不安のお方
私がメリリッサに圧倒されていると、彼女の後を追うように静かに席を離れたロックス殿下がこちらを向いた。
今日初めて彼の顔をしっかりと見たが、その表情は以前の婚約者時の彼のものとは少しばかり違い、なんとなく疲れているような、なげやりになっているようなものを感じた。
それでも一国の王太子にふさわしく丁寧に退出の挨拶の言葉を発し、メリリッサと共にこの場から去って行く。
それが合図になったかのようにお母様もゆっくりと席を立つ。気が付けば残されたのはアクィラ殿下と私、それから給仕をしてくれたハンナたちだけになっていたのだ。
「リリーと私に新しいお茶を」
「は?」
「思いのほか早くお茶会が終わったからな。もう少しゆっくりしていっても?」
「あ……はい。それは、大丈夫ですが……」
あっと思う間もなく退出していったメリリッサの毒気やお母様の威圧に負けて、呆けてしまっていた頭の中が、アクィラ殿下の言葉でようやく動き始めた。
そつなく熱いお茶が私たちの前に差し出されると、リーディエナの花の香りが鼻の奥をくすぐる。そういえば、さっき出されたお茶はこれではなかったなと、今さらながらに気がついた。
「あの……」
「自分の嫌いなやつらにわざわざ特別なこのお茶を飲ませてやる義理はない」
私の言いたいことをすぐさま察したアクィラ殿下は、質問されるまえにさくっと答える。
それは確かにそうなんだけれども……そこまで徹底する殿下も、わかっていたけれどなかなかに強情なたちだと思う。
「それにしても相変わらずだ。よくも臆面もなく、リリーのことを気難しいなどと言えるな」
そこは多分、私たちに入れ替わりがバレてなどなく、メリリッサの悪公女の噂が蔓延していると思っているからこその言葉だろう。でも、それを今この場で言ってしまうのは少し差し障りがある。
「アクィラ殿下、あの」
「ファルシーファ嬢には今からミヨルカと衣装方へ行って頂けるようお願い致します。新しく作り直したドレスのレースが届いたと、今しがた連絡が届きました。ここは侍女が一人残れば大丈夫ですので」
私が止める前に、殿下付きのカリーゴ様がさっとファルシーファ様へ用事を押し付けていた。私の護衛を自称するファルシーファ様は、少しムッとした雰囲気を醸し出したけれども、アクィラ殿下が頷いたのを確認すると静かに礼をしてこの場を離れて行った。
ミヨは勿論、あったらしいドレスーっ!とウキウキで飛び跳ねるようにステップしながらその後を付いていく。うん、ミヨはブレない。
彼女たちに声が届かないだろう場所まで離れたところで、コホンと咳を一つ出して向き直る。
「彼女は、殿下には、その……あれを知られていないと思っているのでしょうから」
ファルシーファ様が離れたからと言っても、ここは屋外で私の部屋の中ではない。敢えて口を濁したようなものの言い方で伝えると、そうだなと同意してくれた。
「だが、もう知ったであろう」
「え……?」
「そうでなければ、何があろうともなどと一々念など押さない。あの女らしい。何かを起こす気満々だったな」
怖いと思ってしまったメリリッサのあの言葉、やはりアクィラ殿下も気に留めていたらしい。
「さて何を仕掛けてくるつもりなのか……」
考えながらお茶を口に含む。そのごくりと飲み込む音が耳に付くほど気が張っているのがわかった。
ただ仕掛けるといっても、場合によってはメリリッサにとってもそれは諸刃の剣になる。
入れ替わりの事実は私たちだけでなく、それぞれの国にとって大きな問題だ。このお茶会で私を虐めて溜飲を下げるなどという程度のことではすまない。
下手をすればメリリッサだって、私を騙して掴んだはずの大国ガランドーダの未来の王太子妃の座だって失ってしまう。
そんな危険を冒してまで本当に何かを仕掛けてくる?普通ならばありえない。それに――
「あの子はロックス殿下についていくと、あれほどはっきりと私に言い切っていました」
そう、あのうっとりとロックス殿下のことを語るメリリッサの顔を覚えている。
それなのに今日の脅しのような言葉だけでは済まないのだろうか。
「それでも何かを計画しているのは間違いないだろうな。あの目で睨みつけられて、何もするつもりがないなどとは信じられない」
睨む……誰が?メリリッサがアクィラ殿下を?
そうか、メリリッサのことは放っておかれたのに、私に対してはあそこまで愛情深いところを見せつけたのだ。だとしたらプライドの高いメリリッサがアクィラ殿下に蔑ろにされたのだと考えたのかもしれない。
そしてその矛先が私とアクィラ殿下の二人に向いたのだとしたら、やはり何かしらは覚悟をしておいた方がいいのだろう。
こくんと首を縦に振ると、アクィラ殿下は私の後ろに立つヨゼフのさらに向こう側、ハンナへと視線を向けてこう言った。
「ハンナ、お前が彼女ならば何を仕掛ける?」
……それは、ハンナが尋ねられても困るんじゃないかな。突然のアクィラ殿下の言葉に、珍しく驚いたハンナは片づけの手が止まってしまった。
「私……いえ、私は、そんな」
「この場ではリリー以外でお前が一番彼女をよく知っているだろう。何でもいい、思いついたことを言え」
アクィラ殿下の強い言葉に眉間にぐっと皺を寄せる。
「ねえ、ハンナ。もし考えつくことがあるようならば教えてもらえるかしら?」
その私の言葉を聞くと何かを観念したように、ハンナにはありえないくらい途切れ途切れの声で答えた。
「わ、私が、思いますに……恐らく、ですが、リリー様を……悲しませる、ようなことでは……ないか、と」
私?……私だけ?確かに今までも迷惑をかけられるのは私が一番多かったけれども、メリリッサの標的になるのは私だけじゃなかった……いや、でも……思い出す。
いつだってメリリッサは私の一番嫌がるところを的確に突いてきた。
アクィラ殿下が私の肩にそっと手を置く。その温かく優しい体温がもしかしたらなくなってしまうのかもと頭の隅をよぎっただけでもぞっとした。
そんな私の考えを落ち着かせるようにぽんぽんと撫でるように軽く叩く。
「私もハンナと似たような考えだ。つまり、あの女はリリーの足を引っ張る為ならば何をしでかしてもおかしくはない。そう確信している」




