無理を言ってお願いしました」
ミヨの予言はともかくとして、気持ちが嬉しかったことは確かだ。にっこりと笑顔を作れば、オルロ殿下は反対に渋い表情へと変化する。
「……ラゼロ辺境伯の秘術、ですか?」
そんなもの聞いたことも見たこともないといったその表情は、私を通り越してファルシーファ様へと向けられる。
無表情を保とうとしているファルシーファ様だが、何やら分が悪そうにそのブルーグレーの瞳が泳ぎ出した。
「公女殿下、もしよろしければそのお守りに何が書かれていたのか教えていただいても?」
「あのー……それが、私には読むことの出来ない文字でしたから、意味まではわからないの」
「読めない文字?……でしたら、一度私に見せていただければ……」
「なりません、公女殿下っ!ひ、秘術ですから、他の人の目に入ることは、はい……ダメです……」
訝しげにお守りの入っている袋を見つめるオルロ殿下と、それを意地でも阻止しようとするファルシーファ様。
実際のところ私もそれが本当に秘術のお守りだなんて信じている訳ではない。
けれども私としては、必死になってオルロ殿下の目に触れないようにとするファルシーファ様を擁護しないという選択肢もない。
「オルロ殿下、申し訳ありませんがこちらは、私がファルシーファ様よりいただいたお守りです。誰がなんとおっしゃられても、他人の目に触れさせるのは許可できませんわ」
私がしっかりとした口調で断りを入れれば、オルロ殿下もそれ以上は無理を言うこともなく引き下がった。
ただの気休めのようなお守りだと思っていたのに、何だか因縁じみている。これ本当にミヨが言う通りに、メリリッサ退治に一役買うことが出来るとはやっぱり思えないなと考えながら、オルロ殿下が見守る中懐剣の儀の部屋を後にした。
そこからリハーサルの時と同じように各部屋での儀式を粛々と済ませていく。
一つ儀式が終わるごとに、胸に足に重しがのしかかるが、その度に自分を叱咤しながら歩いた。
ここから先は王宮の中とはいえ人気が少なくなる場所だ。
今日のこの日に温かな視線をくれたトラザイドの王宮で働く人たちのことを信用はしている。けれどもあの子の見かけや物腰に騙される輩はどんなところにも羽虫のように飛んでくるのを知っている。
いつどこでメリリッサの来襲があるかわからないと、懐剣の儀の部屋を出てからは平常心に戻ったファルシーファ様も、必要以上に警戒をしてくれていた。
だから油断した。
大聖堂へ移る前の最後の部屋、大公妃であるお母様の控室へと入室したと同時に、ころころと鈴の鳴るような声が楽しげに響き、そして私を貫いたのだ。
「おめでとう、リリコット。これであなたもようやく解放されるわね」
「――メリリッサ。あなた……どうして、ここに!?」




