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戦場のハッピーウエディング

 結婚の儀の朝、私の目が覚めた瞬間にそこは戦場に変わった。

 いやもうすでにここでないあちらこちらではせわしなく人が動き回っているらしい。普段ならばできる限り足音を立てないように訓練された王宮の中で働く人たちも、今日ばかりはおろそかになってしまうくらい忙殺されているようだ。

 かく言う私も、予定の時間よりも早めに目が覚めたというのに、起床のベルを鳴らす前にハンナとミヨに突撃された。


「さあー、やっりますよぉ!」


 いつも以上に息荒く興奮しているミヨと、いつもと同じように黙々と朝の支度の準備をするハンナに手を取られて寝室から私室へと移動する。

 とはいっても、やはり結婚の儀の当日だけあってハンナの動かす手もどことなく緊張しているように見える。ドレッサーに並べていた化粧水の瓶を倒し、それを慌てて直したりと普段ならしないようなミスをしていた。


 昨日はエステくらいしかやることはなかったから、ほとんど準備は済んでいるというのに、やっぱり当日となるとそんなことを言っていられないほど落ち着きがなくなるようだ。

 慌てなくてもまだ時間はあるのだからと声を掛けてはみたものの、私自身も全く気持ちが落ち着かないので言葉が上ずってしまう。

 あれだけ堂々としなければと自分に言い聞かせたにも関わらず、いざ当日ともなるとコレだ。震える指先を隠すように握り締め、寝室へと続く扉を見つめる。


「アクィラ殿下も、もう準備を始めていらっしゃるのかしら?」

「はて、どうでしょうねえ。姫様ほどお仕度に時間がかかるとは思いませんがー、色々とやることは多いかもしれませんよ」


 お茶会の後から今日の結婚の儀当日になるまで、アクィラ殿下と顔を合わせる機会は無かった。

 ただでさえ忙しい身でありながら、結婚の儀に招待した貴族や来賓との接見もあると言っていたから当然だろう。


 その上お母様との面会の時間を無理矢理作るようにも言っていた。

 結局のところお母様とは話が出来たのだろうか?ヨゼフにしても、セルビオ元騎士副団長とスメリル鉱山の権利書について尋ねられたのか。本当はそのあたりを儀式前までに聞いておきたかった。

 だから、あの扉が開くことをずっと期待していたのだけれども、そういう時に限って開くことはないものだ。


 化粧やヘアメイクのための部屋、それから衣装方の控えている着付け部屋へ向かうのに、見苦しくない程度の支度を済ますと、またそれを見計らったようにファルシーファ様がノックと共に入ってきた。

 介添人としての役目に相応しく、質は高いが華美にはなりすぎないドレスと、シンプルに結い上げた髪の姿で現れたファルシーファ様だが、それでもその凛とした美しさを隠しきれてはいない。

 相変わらず綺麗ねと、声をかけようとしたところで大げさなくらいの動作でドレスの裾を掴み屈み込むファルシーファ様。


「この御目出度き日を迎えられたことを神に感謝いたします。本日結婚の儀の介添人を務めさせていただきます、ファルシーファ・ラゼロでございます。王太子殿下と公女殿下のお幸せのお手伝いを恙なきよう精一杯努めますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 とても丁寧な挨拶を受け、思いがけず胸がぐっと熱くなった。


 ああ、いよいよ私は今日これからアクィラ殿下と結婚するのだと、心の底から喜びが沸き上がる。


 この日が来るまでには、本当に色々あった。

 メリリッサに婚約者も名前も、他の全ても奪われてこのトラザイドに身代わりとして来た。

 まだ霞がかかったように思い出しきれていないが、私がリストカットをしたのをきっかけにして、記憶喪失を起こした。模擬戦でヨゼフが相手をコテンパンにしたり、イービス殿下に変装術という名の女装を教えることになったりすることで、アクィラ殿下の弟妹たちと仲良くなったのも不思議だった。

 果てはスメリル鉱山の権利書を狙うノバリエス元外交官と立ち回りまで起こした。


 そしてアクィラ殿下とは、思い出した記憶と共に、昔の約束をもう一度誓い合うことが出来たのだ。


 一つ一つそうして振り返ると、まるで奇跡のような偶然だ。

 メリリッサの馬鹿げた茶番が、私とアクィラ殿下を結び付けてくれた。あれがなければ私は今ここにこうして立つことすらできなかったのだから。


 すうっと大きく深呼吸をする。そうすると、指先の震えも徐々に鎮まっていった。

 ハンナがドレッサーの上に置いておいたお守りの入ったのし袋を差し出すと、ファルシーファ様はそれを丁寧に受け取る。


「では、リリー様。私どもはこちらで結婚の儀のご成功をお祈りしております」

「姫様、頑張ってくださいねぇ!んふふー、驚きますよぉ、ドレス凄いですからね!」


 胸に手を置いて静かに礼をするハンナとガッツポーズのミヨに見送られ部屋を出た。

 ずっと付いてきてくれていたハンナとミヨに結婚の儀を見せることが出来ないのは悔やまれるが、こればかりは仕方がないなと思いつつ、ファルシーファ様に先導されながら化粧の為の部屋へと向かう。

 そして次の着付け部屋でミヨの言葉が全くの誇張でないのを知らされたのだ。


「これは……」

「はい、公女殿下のデザインされましたリーディエナの花の刺繍になります。アクィラ殿下より、そう承っております。大変美しく繊細な仕様でしたので少々時間がかかりましたが間に合ってようございました」


 驚いたなんてものじゃない。一瞬息が止まりそうになった。


 目の前には、確かに私がデザインしたリーディエナの刺繍が全身に散らばったウエディングドレスが飾られていた。

 長いベールのレースまでもが同じリーディエナの柄で統一されている。


 そういえば、あの刺繍したテーブルクロスは今日使う予定のアクセサリーの担保としてアクィラ殿下に渡したままだった。

 あれを見本にこの刺繍を作らせたのか。

 しかしこれだけの量の刺繍をいきなりウエディングドレスに使えるようにだなんて言われれば、衣装方は戦場になるに違いない。その証拠に、皆目の下がクマだらけだ。


「大変、だったでしょう……。こんなに……とても、綺麗に」


 衣装方の皆に感謝の言葉を伝えなければいけないのに、約束の花が舞ったドレスを見つめていると、目頭が熱くなり言葉が出てこない。


 ここで泣いてはダメだ。せっかくした化粧が台無しになるどころか、皆に迷惑までかけてしまう。


 お腹に力を入れて、小さな声で「ありがとう」と伝えると、クマをいっそう深くした責任者らしき人がにっこりと笑った。


「それが私どもの仕事でございます。この良き日にお手伝い出来ましたこと光栄にございました。結婚の儀におきましては恙なきようお祈りいたしております」


 その言葉続けと、衣装方の皆が一斉におめでとうございますとお祝いの言葉をかけてくれる。

 私はもう一度ぶり返す涙を押さえつけながら静かに着付け部屋を退出した。

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