優しい悪魔
「まあ、もうそんなに経ってしまったのかしら?それでも全くお変わりなさそうで安心しましたわ、メリリッサお姉様」
「あなた方も相変わらずのようですね。さ、どうぞお座りになってください」
私の発した先制パンチは、面の皮の厚いメリリッサには何の効力もなかったようで、それはそれはにこやかな笑顔で躱された。
若干ロックス殿下の頬が引きつったようにも見えたけれども、それも一瞬。
お茶会の椅子をすすめると、羽の生えたような軽い所作で淑やかに椅子の隣に立つ。エスコート役のロックス殿下がその椅子を引くと、メリリッサはドレスの裾をふわりと波立たせて座った。こうしているだけならば全く害のない美少女に見えるのにと思う。
セルビオ元騎士副団長に椅子を引いてもらったお母様も席に着いたので、私とアクィラ殿下も着席する。
丸テーブルの私の両隣りにアクィラ殿下とお母様、対面側にメリリッサとロックス殿下といった席順だ。姉妹なのだから本来ならば隣に並んでつもる話もあるだろうが、生憎と私とメリリッサはそんな甘い姉妹関係ではない。彼女がどんな思惑でここトラザイドへ来たのかを知るまでは油断などできるものではないのだ。
そうやって全員が席に着くと、ハンナたちが静かにお茶のトレーを運び始める。しばらくの間、茶器の音と鳥のさえずりだけが静かなBGMのように聴こえるだけ。
そんな中、挨拶からたわいもない話がぽつぽつと交わされお茶会が進んでいく。
このまま誰も余計な言葉を発しないままお茶会が終わればいいのに、そんな無理な願いは当然叶うわけもなく、メリリッサによってあっさりとそれは破られる。
「あら、メリリッサお姉様。新しい侍女を付けていただいたのね?よかったわ、心配していたのよ。あなたったら、たった二人しか連れていかなかったのだもの」
ハンナとミヨ以外の侍女、つまり侍女服姿のファルシーファ様を見つけて、嬉しそうに話す彼女は、知らない人が見れば姉思いの妹にしか見えない。
けれど声を大にして言いたい。はぁああ?どの口が言うんですかあ!?と。
だいたい、私の方に侍女がハンナとミヨしか付かなかったのは、あんたのせいでしょうよ。
本来、私がリリコットとしてガランドーダへ向かうことになっても、連れていく侍女は私とメリリッサで半分半分にする予定だった。
それをまあ、入れ替わりしたうえでこっちに悪評を擦り付けておいて、その台詞か。厚顔無恥とかいうよりも最早これは病気なんじゃないかと思うレベルだ。
ぎぎっと口の中で歯を噛みしめながら一つ間を開ける。そうだ、メリリッサのテンポに乗せられてはいけない。
「ふふ。ハンナとミヨはとても頼りになりますから。それに、トラザイドの皆様には大変よくして頂いているので十分なのよ。郷に入っては郷に従えというでしょう?ねえ、アクィラ殿下」
ちょっとばかり話を盛っておく。最初のうちはほったらかしで、ホラーハウスみたいな部屋にとじ込もっていたと言うのは流石に憚られるよね、うん。
そんな意味を含んでアクィラ殿下と視線をかわすと、ほんの少し苦笑いをして私の言葉を継いで言った。
「そうだな、彼女たちの下に付いて従う侍女の選定は終わっている。それから、ヨゼフの配下になる王太子妃のための騎士団の団員もだ」
「……あら、そうなのですね。随分と厚遇されているようで、私も嬉しいわ」
まるで思ってもなかった台詞を耳にしたからなのか、一瞬の間が空いた。がすぐに立て直す。
もしかして、自分が婚約者だった時との待遇の違いを察したのだろうか。
手紙で色々とおねだりをしていたようだけれども、モンシラにいた頃にはその願いは全くといって聞き入れられてはいなかったようだ。
その上、今日のこの台詞やアクィラ殿下のエスコートからも思うところがあったのかもしれない。そんなことを考えていると、メリリッサは慈愛に満ちた笑顔をアクィラ殿下へと向けた。
「でもメリリッサお姉様は少しだけ気難しいところがありますから、よく気を付けてあげてくださいね、アクィラ殿下」
つまりとてもさりげなく心配をする振りをしながら私を落とすことにしたようだ。品を作り、意味ありげな視線をアクィラ殿下へと送るメリリッサ。
清々しいほどまでの『お前が言うな』案件に乾いた笑いしかでない。
正直、この場でそれを信じているのは多分、メリリッサの横で苦虫を噛みつぶしたような顔をしてお茶を飲んでいるエロガッパくらいなもんでしょうに……ん、苦虫?
そういえば、ロックス殿下はこの場に来てからというもの、表情は硬く、そして挨拶以外はろくに言葉を発していない。これは一体どういうことなのだろうか?
「私の婚約者はとても素直で可愛らしいですよ。気難しいところなど……ああ、私が愛を囁くとすぐに照れてしまうところくらいでしょう。あとは、」
「ア、アクィラ殿下っ……今しているのは、そんな話ではありませんよ」
他に気を取られていたらいつの間にか惚気られていた。
顔を赤くしながらアクィラ殿下を止めようとすると、逆隣側から突然楽しげな笑いが起こる。
「ほほほ。仲がよろしいことで安心したわ。あなたがモンシラで手紙のやり取りをしていた頃のアクィラ殿下とは大違いよね、メリリッサ」
「…………は?いいえ、その……っ、はい……」
「噂では、アクィラ殿下はこの婚儀に乗り気ではないと聞いていたのだけれども、この様子ではそんなことはなさそうね」
なんという追撃。当然だがお母様は私たちが入れ替わっていると知っている。その台詞を私にかける振りをして暗にメリリッサにぶつけたのだ。
「噂ほど当てにならないものはありません。そう思いませんか、大公妃殿下?」
「本当に。あなたもそう思うでしょう?ねえ、リリコット」
そう、メリリッサへと顔を向けて静かに尋ねるお母様。まるで本当の悪公女が誰なのかと問い詰めているように見える。
一国の正妃として政務にたずさわってきただけあって、その言葉に圧を感じた。
さすがのメリリッサもこれでは何も言い返すことができないのでは?そう思った私はまだまだ甘いらしい。
「ええ、本当ね!アクィラ殿下……いいえ、この場だけでもお義兄様と呼ばせていただかせても?」
無邪気に笑うメリリッサの笑顔を見て、背筋に冷たいものが走る。
「結婚の儀、滞りなく執り行われるようお祈りいたしますわ。お義兄様、何があろうともメリリッサお姉様を末永くよろしくお願いします」
そうして椅子から立ち上がり、ドレスの裾を持って膝を曲げた。
綺麗な淑女の礼をみせつけながら、口元だけが『何があっても』と声にならない言葉を作り上げる。
ここまでアウェイの中でも全く意に介さないメリリッサ。私は、自分と同じ顔をした半身ともいうべきはずの双子の姉妹を、初めて心の底から恐ろしいと思った。




