いつも心に懐剣を
ファルシーファ様を護衛代わりの介添人役にと依頼したアクィラ殿下に言いたいこともあるけれども、今はそれをうだうだたと考えている状況ではない。
時間ですと淡々と伝えるファルシーファ様の言葉に従って、とりあえずは次の予定をこなしていかなければならないからだ。
ちょっとだけ口を尖らしながら、引き渡しの儀の部屋を出て次の部屋へと足を早める。そうして次の部屋で用意された装飾品を着ているウエディングドレスへと飾り付けた。
真っ白な絹に、また白の絹糸で刺繍の施されたその装飾は、胸下はきっちりと、そこから腰に掛けては緩やかにと巻きつけられる。
総レースではあるが形はシンプルなマーメイドラインのドレスの為、ちょっとしたアクセントというレベルではなく、結構目立つ代物だ。けれどもこれも必須の装飾だということは昨日の段階で知っていたので、されるがままにしておく。
それが終わりいよいよ次の懐剣の儀のための部屋に入ると、そこにいたのは先ほどまでの話題の人、オルロ殿下がお一人で待っていたのだった。
懐剣の儀の名の通り、本来ここで短刀を渡される予定なのだが、昨日の流れの中ではこの部屋にも人はいなかった。ただ、模擬の短刀だけがぽつんと置かれてあっただけ。
しかし今、オルロ殿下がここにいるということは、引き渡しの儀と同じで王族の立会人が必要なのかもしれない。多分だけれど、刀を渡すという儀式の内容から考えても、それだけ重要なのだと思う。
なんて考えつつファルシーファ様をひょいっと覗き込めば、それはそれは苦い虫を噛んでしまったような顔をしていた。オルロ殿下はといえば、それとは正反対にうっすらと微笑すらたたえている。
「公女殿下、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
「はい、オルロ殿下」
その呼びかけに答えると、はっとしたようにファルシーファ様が無表情に戻る。
またそれに気がついたオルロ殿下が鼻で笑うような仕草をするので、一瞬で般若の顔になるファルシーファ様……絶対にこれ、オルロ殿下に遊ばれてる。
知的で真面目そうなイメージしかなかったんだけど、こんな風に人をからかったりするんだね。対応する人によって随分違うもんだ。
って、やっぱりアウローラ殿下、これ仲が悪いんじゃなくって多分あれだよ、ねえ?
まあ、今ここで余計なことを言って波風を立てている暇はないので知らないふりをしておこう。
こほん、と咳を一つしてからゆっくりとオルロ殿下に向き直す。そうして念のためにと、この懐剣の儀でのやるべきこととその意味をもう一度振り返る。
「では、オルロ殿下。こちらでの懐剣の儀についてですが、間違いがないようにおさらいしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、公女殿下。僭越ながら私が今一度説明させていただきます。まず建国以来の習わしにより、我々トラザイド王国の王族は皆、公式行事の正装時には帯剣すべしと決められております。勿論それは男子だけでなく、女子もです」
神前結婚式なんかでも着物の装飾品としてあったよね、帯にさしてるあれ。
つまり、いざという時はそれで身を守れるようにっていうことだと思うけど。やっぱりこっちの世界ってその辺りはシビアなんだろうな。
「男子王族は長剣を腰に、女子王族は懐剣を胸の下に携えるのですよね」
「はい。ですから結婚の儀にて新しく王族となられる公女殿下には、この儀にて新しく懐剣を王国よりお渡しいたします」
そう言って静々と差し出された懐剣は、真っ赤なビロードの内張りの箱の中で銀色に光り輝いていた。
「この鳥は……」
懐剣の柄と鞘に彫刻は、あのプレゼントされた糸切り指輪や、アクィラ殿下が付けた仮面と同じ、鷲の模様だった。まさにアクィラ殿下らしい、大空の王者。
「兄上……アクィラ王太子殿下の紋です。公女殿下には、結婚の儀以降同じ紋を使用していただけることをお望みですから」
ん?なんだかその言い方だと普通じゃないように聞こえるんですけど?
「……もしかして、紋は一人一人違うものなのかしら?」
恐る恐る質問をすると、変に息の合ったオルロ殿下とファルシーファ様が顔を見合わせて苦笑いする。なんで、そこだけ意気投合するかな?
「公女殿下の仰る通りです。国王陛下と王妃殿下の紋は違うものですし、同時期に同紋の御方というのは、王国の歴史上ただお一組のみしかおりませんでした」
ええと、はい。つまり普通じゃない、と。
そういった特別なことをすると余計に私の悪評が目立ってしまうんだけどな。アクィラ殿下は何を考えているんだろう。
ファルシーファ様の護衛扱いのことを含めて、やっぱり後で一言いってやろうと決めたところで、オルロ殿下がとんでもないことを言い出した。
「紋は末期の棺まで使用されますから、きっとそれが兄上の答えかと」
「…………は?」
「つまり、同じ棺に入るという覚悟、と言い直せばよいのでしょうか」
同じ棺って……百合香の考えているようなお墓なんかじゃなくて、棺っていうことは、つまり、その……
「死せる時は同じに。と、同紋に決められた初代国王陛下とその王妃殿下のお言葉です」
そういうことですよねー。
なんというか、アクィラ殿下重いよっ!重い、重すぎる。気持ちがものすごく、ずしっとのしかかる。
死ぬときは一緒とか、どんな心中ものだよ。
……でも、やっぱりその重さが熱くてたまらなく嬉しくて頬が赤くなってくる。
茶化すようなことを考えても、全然その気持ちは萎えることはない。
あー、ダメだなあ。私もう、本当にアクィラ殿下のことが好きで好きで、どうしようもないみたいだ。
当然、私もそう簡単に死ぬつもりもないし、絶対にアクィラ殿下にはそうなってほしくない。
けれども、もしもそんな状況へ陥った時には、この鷲の紋を思い出すだろう。
私の痛みは、アクィラ殿下の痛みとなる。
だからこそ、もう二度と傷ついてなんていられない。この私たちの紋に誓って、絶対に――




